嫌な飲み会に行かなくても、友達が少なくても問題ない

人生における人間関係のウェイトは一般的に過大評価されていると思う。小さい頃から周りから絶えずに人間関係の大事さを口説かれてきたが、誰彼もなんで大事なのか説明してくれなかった。あたかもたくさん友達を作らないと生きていけない風潮で私は焦ったり、対策したりしていたが、とくに成果という成果を得られていない。

会社の集会に関して実際一緒に仕事している仲間、一緒に過ごして楽しい相手、もしくは業務の一環としての飲み会以外、私は可能な限りに参加しないようにしている。あくまで下位職員の自分は、積極的に顔を出してもメリット少ないからだ。また、確かにそういった集会では普段聞けない裏情報や噂をある程度収集できるが、知ったところで仕事に役に立つかと言ったらほとんどの場合関係ない。

強いていえば組織とのつながりが強まり、「私はうまくやっている」という安心感を得られるだろう。これもまたプラシーボ効果に過ぎず、飲み会の場であたかも一員として扱われても、職場に戻ったら相変わらず敬遠されることも十分ありえる。大阪時代、職場での立場は基本的に破綻した時でさえ、飲み会ではそれなりに一体感を覚えた。

人間関係が効くパターンは2つ存在すると考える。まず、家族や親戚といった近縁者間の互助、また一定の付き合いを経て確かな絆が存在する人間関係=真の友達の場合、頼み事があればうまくいく可能性が高い。このような関係は基本的にランダムに形成され、人工的に作ることが難しい(不可能ではない)。もう1つは、当事者の双方それぞれ価値のあるもの(スキルや情報など)を持ち合わせ、お互いのニーズにマッチし、「取引」が成立するシチュエーションだ。巷間言われる「人脈」はこちらのパターンであろう。

人間関係のどうのこうのを心配する前に、まず一歩引いてご自身の立場を考えてほしい。自分自身に人と交換できるだけのものを持っているか、入手したいものは本当にあの人が持っているか、そもそも人間関係が大事な職種、ポジションに居るのか。印象論に惑わされず、人間関係への投資を見直したほうがよいかと思う。

仕事にプラスな人間関係は作りたければできるものではないというのは私の持論だ。無理して一時の関係を形成できても、長続きしないし、何かしらのメリットに換金できるのはとても思えない。まして、明確な目的もなく、後先を考えずに会社の集会に参加するのはコスパが悪い。下位職員であれば、成果物のクォリティと仕事の主体性のみ評価され、部下が居れば、部下へのマネージメント力も少々見られるぐらいだ。

令和7年外国人政策所感、ジャパニーズ・ドリームの終わり

来年1月の外国人政策の基本方針の取りまとめに向けて、高市内閣の方向性が出揃っている。技術的な詳細を省くが、在留資格の更新料金から、永住と帰化要件まであらゆる面で厳格化されていき、在日外国人への影響は甚大である。すでに帰化した自分にとって全く関係ない話のはずだが、すごく落胆する。

外国人が「アンウェルカム」というメッセージ

今回の外国人政策厳格化は外国人への締め付けに近く、一部の不良外国人がかけた迷惑ですべての在日外国人を罰するに等しい。SNSを眺める限り、在日台湾人を含めた在日外国人の間に動揺と困惑が広がっているようだ。政策によって手続き上の不便というより、自分たちが歓迎されていない事実のほうがダメージが大きいと推察する。

ただでさえ異国に身を置き、孤独や周りからの不理解と差別に耐えながら過ごしているわけだが、この一件で日本での生活を見切ってしまう人もたくさん出るだろう。元々見えてきた永住の道が遠ざかって不安に陥る人もいると思う。

人口問題は全く解決できていない

日本の少子高齢化問題はとくに解決されそうな目処がなく、日本人の若者は急にみんな積極的に結婚して3〜4人の子どもを作ろうとしているわけではない。経済、インフラと保険制度の現状維持という意味でも外国人に手伝ってもらうことは極めて重要だ。そんな背景から安倍元首相は外国人の受け入れを促進する政策を打ち出した。

外国人人口の増加によって必然的にある程度のトラブル(不良外国人の存在)が避けられないため、これも一種のコストだと私が思う。実務面で不良外国人への取り締まり強化、同化政策(日本語教育の奨励など)を敷けば十分対応できるのではないかと考える。そもそも長い目で見ればわずかなトラブルに過ぎないにも関わらず、安倍氏の後継者だと自称する高市首相の解決策は外国人の受け入れにブレーキをかける形になった。

日本は日本人の思うほど魅力的ではない

私の世代にとって日本はGDP世界2位で、先鋭的なポップカルチャーを有する大国だった。一方で、今の日本は過去の栄光に固執しがちで、イノベーションと付加価値をなかなか生み出せない国に成り下がった。文化面でもかなり優位性を失っている。日本人の若者は今や中国と韓国のソシャゲに夢中で、アニメも隣国に追い越されそうになっている。

日本国籍と日本人が誇りを持つ日本パスポートもさほど人気ない。根拠として、日本国籍の取得が「簡単」とされる旧制度において、毎年の帰化者はわずか9千人前後、多い年でも1万4千人程度しかおらず、外国人の母数に対して非常に少ない。移住を選んだ外国人のうち母国の国籍をキープしたほうが圧倒的に多いとのことだ。

外国人移住者への勘違い

一部の日本人の中で、外国人が日本に居ること自体は「優遇」だと捉える論調もある。ホストがゲストを招いて居てもらう意味では確かに外国人の立場が下だ。しかし、外国人にも選ぶ権利があり、数多くの国の中で日本を選んでわざわざ日本語まで勉強して自分の青春を捧げるわけだから、一種の取引でもある。要するに、契約社員や中途採用みたいなものだ。

人手不足に困るものの、大して給料も出せず、ネーミングバリューと職場環境も微妙なわりに採用基準を上げようとしているというのは今日本政府がやっていることではないだろうか。

「あの時・下」ピリオド

Mさんは決してかわいいとはいえず、7歳年下という若さがあるものの、20代から熟女好きな性癖が確立された私にさほど意味をなさない。しかし、その明るい性格や、どこかこの子を守ってあげたい雰囲気は魅力的だった。大晦日の夜から朝まで語り尽くしたあの日は確かに幸せだった。微笑む19歳だった彼女、お互いの体を貪り合う日々。青春を共有してくれた彼女に、私は責任を感じていた。

大阪から東京に帰還できたが、Mさんの私への態度はむしろ厳しくなっていった。言葉遣いや声の大きさ、歩く時の足音など、ちょっとした「間違い」でも喧嘩にタネになりかねなかった。何より対等な関係を築けていなかった。表面上、私が年上だったし、年収も高かったため、一見私が家を仕切っているように見えた。実態には、Mさんの意向が最優先だった。

Mさんは夫婦関係において言い合いや喧嘩があり得ないと信じ込んでいた。2人の妥協点を探るための必要な話し合いすら、受け入れようとしなかった。意見すると、彼女はすぐ「一緒に住めない」と言い出すので、毎回私が折れるしかなかった。そのため、喧嘩のたびに、形式上は必ず彼女が正しいという結果になっていた。

一例として、Mさんが勝手に退職した件において、最終的にそれに激怒した私の態度が問題にすり替えられた。さらに、2人の間に不愉快な出来事があると仲直りすることがなく、私の立場はますます悪くなっていった。要は減点方式だから、夫として正当な振る舞いをしただけで、関係が悪化してしまっていた。

どんな仕打ちを受けても私はMさんとの結婚を諦めたくなかった。「話し合おう」とスローガンみたいに訴えても、離婚騒ぎに疲弊した私は本音として早く終わりにしたかった。それでも2人の出会いと過去を念じて、自分にもMさんにももう一度チャンスを作ろうと、離婚届の不受理届を提出した。もはや破局を避けられない最終盤では、Mさん宛の国民保険の督促状を見て経済的に苦しんでいるかと思い、「今年ボーナスが多かったから」と適当に理由をつけて急遽10万円を振り込んだ。

離婚してから、私は繰り返し、自分の中で前の婚姻がなぜ破局に至ったのかを検証してきた。若い女性としてわがままを言うのは理解できるが、Mさんの場合は明らかに度が過ぎた。距離をおいて冷静に振り返った結果、MさんはASD、いわゆる発達障害だったのではないかと思う。空気を読めず、言葉をそのまま受け取る、他人の気持ちを想像できない、マルチタスクが苦手など、当てはまる特徴は複数思いつく。喧嘩するたびに、私が譲ってあげたため、彼女は本気で自分が悪くないと思ったかもしれない。

財閥系企業での就職、神社で出会ったお嫁さん、学生時代に目指したこの2つの目標はいずれも短命に終わった。相性を無視したイデオロギー優先の人生計画に、現実が無情にピリオドを打った。

大阪での勤務とMさんとの婚姻において、私が受けたダメージは大きい。言うまでもなく、これらの出来事自体はトラウマであるが、私のキャリアにも大きく影響した。大阪での1年は私のキャリアにとって全くもって無意味であり、また、詳細を綴れないが、Mさんとの離婚騒ぎに疲弊し、心身が弱まっていた自分に、攻撃を仕掛けてきた人が何人かいた。一時休職に追い込まれかけた。

「あの時・上」大阪、孤立とパワハラ

大阪で起きたことに関して、私は自分が100%正しかったと思っていない。社会人が経験浅かった自分は人間関係において失言したことあるし、業務においてミスが多かったのも事実だ。一方的に他人に責任を押し付けるつもりはないが、それでも当時の職場環境が酷かったと思う。また、具体的な理由が不明だが、当事者のS課長は私の退職後、降格されたらしい。A先輩が退職、部長も引退した。

S課長と部長は最初いい人そうに感じた。当時転勤手当をもらえなかった私に、部長から月1の出張という形で経費で東京に帰らせていただいた。この黙認はその後関係の悪化につれ、取り上げられたが、初め頃は優しかった。

S課長は同業他社から転職してきた人で、当時課長に昇進されたばかりだ。前職では経理部長職も経験されたようで、管理職として初心者ではなかったと思う。京都弁が面白かったし、京大卒というところにも勝手に親近感が湧いた。しかし、私が着任した頃すでにS課長の評判が悪く、平社員の間にしょっちゅう悪口を聞いた。上記のように自分への配慮もあって、とてもS課長は皆さんの言うような悪い人ではないと思ってむしろS課長の味方になろうと思っていた。

最初の豹変は今でも覚えている。会議でA先輩が何かを間違えて、その後S課長との雑談で私は「A先輩が間違ったことに気づいたが、会議であえて言わなかった」と軽く語った。その時、S課長は急にすごい剣幕で「なんでその場で言わないの?ムカつく。お前が居る意味ないじゃん」と私に怒鳴った。耳を疑うような反応で私はその場でどうすればいいかわからず、とりあえず「申し訳ありません」とひたすら謝っていた。

その日を境に、私は頻繁にパワハラを受けるようになった。具体的に、まずミスをしたら仕事が取り上げられてしまう。複雑なExcel作業でも、一回の説明でマスターすることを求められていた。要は減点方式だから、新卒2年目の自分は追いつけるわけもなく、仕事がどんどんなくなり、やがて郵便物の確認やホチキス留めといった庶務がメイン業務になった。それでもやむことなく文句をつけられ、部署宛の郵便物を開封しただけで皆さんの前で怒鳴られたことがある。あまりにも理不尽だったので、他部署の方から「なんだあの人?みかんさんは悪くないよ」というメッセージももらった。

仕事がないうえ、場所を問わずに頻繁に怒鳴られて会社での居心地が最悪だった。周りからパワハラで訴えたほうがよいという声もあったが、丸く収めようととりあえずS課長と相談してみた。長時間説教されたが、意見交換ができてある程度のガス抜きになっていた。相談している間にS課長の態度は比較的「普通」に戻ったが、普段のパワハラは改善する様子がなかった。「何をすれば認められるか」という問いに対して、S課長の答えは「自分で考えろ。仕事だけできても不十分だからね」だった。出口の見えない日々が続いた。

S課長だけではなく、先輩Aも大概なものだった。先輩Aの話は他の投稿でも触れたが、あの執拗に私の日本語力を攻撃した人だ。先輩Aは頭の回転が早い方ではなかったが、経験豊富で大事な業務を担当していた。S課長に期待されていたけど、残念ながら先輩A本人はS課長のことが大嫌いだった。正面でぶつかってから、先輩Aに徹底的に疎まれるようになり、変な話になるが、S課長と一緒に居たほうが落ち着くと感じた。当時の感触として、先輩Aは私に学歴か語学力か何かしらのコンプレックスを持っていたと思う。それゆえ、変にライバル視されてまともに付き合えなかった。

新卒社員の採用が決まり、1年間何もやらせてもらえなかった私よりその新卒の人が大事にされる未来は目に見えたため、転職に踏み切った。単身赴任解消のことを考慮せずにも、もうこの会社に居られないと判断した。先輩Aを含めて、同じ年度にすでに3人の退職者が出た経理部で、私の転職を聞いたS課長はショックを受けたようだ。私を責めることなく、むしろ優しくなって「内定が決まるまで誰にも言わないでよ、酷い目にあうから」とも助言した。大阪勤務のために用意した家電家具が台無しになった話に「今度転勤があったらとりあえず家具付きの物件にしよう」と言われ、S課長と久々に雑談できてなぜか悲しくなった。

S課長のパワハラに関して私は公にしたことはなかった。退職後、組合からヒアリングがあって「パワハラを受けたか?」と聞かれても否定した。ただし、経理部内への退職挨拶と別に、前部署、人事部と私を採用した役員に別途長文を送り、経理部を間接的に批判したことはある。

繰り返しになるが、当時の自分は非協力的な前妻に疲弊し、仕事に集中できなかったのは事実だ。そして、アメリカ採用だから、舞い上がって経理部に転勤した直後の態度が軽かったのもある。それでも徹底的に私を追い込んだ経理部は新人潰し以外の何物でもない。今振り返ってみれば、早い段階で部長や人事部に相談し、それから転職するかどうかを検討すべきだった。

ボストンまで行って懸命に勝ち取った内定はわずか2年半で終わった。アメリカ駐在や大企業での出世もなくなった。会社名が書かれているストラップ、社員証と社章は人事部と合意し、紛失扱いという形でもらって、今でも大事に保管している。

転職とWEBテスト

数ヶ月前、某有名企業からスカウトが届き、人事面談を受けた。面接対策が奏功したか、受け答えがかなりよくて、「資格試験を待たずに、すぐ弊社に応募するように」を言われたぐらい、評価された。

試しに参加した人事面談だが、褒められたもので真剣に転職を考えて家族とも相談した。締切が日に日に迫る中、とりあえずWEBテストを受験したが、翌日即座に「お祈り」が届いた。エントリーシートを提出するまででもなく、私の転職劇は唐突に終わりを迎えた。

WEBテスト自体はありきたりな玉手箱だった。一応真剣に受験するつもりだったが、ほぼノー勉で臨んだのは事実だ。形式的な物だと高をくくっていた。

ネットで体験談を検索したところ、こちらの企業のWEBテストがシビアで、例えば非言語パートでは8割の正答率が求められるという。面接にたどり着いた方々は例外なく現役就活生並みに対策したらしい。それどころか、あの手この手を尽くしてOB訪問までしていたし、熱量を感じた。

一見業務と関係ないWEBテストだが、思えばこのWEBテストも、エントリーシートとその後の面接も、企業から応募者たちに出した課題、一種のプロジェクトだと捉えられる。限られている時間でいかにこの課題をこなせるかを見られている。この意味では、この採用プロセスに一定の合理性がある。

一方で、自分みたいな現職でも問題なくこなしている中年近い社会人にとって、必然的に忙しいわけだが、とてもこれほどの課題にまともに対応する余裕がない。むしろ、しっかり現役就活生並みに対応できた方々は、本当に日々の業務に対応できているかとすら思えた。

いずれにせよ、今回この企業に出される課題に対して対応できるだけの能力は、私が持っていなかったのは確かだったので、素直に認める。転職によるキャリアアップに関して思ったよりずっとシビアであることも思い知った。

日本人ファースト体験

「日本が好きなら、なんで日本ではなく、アメリカを選んだの?」
「アメリカのパスポートを取れたらいつでも日本に行けるし」

私の問いに高校時代の知人はそう答えた。こんなずるい人には絶対なりたくないと誓った。高校から大学3年まで勉学を極め、体も鍛えていた。日本に外人デブが要らないと涙を流しながら、空腹を耐えてグラウンドを走る記憶は今でも覚えている。

母国の文化を捨て、比較的に白紙の状態で来日し、国公立の大学に通わせていただいたが、基本的に公的援助を受けずに(もっとも受けたくても受けられない)、母国からお金を持参してゼロから生活を築けてきた。安倍元総理の高度人材制度のもとで社会人1年で永住権を付与されて、在日外国人の優等生だと自負していた。

そうした努力をしても、必ずしも周囲から認められるわけではなかった。むしろ感覚的にずっとイバラの道を歩いているような気がした。日本人の友達ができないとか、コミュニティの輪に入れないとか、私自身の人間性も関わっているし、日本人同士でも難しい課題を一旦置いておき、一部「不思議」なエピソードを紹介したい。

カフェのバイト

大学院の時、一時期神保町のあるカフェでバイトしていた。関西人の店長がいい人そうだけど、職場自体はブラックだった。サービス残業を強要されるし、バイトリーダー格の女の子もあたりがきつくて日常的に怒鳴られていた。一番納得できなかったのは、職場環境だけではなく、バイトの中で私だけいつまで経ってもレジを触らせてもらえなかったところだった。一方で、採用3日目の新人でもレジ研修を受けていた。従業員のうち、私以外全員日本人だったことから、どう考えても自分だけ「区別」されていたと思う。

就職活動

大学院1年目の後半から本格的に就活を始めたが、情報が全く入ってこないうえ、誰も助けてくれない時期が後半まで続いていた。学部から来日した一部の人たちを除き、私を含めた留学生たちは例外なく苦戦を強いられていた。日本人の同級生は通常10社ないし20社程度の応募で就活を終えたに対し、私は100社程度エントリーしたかと思う。打率が異様に低く、日本へ留学という経験に全力で取り込んだにも関わらず、それがなぜか「ガクチカ」として評価されなかった。

就活がうまく行かなかったのは、自分自身の準備が甘かったり、自己分析が足りなかったりするところもあるから、一概に言えないが、出身を理由で明確に応募を断った会社は数社あった。とくに某社の3次面接で「中国人を採用しないように指示されたので」を告げられたことある。

大阪時代

大阪で勤務していた時、私に異様に厳しい先輩がいた。会議の時にしつこく皆さんに「みかんくんに日本語関連の仕事を一切やらせてはいけない」を提案していた。最初に聞いた時に耳を疑うほど驚いて反応に困っていた。2回目で言われた時に笑いながら「そう言われたら傷つきますよ」を言い返したが、「いえいえ、私も英語が得意じゃないので、同じです」と譲歩してくれなかった。別の大先輩から「業務に全部日本語が必要なんだけど」と援護してくれたおかげで一旦この話題を流した。

このままだとキャリアの支障になるので、この先輩とプライベートで相談してみた。外国人向けの日本語試験だけではなく、日本人向けの高認試験の国語でもいい成績を得ているため、日本語で業務をこなすに問題ない旨を伝えようとしたが、それ以来むしろ先輩のあたりがきつくなり、日本語だけではなく、英語関係のダメ出しも増えた。最終的に課長が仲介に入ったが、仲直りすることはなかった。

離婚

私は前妻に何度も「中国人と結婚したことを知られたくない」を言われたことあるし、彼女の苗字にしないと帰化の面接で変なことを言うと脅かされたこともある。離婚騒ぎの激化とともに、「国籍のために私と結婚したでしょ」のように国籍を引き合いに出す非難が続いた。自分の場合、日本人の配偶者としてより、独身で帰化したほうが手っ取り早いと説明してあげても理解してもらえなかった。その家族も執拗に国際結婚だったからうまくいかなかったように「日本人はこうなのだ」だと論点をずらしたがっていた。

前妻が帰化後新しい戸籍を作るための「帰化届」への署名を拒んだせいで、帰化の完了手続きがなかなか進まなかった。市役所と相談しようと電話したが、コールセンターの人が電話を切りそびれて、「市役所に聞いても別にできることないよね」「外国人は日本人と離婚したくないでしょ(笑)」私への悪口が丸聞こえてしまった。

予備自衛官の面接で、なぜ日本に貢献したいかを聞かれた時に「日本社会に優遇されたから」と答えたが、これから誤解にならないよう言い方を変えたほうがよいかもしれない。よそ者の自分は国公立大を通わせてもらい、表舞台の一員として認めてもらって居場所を得た意味では私は日本社会に優遇されたと言えるが、それに伴う努力と犠牲もあったから、別にダイレクトで何かの恩恵を受けて楽にできたわけではない。

子どもの進路は親と関係ない

昨今「中学受験」や中国からの教育移民などのテーマはよく耳にする。あたかも学歴で将来が約束されるように、子どもの受験戦争をヒートアップする親が後を絶たないのは、受験戦争で生き残った自分にとって滑稽極まりない光景だ。

具体的な話に入る前に、なぜ一部の親が子どもの進路に必要以上に干渉するのか、私には理解しがたい。老後生活は基本的に子どもに頼らない現代において、子どもの進路は親と全く関係ないと言える。こんな中で子どもの学歴や進路に過度に関心を持つ親なんて、それは完全にエゴだと思う。子どものことを自分のトロフィーとしてみているか、自分ができなかったことを実現してくれる道具として扱っているか、深層にあるモチベーションが人それぞれだろうが。

親としてなるべく子どもに良い将来を実現してあげるように、教育に力を入れること自体は否定しないし、むしろ賛同している。しかし、貴重な小学生時代に長時間座学させたうえ、高額な学費を払って私立中に入れるとは、一般論として果たしてどれぐらい意味があるのか。本人の希望がない場合、家族の総力を挙げてやるべきことだろうか。

なにせ中学受験を勝ち抜いても全然安泰ではないし、中高一貫校ではなかったら、当然高校受験もするかと思う。こんな次から次へと受験戦争にバトらせて大学受験まで持てる子どもは何割いるだろうか、少なくとも私の周りにすごく少なかった。優等生だったA子が大学受験を断念、名門高に入学したBくんが大学受験失敗みたいな話をよく聞いていた。相当目的意識がはっきりした子どもではないと、小学生という早い段階でプッシュされて完走できず、途中で脱落する可能性は十分ある。

目的は果たして何なのかによって話が違ってくるけど、良い大学に入れてあげたい場合、我々一般庶民において、やはり大学受験に力を入れることだ。就職の時にほとんど見られていない中学と高校より、大学こそ人生を左右する巨大なパラメータだと思う。大学受験に無駄がなく、期間も比較的に近い(数年か数ヶ月)ため、再現性が高い。絶対効果が出る投資なので、家族の総力を挙げてやる価値がある。

良い就職をさせてあげたい場合、学歴にだけ焦点を当てるとやはり的外れになるかと思う。前述の通り、確かに就職の際に大学の学歴が見られるが、根本的に内定を決めるのは本人の人としての魅力という一点に尽くせる。はっきりとした目的意識、ロジカルに会話する力、そして大事な場面に怯えず、堂々とした態度が好まれる。これらの素養はやはり受験勉強では到底身につけられず、部活やアルバイトなどの集団活動に真面目にコミットするうえ、練習する必要がある。

欧州遊記、アナザー

現地の物価が高い

今回は大型お土産を購入していなかったが、それでも現地での支出は予算を30数万円オーバーした。現地の移動費用を見積もっていなかったことも一因だが、やはり現地の物価レベルが高く感じられた。スーパーで食材を買って自炊すれば格安で過ごせそうだが、外食は高い。とくにヴェネツィアでの外食はお酒を注文しなくても常に100ユーロ近く上る。ドイツに入ると、トイレさえ有料だった。

Tax Refund(免税)

ヨーロッパでは、日本のようにその場で消費税が免除される制度はなく、「Tax Refund」という還付制度が一般的である。お店で申請手続き(Claim)をし、空港の税関に申告したうえ、カウンターで還付申請を終える流れだが、私がこの制度の存在に気付いた時はすでに旅の終盤だった。当然申請しそびれた買い物も発生してしまった。

不思議なことに、お店から還付制度のことについて案内されることはほとんどなかった。しかも、そうした対応は一部の店舗に限らず、ベルリンの大手百貨店を除いて、どこでも免税については触れられなかった。Global Blueのアプリを入れておけば、身の回りにある対応事業者をすぐ調べられるので、予め用意しておくのをおすすめする。

プレスティアが一番お得

今回の旅行において、エポスカード、三井住友カードとプレスティアという3枚のカードを利用した。結論から言えば、思い切ってキャッシュを用意してプレスティア一本で使ったほうが一番お得だと思う。

プレスティアとは、SMBC信託銀行が発行しているデビットカードのことである。入会するために一定のハードルがあるが、海外のATMで無料(条件あり)で現金を下ろせるし、VISAで決済する時に外貨預金をそのまま落とせる。クレジットカードで安易に決済すると、為替レートに手数料が上乗せられる仕組みになっている。しかも、同じVISAブランドであっても、為替レートに差があると思わなかった。

プレスティア:164円/ユーロ(外貨をそのままTTBレートで購入する場合)
エポスカード:166円/ユーロ
三井住友カード:170円/ユーロ

エポスカードに関してよしとして、三井住友カードの手数料は普通に暴利だと思う。幸い今回三井住友カードの利用が少なく、主にエポスカードで決済していた。

現地語の勉強が不要で英語を押し通す

特に興味がなければ、予め現地語を勉強する必要ないと思う。理由として、中途半端に現地語を覚えて使っても結局相手も現地語で返してくるため、あまり意味を成さないことが多い。「こんにちは」、「Excuse me」程度の挨拶もどれぐらい実用性があるか微妙だった。英語だけで十分通じるので、自信を持って使い通せばよい。

また、複数の国を回るとなると、それぞれの国の言語を身につけるのは現実的ではない。私は学生時代にドイツ語を勉強したことあるので、ミュンヘンの一件で意地を張ってドイツ語を拾ったが、脳みそが素直に疲れた。それと対照してイタリア語を覚える気がゼロで、フレンドリーなイタリアの方々に申し訳なかった。

ヨーロッパへの移住について考える

今回の旅行の本質に触れるテーマだが、アメリカとヨーロッパの両方に実際足を運んだ結果、日本は一番住みやすい国であるという結論に至った。人間社会の限界点でもあると断言する。日本を諦めてヨーロッパに移住することはないと思う。

一方で普段エスプレッソを飲み、イタリア料理を作り、限りなくヨーロッパ的なライフスタイルを送っている自分にとって、異文化としてのヨーロッパに対しては抵抗感よりむしろ親しみすら感じる。特定の現地語にコミットし、あくまで一人の日本人としてなら、中長期での滞在はあり得る話だと思う。

しかし、キャリアへの影響や、特に来るべきであろう子育てなど、現実を踏まえるとやはり難しい。

欧州遊記

4月末から5月初旬まで約2週間ヨーロッパに滞在していた。(再婚)の新婚旅行という位置付けだが、キャリアに不確実性があるうえ、資格試験も忙しい時期に正直に言えば、ストレスフリーの状態で旅を楽しむ心境ではなかった。一方で、近い将来の出産や子育てを考えると今行動しなければ今後なかなかチャンスがないのも事実だった。

今回の目的地はヴェネツィア、インスブルックとベルリンの3地で、ヴェネツィアから鉄道で北上し、ベルリンから飛行機でヴェネツィアに戻って帰国する流れだった。正規ホテルをほとんど使わず、民泊(Airbnb)を中心に宿泊していた。ゴンドラに乗りたい、ブランデンブルク門を見たい、といったアバウトな目標以外一切計画しておらず、行き当たりばったりな旅にした。

ヴェネツィア

ヴェネツィアの旅に関して基本的にARIAの聖地巡礼が目的で、遠い約束に区切りをつける一種の「宗教的」行為だった。そのためにARIAの旧単行本の最終巻を持参していた。船乗り(ゴンドリエーレ)がほとんど男性であることを事前に理解しているし、本島の運河が少々臭うことも許容範囲内だった。

ゴンドラの料金は、30分のツアーで90ユーロという政府が定めた相場らしい。支払いは現金のみ。実際乗ってみた感想としては、ARIAに興味なければ乗らなかったと思う。当たったゴンドリエーレは基本的にフレンドリーだけど、途中3回ぐらい電話していた。見どころを紹介してくれたが、英語が下手で何を話しているか半分程度しか聞き取れない。私より英語が得意な妻も同感だった。ご本人に悪いけど、これは私の素直な感想である。

サンマルコ広場には、鐘楼に面してテラス席を設けている生演奏付きカフェは3軒ある。基本的にどのメニューもプレミアム値段になっているから、ガチ食事ではなく、場所代だと思ってコーヒー一杯(おかわりもフルプライス)にとどまって楽しむことをおすすめする。

ヴェネツィアの最終日、誰もいない袋小路でギリギリまでペット用品ショップの猫と触れ合っていた。猫ちゃんに首輪が付いていたから、野良猫ではないことがすぐわかった。お店にもう1匹猫が居たが、店主の雰囲気に少し違和感を覚えたので、さっさと退散した。後でGoogle口コミを見たら、どうも店主のメンタルに問題があるらしく、観光客に乱暴な態度を取るコメントが多かった。

インスブルック

ベルリンへの中間地点として適当に選んで泊まってみたが、結果的に大当たりだった。小さい町だけど、大きな駅を持っている。アルプス山脈に囲まれており、どの方向を見ても山が広がっていた。動物園を回った後勘違いでケーブルカーで山頂まで行ってしまったが、絶景を見えて満喫した。雪も溶けない高度だったから、さすがにシャツ一枚がきつかった。住民がものすごくフレンドリーで困っている顔したらすぐ誰かが助けてくれる。

ベルリン

ベルリンに着いた日に小雨もあり、変な花粉(?)果実(?)が飛散している地域に入ってしまって咳が止まらず、第一印象が最悪だった。事前予約した国会議事堂に入れたし、ブランデンブルク門も見えて当初の目的を達成できた。妻はなぜか東ドイツやベルリンの壁に興味があって、DDR博物館を訪ねた。バスも電車もチケットを見る人が居なかった。

現地食の重さでベルリン入りの時点でお腹がとくに限界に達したので、ドイツ料理というより和食や中華を中心に諸国料理に手を出していた。一部認定店以外、基本的に東南アジア系の人が和食をやっているようだ。接客態度がいまいちだが、味は基本的に合っている。百貨店のKaDeWeで食べたドイツ料理(?)のザリガニバーガーが美味しかった。

ベルリンの猫カフェCatnip Coffeeの猫ちゃん

(ミュンヘン)

遅延が有名なドイツ系電車に大胆なスケジュールを組み、ミュンヘンで乗り換えることに成功したのも、すごく不快な出来事に会ってしまった。駅の売店からパンとコーヒーを買おうと、咄嗟に「アメリカーノ」を注文した。アジア系店員がすごく不機嫌そうな顔で「Kaffee?」を聞かれたが、隣の白人おばさんに何かを言われたか急に調子に乗って笑いながら「We’re German!」を連呼していた。それから一方的にドイツ語を喋り、英語を拒否する様子を見せられた。このアジア系店員の仕草や見た目で判断するとおそらく中華系であろうと思うが、白人でもないのになぜそんな失礼なことをするか、いまだに理解できない。思えば以前ニューヨークのお店でもアジア系の人に難癖を付けられた経験があって、コンプレックスなのではと思ってしまう。

母国との関係改善、敵視から活用へ

最近憎んでいた母国との関係は急速に改善している。長年アイデンティティの不安定に苦しめられたが、日本国籍の取得によって問題の根源が取り除かれたような気がする。出身に対するコンプレックスが消え、感情的に母国と母国の文化を以前より受け入れやすくなった。

そもそも母国を拒否するようになったきっかけは、まず元々中国という国自体は決して良い国とは言えず、さまざまな問題がある。そして自分の生まれ育った家庭にも深刻な機能不全があった。両者が相乗し、アンフェアと高圧的な環境を強いられていた。私の日本移住は好きな国に住みたいという自己実現以外、そういった環境への反発、革命でもあった。

日本国籍の取得はこの革命において自分の完全勝利を意味する。決着がついた今となっては、敵視し続けるメリットもないから、ある意味でごく自然な帰結とも言えるかもしれない。

母国での権益

日本も中国も二重国籍を認めないため、帰化審査の最終段階において中国大使館で国籍の離脱手続きをした。少し遅れて反映されるが、中国国内の戸籍もその後強制的に抹消された。これによって私の中国国内における権益は一旦リセットされた。

両親が存命する限り、親族訪問の長期滞在ビザが降りる。こちらのビザを用いて現地で銀行口座を持てる。中國銀行東京支店と組み合わせて使えば資産の移動が簡単となる。おそらく必要がないが、現地で正社員として採用されれば、中国の永住権の取得も難しくない。

面白いところとして、中国に残された華人の直系親族(=両親)を守る法律があり、財産の安全、国外移動の自由と通信の自由が強調されている。

ルーツの活用

ここでの「ルーツ」とは、中国に限らず、香港や台湾を含めた中華圏全体に該当する。以前の投稿でも触れたが、業務において利益につながる中国と中国語関係の仕事を条件付きで解禁している。政治と経済では日本とのつながりが強い台湾はもちろん、中国のプレゼンスも日に日に無視できなくなっている。ただの翻訳要員ではなく、れっきとしたビジネスとしてこのルーツを活用できれば、あえて拒む理由ない。

これまで感情的な理由から中国語や中華圏に関わる仕事を自ら避けていたが、今ではそれらを戦略的資産として捉え直し、いわば、使えるカードをすべてテーブルに出すつもりだ。

また、皮肉なこととして、中国と台湾はお互いのことを国として見ていないため、中国人として台湾で働くことが難しかったが、この中華圏の軋轢から解放された今、むしろ日本人として台湾で就職することも可能になった。

目的は利益最大化

こういう投稿を書いて保守だった私がご都合主義の中国人に成り下がったかのように思われるかもしれない。過去に抱えていた過激思想は確かにフェードアウトしたが、基本的に日本の国益を考える姿勢に変わりないし、天皇陛下と神道を中心とした国のあり方という保守的な価値観も根強く大事にしている。今回の方向転換はあくまで無意味な意地を排するための一種の合理化に過ぎない。