テレビ台の最後のピース、Playstation Vita TV

Vitaは世間から一般的に負けハードとして扱われている。日本市場でかなり粘っていたが、欧米ではリリース初期から振るわずに沈んでいたらしい。Vita TVは本来携帯機のVitaのために開発したゲームをテレビで遊ぶためにリリースされた当時として異色のハードだ。

最近ふと「夜廻」シリーズをやりたくなり、Switch版もあるものの、Vita版と比べて高価であり、また妻にゲーム画面を見せたいのもあってVita TVを導入する機運が高かった。今後Vitaについても投稿する時にまた改めて語りたいが、ベッドで横になりながらゲームをやるのが好きな私にとってVitaは長い間に渡って主力ハードだった。それ故、今でも一定数のVitaゲームを保有している。「夜廻」をやる以外でもメリットある。

中古市場の状況(2025年3月現在)

前述の通り、Vita自体は人気なハードではなかったし、その延長としての当機種も販売当時からあまり流通されていなかったせいか、中古市場では本体のみで通常2万円程度で取引されている。新品定価の2倍とのことでプレミアムが付いている。

ポイントレビュー

  • Vita TVの本体は非常にコンパクトで、テレビ台のどこに置けば良いか少々悩むかもしれない。HORI製のスタンドを使えばもっとスマートに置けるらしいが、当該アクセサリーは入手困難になってしまった。
  • PS3のコントローラーとセットで販売されていたので、PS3のコントローラーが標準かと思うが、WikipediaによるとPS4のコントローラーも対応しているらしい。
  • 解像度は1080iまで対応しているが、Vita元々の解像度はわずか960×544だったので、基本的に画質が悪い。これも今回最大な期待ハズレだった。
  • WiFiの他、LAN端子も付いている大変真面目な仕様になっているため、安定的なネット通信を期待できる。
Vitaのテーマはそのまま使用可能

「保存」

ゲーム等の管理は特段ソニーのサーバーに依存せず、Vita本家同様のコンテンツ管理ソフトを持っていればローカルでバックアップすることができる優しい仕様だ。しかし、メモリーカードを含めてPSN IDと紐づける機能もあるため、ソニーの出方次第でダウンロードコンテンツをバックアップしても使えない可能性は残る。

Vitaと違って、Vita TVの本体をそのままパソコンと接続することはできない。データの交換はネットワークに頼るが、パソコンとのネット接続を何度も試みても失敗する。一方で、PS3との接続がスムーズで、PS3を経由すれば問題なくデータの交換ができる。

オンラインストアは2025年3月現在、継続している。サービスがいつ終了してもおかしくない状態なので、買いたいコンテンツを惜しまず購入したほうが良いと思う。

新規購入→購入コンテンツの再ダウンロード→機器認証という順でサービスが終了していくと思うので、当面数年間は問題なく楽しめると思う。

雑感

「夜廻」を中古購入してまもなくクリアしたが、次作の「深夜廻」もVitaにリリースされているが、私は多分PS4版を買う。前記にも少し触れたが、Vita TVの画質は思ったよりずっと悪い。PS4版もお手頃で入手できれば正直にいうと無理にVita版を買う必要ない。「夜廻」のためだけなら今更Vita TVを導入したことは賢明とは言えないが、既存のVitaライブラリをテレビで楽しめられるところから見れば悪くはない。また、PSPのゲームも手軽にテレビでできるようになったのも魅力的だ。

Vita TVのTopicsは今でも最後にアップデートされた情報を受信できる。リンクが切れて一抹の寂しさを覚える。早めにVita TVを購入すれば良かったと思うが、私が2016年半ばに来日した頃には、Vita TVはすでに販売終了していた。さらに、当時身分が不安定な苦学生だった私には、やはり購入は難しかった。

「保存」、プロローグ

10代で聞いていた音楽が生涯にわたって影響を与えるという調査結果があるようだ。音楽に限らず、ゲーム、アニメや映画などの流行文化に関して私にとって心に刺さるコンテンツが2000年から2012年に集中しており、もちろんそれ以前とそれ以降も気に入るものがあるが、ピークは2008年あたりに迎えたような気がする。その年、私は高校に入学して、16歳になった。

社会人の生活はつまらすぎてしょうがない。希望に満ち溢れた10代、反逆と革命の20代を経験した私にとって、それらは感動の連続だった。アニメの主人公そのものだ。これ以上の物語を望むのが難しく、とてつもない空虚を味わう。もし自分の人生はアニメだったら、東大に合格した時点で幕が降り、せいぜい永住権を得た時点で後日談も終わるだろう。

欲しくて得られなかったもの、一部になろうとできなかった時代。親友を見送ってバス停のベンチに身を沈めたあの日私は青春と別れた。大学入試が終わったらまた日常を取り戻そうと束の間の光が差し込んだのは2015年の福岡だった。それから日常を取り戻すために8年あまりの時間もかかった。私がゴールにたどり着いた時に、青春の宴はすでに終わり、誰彼も次のステージに進んでいった。

せめての慰めを得ようと、現在と未来に希望を持てなくなった自分は過去に傾いた。カラフルな時代、私が欠席したザ・ゴールド。どんどん遠ざかっているあの時代を追体験するために私は活動を始めた。「保存」、「Preservation」という名を付け、シリーズ化をし、自分の活動を記録していきたい。実は先駆けて、英語ブログのほうはすでにガラケーに関して1作目(Keitai 1 – Peak Performance Heisei Japan, and One of the Reasons Why I Fell in Love with This Country in the First Place)を投稿した。仕事と家族に追われる日々で、昔ほど執筆時間を確保できなくなっているが、可能な範囲で自分の気持ちを文字として保存できればと思う。

君たちはどう生きるか (ジブリ)感想(ネタバレあり)

映画館から帰ってきてから、自分なりにネットで考察や口コミを調べてみて自分の認識をダブルチェックした。やはり、この作品はもう完全に宮崎駿監督のやりたい放題であり、観客の立場をまるで考慮していないように見える。メッセージ性が完全にないわけではないけど、物語自体が成り立っていないと思う。内輪ネタが多く、大変僭越ながら、本ブログの投稿みたいな自分の思いつきを至高な映像美で装飾し、有名人声優を付けて世に送り付けたように思う。

なぜ戦時中なのか、なぜ鳥なのか、なぜ積み木なのか、本作の世界観は難解というよりまるでランダム。なぜ戦時中なのかという問いについて、おそらく宮崎駿監督自身の成り立ちから引っ張ってきたと思う。監督自身は戦時中にまだ幼児だったが、父親が軍用機関連の工場を経営している点は主人公一家の設定と似ている。冒頭に戦争に触れながら、全編を通して限定的であって、プロットデバイスに過ぎない。戦時中という設定を変えても本作にほとんど影響がないと思う。

物語を要約するとかなりシンプルだ。主人公一家は戦時中に疎開先に引っ越し、悪そうな喋る鳥(アオサギ)に惑わされ、人を食べる喋るインコが溢れている異世界に入り、子供の時に母親と一緒に失踪した今の母親(継母)を連れて現実世界に帰還するというファンタジックなお話。このようにまとめて見れば筋が通るように見えるが、実際一貫にしておらず、物語の進み方がランダムで、キャラクターの行動と動機に不可解が多い。

至高な映像美という表現を使ったが、それをもって楽しめるとは言っていない。作中のアオサギはポストのバージョンよりずっと気持ち悪い。普通のアオサギ形態も描かれているが、喋り始めるとくちばしに人間の歯が生えてきてすごく気持ち悪かった。異世界の住人のインコたちは一見可愛らしいけど、本気に主人公を殺しにかかってくるし、実際人を解体して調理して食べてることを思わせるシーンもあり、倒錯的で気持ち悪い。

また、本作のヒロインにあたる少女が子供時代の主人公の母親という設定もまた少し気持ち悪い。成人としてどうしてもピュアに仲間とか親子とかの関係だけ捉えることができず、フロイトのエディプスコンプレックス、いわゆるマザコンを連想してしまう。それ自体は健全だと思うし、そういう感情を持っている、もしくは持っていた人は大勢いる。しかし、気まずくて少し気持ち悪い。

最後はメッセージ性に関して少し自分の理解を語ってみたい。まず簡単に異世界(「下の世界」)の構成を説明する。大雑把に管理者(神様的な)が住む領域、主な住人インコの国、その他という3つに分けることができる。その管理者は主人公の行方不明だった大伯父であり、毎日積み木を使って異世界のバランスを維持している。インコ大王は管理者に尊重しながらも、今以上の自分たちの権益を広げようとしている。管理者は自分の仕事を主人公に継がせようとしても拒否された。一方それを盗み聞きしたインコ大王はなぜか急に怒り出して管理者の積み木を真っ二つに切ってしまう。それによって異世界はあっさり崩壊した。

宮崎駿監督は自分の後継者をうまく育てられなかった虚しさを伝えているか。もしくは、アニメ業界全体として、アニメーターに高い成果を求めるものの、現状の低賃金の体制を強いることを語っているのか。あるいは、日本全体として警鐘を鳴らしているのか。職人に後継者が居ない話はもちろんよく耳にしているが、何より、今の世代の日本人は子供を作りたがらないから、社会の後継者が足りないのだ。昨今自分だけさえよければ、次の世代の形成を他人に押し付ける人がすごく多くて、まさに作中のインコたちの姿勢と重なる。

本作の最大の問題点は、作品内容を伏せて宣伝しない戦略にあると思う。冒頭に戦争への繊細な描写はさらに観客をミスリードした。事実、私は冒頭の空襲シーンを見て涙が流れたし、風立ちぬみたいな戦争をテーマにしている映画かと思った。その故、疎開先から思い切ってファンタジーに切り替えた時に、気持ちの整理がつかない自分はすごく抵抗感を覚えた。ファンタジーとしても前述の通り、物語自体面白くないうえ、そもそも成り立っていない。物語のためにシーンを作ったわけではなく、そのシーンを作りたいから無理に物語を書いたとしか思えない。

この映画はもし宮崎駿監督ではなく、もっと普通なクリエイターとか、端的に言えば無名監督が作っていたら絶対批判を浴びたと思う。まあ、宮崎駿監督ほどの人物でもなければ、そもそも企画としてどこでも通らないだろう。

「がんばり屋だから優秀」(ネタバレ有り)

12月3日金曜日、私は予定時間ギリギリまで上司の指示に対応できて会社から出て銀座方面に向かった。銀座はすでに私の「庭」ではなくなり、馴染んだ町並みを眺めてかすかな寂しさを感じた。でも、今日に限ってそれはどうでもいい話だ。

今日はARIA新プロジェクトの最終編「The BENEDIZIONE」が公開する日だ。前回「The CREPUSCOLO」の時と違って、私は公開1ヶ月前からこれを意識して初公開の日に見ようと決めた。カレンダーに公開日を入れたものの、舞台挨拶の予約日を間違えて見逃した。

前作を観たものの、やはり新世代3人組に馴染まない。名前ですら覚えてなく、キャラだけうろ覚えしている。でもそれでいい、特に嫌な感じがしない。「中堅管理職」になった灯里、愛華とアリスの三人組(ワンオペのARIA Companyを担った灯里さんは実質社長なんだけど)にも少し違和感を覚えた。しかし、ネオ・ヴェネツィアという世界の雰囲気は全然変わっていない。原作から20年間も経ったというのに、これほど巧妙に世界観を保てる作品は稀だ。

今回の最終章は個人的に一番響くエピソードだった。いつもの「ARIAを観て心を洗う」と違って現実的なディスカッションがあった。姫屋の晃・藍華を中心に家柄、才能と努力の葛藤を描いた。第一世代3人組の中で唯一の「凡人」の晃さんだから、もちろん努力が肯定された。晃さんが自分の昇格試験を回想するシーンが一番印象的だった。試験の後、クイーンに「あなたは優秀なのにがんばり屋さん」を言われた晃さんは「がんばり屋だから優秀なんです」と答えた。

「がんばり屋だから優秀」、心に響く言葉だ。現役のARIAファンはおそらく若くてもそこそこ歳を取っているから、かなり刺されると思う。社会に出て、いや、学生時代にもすでに感じたはずだ。世間には才能や家柄に恵まれる人はたくさんいることだ。そういった人たちと比べて、何をしようとする時どうしても苦労する。時に、凡人にとって唯一の道である努力でさえ否定する酷い人も居る(家柄や才能を持つ者もそれなりに努力するのに)。

社交辞令の時が多いと思うけど、私も学生時代から周りに「優秀」とか「頭がいい」とかを言われる。私に言わせてもらえば、本音として全然そう思わないし、言われたら逆に穴に逃げたくなる。その「優秀」の裏にまさに「努力」の他ならない。誰もいない校舎でひたすら単語帳を暗記したり、休日のサービス残業や自己研鑽、そのほとんどは力業である。「がんばり屋だから優秀なんです」、晃さんは私の気持ちを代弁してくれた。

今回のARIA新作は自体はもはや奇跡的と言っていいほどのものだから、ARIAは本当に完結してしまったかもしれない。新世代の視聴者に媚びず、昔の価値観を維持するにビジネスとして成り立つのが難しいし、物語自体も限界に達しつつある。キャラクターたちの世代交代が行われているが、新世代を中心に何か劇的な展開ができるのか、世界観を壊さない限りに至難の業だろう。

エンディングロールにTVアニメのワンシーンが流れていた。在りし日の幸せを眺めて、私は「終わらないで(離れないで)」の言葉で胸いっぱいになった。時間の流れは私の意思に関わらず過ぎていき、やがてシアターが明るくなって退場を迫られた。私は別れの寂しさを抑えながら、駅に向かってつれを迎えていった。

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そして、3月が終わる。 2021/3

青春、私にもあったね、あの蒼い惑星

拝啓。最近少しづつ暖かくなってきましたね。
春もそう遠くないでしょう。

今日の夕方に小雨が降っていた。
私は早めに仕事を上がって映画館に向かいました。
そうです。今日はARIAの新作の上映日です。

世も令和の時代になり、ARIAは随分古く見えたせいでしょうか、
今回の新作についてまったくの予想外でした。
雨にも関わらず、わざわざ見にくる方は大勢居ました。
私を含めて皆さんは誰彼もアラサーのようでした。
きちんとしたスーツを着ている営業マンらしき人から
Tシャツ姿のヲタクの方まで様々な方は集まってきました。
皆さんもきっと私と同じ、若い時にARIAに魅了されたに違いません。
そう思って全員素敵に見えました。ARIA好きな人に悪い人が居ませんもの。

2015年の新作The AVVENIREをキープして観なかったためでしょうか、
知らないキャラがいっぱい居ました。
原作の2世代構図から3世代に展開しました。
大人になった灯里、愛華とアリスの三人組を馴染むまで少し時間がかかりました。
成長したとしても、現実世界に居る私たちよりは大分遅めで羨ましいです。
ネオ・ヴェネツィアはまったく変わっていません。
煩悩らしい煩悩のない素晴らしい世界です。
懐かしいリズムが響いて思わず泣きそうになっていました。
アリスが大人になる不安に巡る話でした。
それは自分も常々悩むことなので、共感せざるを得ませんでした。
アテナさんの答えを聞いて、完全に納得していないものの、なぜかスッキリしました。

映画を観ながら、私は気づきました、青春というものは私にもあったではありませんか。
青春は受験戦争と両親に潰されたと思い込んで、大事な友との時間を忘れてしまいました。
ARIAはまさに私の青春にとって大事な一部です。
新作を観てまるで旧友と久々お会いできたような気がしました。
私の青春は決して潰されたわけではなく、確かにあの蒼い惑星で素敵な時間を過ごしました。
今日はそれを思い出すことができました。

皆さんは成長して元気に明日を迎えていることを知って安心しました。
いつか別れる時がくるかもしれませんが、
それまではもう少し時間を共有していただきたいです。

コミックマーケットへ行ってきた

今日、「コミックマーケット92」(コミケ・C92)へ行ってきた。昨年、日本人の知り合いと一緒に上海のゲーム展示会へ行ったことがあるが、本場のコミケは初めてだ。

朝早くりんかい線に乗って、国際展示場駅で降りた。その時点で既に列ができていた。天気は往年より涼しいので、今年きて良かった。ただ列に並んでいるのは流石につまらない。周りの皆さんも一緒だけれど、友達と来たら、若しくは暇潰しの準備をしてきていたら、つまらなさは軽減されただろう。

2時間くらい待ったら、ようやく入場できた。人混みの混雑は終始半端ない。思いつきで移動しながら、写真を撮ったり、現場を観察したりしていた。買いたい同人誌はあまりなかった。企業ブースでは、お気に入りの所があったが、しょぼい物しかない為に遠慮した。結局、実際に中を見て回っていた時間は、入場まで待っていた時間より短かったみたい。

総じて言えば、コミケは一種の祭りだと思う。だが、専門性が強くて、サークル外の人にとっては人間観察しか楽しめることがないと思う。体力的にも厳しく、現場或は帰り道で倒れるのはあり得る話だとおもう。何も買わなくても数千円の支出は免れないだろう。

自分にとって、今回は10年前の「コミケに行きたい」という念願を形式的に叶えただけのものだった。同時に、自分が既にサークル外の人になってしまったことを確信した。ちっとも楽しめなかったので。

地獄少女の新作

「地獄少女」は十数年前のアニメです。1期は平成17年に放送されたので、古いアニメと言えるでしょう。テーマは、社会派の小説みたいに主に社会問題とか人間性とかの風刺です。以前そういうテーマがブームになっていましたが、東日本大震災後ほとんどなくなってしまいました。

しかし、今年は突然新作を作ると公表されました。とても意外です。6話だけしかないので、低コストで適当に作った粗末な物かと思いましたが、1話を観てみると、そうでもなさそうです。画質は前三期と比べても劣る所はまずありません。雨に濡れた電車など、新しい技術が利用されることが分かりました。

ストーリーはとても微妙です。初めて観る人にとって面白いと思うかもしれませんが、前3作を何度も観ていた私にとって、最初からエンディングが分かってしまいました。良い面として、時代と共に、キャラクター達がスマホやタブレットなど現代的な物を使うようになったので、古いとは思いません。

地獄少女のキャラクターデザインはとてもセンスがあると思います。十数年が経ってもダサい感がありません。そもそも、アニメの設定によると、地獄少女は既に数百年以上働いてきました。確かに時代を越えているような気がします。久しぶりに新作を観れて、地獄少女は相変わらずこの世のどこかで活躍していることを知るだけで満足でした。

おそ松くんとおそ松さん

最近、いや、ここ数年で私が観たアニメは極めて少ないです。年を取ったのも原因の1つかもしれませんが、なんとなく観る気はありません。ですが、「おそ松さん」に夢中になっています。

最初の印象はおそ松立ちは「ドラえもん」ののび太と似て過ぎではないかでした。後で調べたら、どうやら作家たちは同じ時期、噂のあのトキワ荘に住んでいた仲間同士だというのです。

第一話、白黒のオリジナル風のおそ松たちが出てきて、新時代に人気を取るため、変化を求めたいと言われていました。そして、作風が一変し近代化しました。ありきたりの平成20年代の学園青春物語になってしまいました。その時、「うわぁ、クサくなったじゃん」と心の中で悪評しました。結局、なんとそれはだたのネタでした。本物のテーマ曲が始まって、これは良いアニメだと判りました。

「おそ松くん」は日本でかなり有名な漫画だと聞いて、この前アニメ版を観ました。流石に古き良き時代感じいっぱいなのです。白黒の画面、昭和特有の声と響き。びっくししたのは、はた坊とか他よ~んとか、そしてシリーズに欠かせないイヤミ、彼らの声は今の「おそ松さん」のとそっくりだと思います。なぜでしょうね。同じ声優の可能性とは思えません。

そう、キャラの名前も面白いです。各々の特徴を示していますね。はた坊は常に日の丸を頭に刺し、ダヨーンの口癖は「ダヨーン」で、デカパンはでかいパンツしか履いていなく、イヤミの名前は昔「井矢見」と表記されていましたが、実は「嫌味」でしょうw。

因みに、6つ子の名前はなかなか覚えにくいと思います。けれど、大体どんなヤツがいたか分かります。そう言えば、6つ子を養うために、相当苦労したのではないですか。もう段々大人になってきている私の所に、6つ子をやってきたら流石に厄介なことになると思いますね。

「おそ松くん」は普通の子供向けアニメですが、大人が観ても面白いところも少なくありません。昭和人の考えと生活を観察できて大変重要な参考資料だと思います。そして、旧軍おじいさんと海軍テーマも出てきますし。今のアニメから想像できないことでしょう。子供向けのアニメなので、9割強のセリフが聞き取れます。

「おそ松さん」は完全に生まれ変わった作品です。そして一部のシーンは人によって大人でも受け入れられないはずだと思います。けれど、流石に時代を把握している素晴らしいアニメだと思います。そして、この作品はある程度日本人の縮図として扱えると思います。古い枠を継いで、新しい中身を作ることとはとても素敵だと思います。

PS4をやってきた

僕は、平成に生まれた子だけど、子供の時の初めてのゲーム機はファミコンだぞ。(互換機だけど)
そして、従兄のお陰で、PS1もやることがあり、メタルギアやメタルスラッグをやっていた記憶を今でもちゃんと覚えてる。
それで、PS2世代末期にやっと自分のPS2を入手した。
その後、携帯ゲーム機に夢中になり、PSPとNDS両方やっていた。
だけど、PS3世代、即ち高校時代から生活が崩壊し、そのため勉強に専念するため、ゲームに関することには全く無関心になっていった。
その後、大学に入っても、ゲーム機を導入するか否かと検討し、「ゲーム機禁止令」を作って、2年間は自主規制してきた。
今年の春、「ゲームをやめても、勉強の効率も上がらない」という訳で「ゲーム機禁止令」を廃除した。
けど、実際ゲームを再び生活に導入したのは、今秋のことだ。
正直に言えば、今更、自分はもうゲームに興味がなくなった。けど、ゲーム機を持たないとなんか残念な気持ちが出てくる。
PS3の世代が過ごした今、PS3機はもう随分安くなった。
しかし、いつも古いものを買ってきたのは少し嫌な感じがして、いっそう最新型のPS4を買った。
本体は買ったが、ゲームソフトは買う気が薄い。
お金がない訳がないだが、買いたくない。それよりも教科書や小説のほうに投資したい。
おかしいだろう?僕のような奴。

『ARIA』の新作アニメが来る

『アリア』の元のタイトルは『アクア』と言われる

『ARIA』はおよそ10年前のアニメだ。原作はマンガだけど。初めて「アリア」を聞いたのは確か自分はまだ子供だった。あのころのテレビ局は今より自由なので時々日本の事情を紹介した。偶然、アリアの紹介を観た。好き、よかった。これはあの時の感想、まだ若いので、テレビで放送される内容しか見えられなかった。

その後数年後、大体2008年のとき、オタクになってしまったみかんはついに「アリア」の本編を観た。あの感動さ、今でも覚えている。同期「第三回紅白夢寐合戦」という活動は挙げられた。そのうち『その 遙かなる蒼の物語は…』というMADがあった。画面と音楽のコラボレーションが丁度いい。そのため、アリアのことをもっと好きになった。

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MADのうち使った曲「flowers in the park」が含めるアルバム

後ほど、原作マンガ、DVDなど周辺を相次いで入手し、一時うちに迷惑をかけてしまった。

高校で人にいじめても、ポケットからマンガを取り出して読んだ。そしてこころは癒やされた。自分の人生を変える作品と言っても過言でもない。

今でも、疲れる時、電子書籍を開いて何ページを読んでいる。

そして最近、新作アニメが出て来るというニュースが聞いた。少し旧い情報だが、興奮する。みかんは大体11月末日本へ行って間に合うだろうか。もしよければ、日本の映画館で観たいんだ。

原作はもう完結なのに新作はどう展開だろう?