Mさんは決してかわいいとはいえず、7歳年下という若さがあるものの、20代から熟女好きな性癖が確立された私にさほど意味をなさない。しかし、その明るい性格や、どこかこの子を守ってあげたい雰囲気は魅力的だった。大晦日の夜から朝まで語り尽くしたあの日は確かに幸せだった。微笑む19歳だった彼女、お互いの体を貪り合う日々。青春を共有してくれた彼女に、私は責任を感じていた。
大阪から東京に帰還できたが、Mさんの私への態度はむしろ厳しくなっていった。言葉遣いや声の大きさ、歩く時の足音など、ちょっとした「間違い」でも喧嘩にタネになりかねなかった。何より対等な関係を築けていなかった。表面上、私が年上だったし、年収も高かったため、一見私が家を仕切っているように見えた。実態には、Mさんの意向が最優先だった。
Mさんは夫婦関係において言い合いや喧嘩があり得ないと信じ込んでいた。2人の妥協点を探るための必要な話し合いすら、受け入れようとしなかった。意見すると、彼女はすぐ「一緒に住めない」と言い出すので、毎回私が折れるしかなかった。そのため、喧嘩のたびに、形式上は必ず彼女が正しいという結果になっていた。
一例として、Mさんが勝手に退職した件において、最終的にそれに激怒した私の態度が問題にすり替えられた。さらに、2人の間に不愉快な出来事があると仲直りすることがなく、私の立場はますます悪くなっていった。要は減点方式だから、夫として正当な振る舞いをしただけで、関係が悪化してしまっていた。
どんな仕打ちを受けても私はMさんとの結婚を諦めたくなかった。「話し合おう」とスローガンみたいに訴えても、離婚騒ぎに疲弊した私は本音として早く終わりにしたかった。それでも2人の出会いと過去を念じて、自分にもMさんにももう一度チャンスを作ろうと、離婚届の不受理届を提出した。もはや破局を避けられない最終盤では、Mさん宛の国民保険の督促状を見て経済的に苦しんでいるかと思い、「今年ボーナスが多かったから」と適当に理由をつけて急遽10万円を振り込んだ。
離婚してから、私は繰り返し、自分の中で前の婚姻がなぜ破局に至ったのかを検証してきた。若い女性としてわがままを言うのは理解できるが、Mさんの場合は明らかに度が過ぎた。距離をおいて冷静に振り返った結果、MさんはASD、いわゆる発達障害だったのではないかと思う。空気を読めず、言葉をそのまま受け取る、他人の気持ちを想像できない、マルチタスクが苦手など、当てはまる特徴は複数思いつく。喧嘩するたびに、私が譲ってあげたため、彼女は本気で自分が悪くないと思ったかもしれない。
財閥系企業での就職、神社で出会ったお嫁さん、学生時代に目指したこの2つの目標はいずれも短命に終わった。相性を無視したイデオロギー優先の人生計画に、現実が無情にピリオドを打った。
大阪での勤務とMさんとの婚姻において、私が受けたダメージは大きい。言うまでもなく、これらの出来事自体はトラウマであるが、私のキャリアにも大きく影響した。大阪での1年は私のキャリアにとって全くもって無意味であり、また、詳細を綴れないが、Mさんとの離婚騒ぎに疲弊し、心身が弱まっていた自分に、攻撃を仕掛けてきた人が何人かいた。一時休職に追い込まれかけた。
