「あの時・上」大阪、孤立とパワハラ

大阪で起きたことに関して、私は自分が100%正しかったと思っていない。社会人が経験浅かった自分は人間関係において失言したことあるし、業務においてミスが多かったのも事実だ。一方的に他人に責任を押し付けるつもりはないが、それでも当時の職場環境が酷かったと思う。また、具体的な理由が不明だが、当事者のS課長は私の退職後、降格されたらしい。A先輩が退職、部長も引退した。

S課長と部長は最初いい人そうに感じた。当時転勤手当をもらえなかった私に、部長から月1の出張という形で経費で東京に帰らせていただいた。この黙認はその後関係の悪化につれ、取り上げられたが、初め頃は優しかった。

S課長は同業他社から転職してきた人で、当時課長に昇進されたばかりだ。前職では経理部長職も経験されたようで、管理職として初心者ではなかったと思う。京都弁が面白かったし、京大卒というところにも勝手に親近感が湧いた。しかし、私が着任した頃すでにS課長の評判が悪く、平社員の間にしょっちゅう悪口を聞いた。上記のように自分への配慮もあって、とてもS課長は皆さんの言うような悪い人ではないと思ってむしろS課長の味方になろうと思っていた。

最初の豹変は今でも覚えている。会議でA先輩が何かを間違えて、その後S課長との雑談で私は「A先輩が間違ったことに気づいたが、会議であえて言わなかった」と軽く語った。その時、S課長は急にすごい剣幕で「なんでその場で言わないの?ムカつく。お前が居る意味ないじゃん」と私に怒鳴った。耳を疑うような反応で私はその場でどうすればいいかわからず、とりあえず「申し訳ありません」とひたすら謝っていた。

その日を境に、私は頻繁にパワハラを受けるようになった。具体的に、まずミスをしたら仕事が取り上げられてしまう。複雑なExcel作業でも、一回の説明でマスターすることを求められていた。要は減点方式だから、新卒2年目の自分は追いつけるわけもなく、仕事がどんどんなくなり、やがて郵便物の確認やホチキス留めといった庶務がメイン業務になった。それでもやむことなく文句をつけられ、部署宛の郵便物を開封しただけで皆さんの前で怒鳴られたことがある。あまりにも理不尽だったので、他部署の方から「なんだあの人?みかんさんは悪くないよ」というメッセージももらった。

仕事がないうえ、場所を問わずに頻繁に怒鳴られて会社での居心地が最悪だった。周りからパワハラで訴えたほうがよいという声もあったが、丸く収めようととりあえずS課長と相談してみた。長時間説教されたが、意見交換ができてある程度のガス抜きになっていた。相談している間にS課長の態度は比較的「普通」に戻ったが、普段のパワハラは改善する様子がなかった。「何をすれば認められるか」という問いに対して、S課長の答えは「自分で考えろ。仕事だけできても不十分だからね」だった。出口の見えない日々が続いた。

S課長だけではなく、先輩Aも大概なものだった。先輩Aの話は他の投稿でも触れたが、あの執拗に私の日本語力を攻撃した人だ。先輩Aは頭の回転が早い方ではなかったが、経験豊富で大事な業務を担当していた。S課長に期待されていたけど、残念ながら先輩A本人はS課長のことが大嫌いだった。正面でぶつかってから、先輩Aに徹底的に疎まれるようになり、変な話になるが、S課長と一緒に居たほうが落ち着くと感じた。当時の感触として、先輩Aは私に学歴か語学力か何かしらのコンプレックスを持っていたと思う。それゆえ、変にライバル視されてまともに付き合えなかった。

新卒社員の採用が決まり、1年間何もやらせてもらえなかった私よりその新卒の人が大事にされる未来は目に見えたため、転職に踏み切った。単身赴任解消のことを考慮せずにも、もうこの会社に居られないと判断した。先輩Aを含めて、同じ年度にすでに3人の退職者が出た経理部で、私の転職を聞いたS課長はショックを受けたようだ。私を責めることなく、むしろ優しくなって「内定が決まるまで誰にも言わないでよ、酷い目にあうから」とも助言した。大阪勤務のために用意した家電家具が台無しになった話に「今度転勤があったらとりあえず家具付きの物件にしよう」と言われ、S課長と久々に雑談できてなぜか悲しくなった。

S課長のパワハラに関して私は公にしたことはなかった。退職後、組合からヒアリングがあって「パワハラを受けたか?」と聞かれても否定した。ただし、経理部内への退職挨拶と別に、前部署、人事部と私を採用した役員に別途長文を送り、経理部を間接的に批判したことはある。

繰り返しになるが、当時の自分は非協力的な前妻に疲弊し、仕事に集中できなかったのは事実だ。そして、アメリカ採用だから、舞い上がって経理部に転勤した直後の態度が軽かったのもある。それでも徹底的に私を追い込んだ経理部は新人潰し以外の何物でもない。今振り返ってみれば、早い段階で部長や人事部に相談し、それから転職するかどうかを検討すべきだった。

ボストンまで行って懸命に勝ち取った内定はわずか2年半で終わった。アメリカ駐在や大企業での出世もなくなった。会社名が書かれているストラップ、社員証と社章は人事部と合意し、紛失扱いという形でもらって、今でも大事に保管している。

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