映画館から帰ってきてから、自分なりにネットで考察や口コミを調べてみて自分の認識をダブルチェックした。やはり、この作品はもう完全に宮崎駿監督のやりたい放題であり、観客の立場をまるで考慮していないように見える。メッセージ性が完全にないわけではないけど、物語自体が成り立っていないと思う。内輪ネタが多く、大変僭越ながら、本ブログの投稿みたいな自分の思いつきを至高な映像美で装飾し、有名人声優を付けて世に送り付けたように思う。
なぜ戦時中なのか、なぜ鳥なのか、なぜ積み木なのか、本作の世界観は難解というよりまるでランダム。なぜ戦時中なのかという問いについて、おそらく宮崎駿監督自身の成り立ちから引っ張ってきたと思う。監督自身は戦時中にまだ幼児だったが、父親が軍用機関連の工場を経営している点は主人公一家の設定と似ている。冒頭に戦争に触れながら、全編を通して限定的であって、プロットデバイスに過ぎない。戦時中という設定を変えても本作にほとんど影響がないと思う。
物語を要約するとかなりシンプルだ。主人公一家は戦時中に疎開先に引っ越し、悪そうな喋る鳥(アオサギ)に惑わされ、人を食べる喋るインコが溢れている異世界に入り、子供の時に母親と一緒に失踪した今の母親(継母)を連れて現実世界に帰還するというファンタジックなお話。このようにまとめて見れば筋が通るように見えるが、実際一貫にしておらず、物語の進み方がランダムで、キャラクターの行動と動機に不可解が多い。
至高な映像美という表現を使ったが、それをもって楽しめるとは言っていない。作中のアオサギはポストのバージョンよりずっと気持ち悪い。普通のアオサギ形態も描かれているが、喋り始めるとくちばしに人間の歯が生えてきてすごく気持ち悪かった。異世界の住人のインコたちは一見可愛らしいけど、本気に主人公を殺しにかかってくるし、実際人を解体して調理して食べてることを思わせるシーンもあり、倒錯的で気持ち悪い。
また、本作のヒロインにあたる少女が子供時代の主人公の母親という設定もまた少し気持ち悪い。成人としてどうしてもピュアに仲間とか親子とかの関係だけ捉えることができず、フロイトのエディプスコンプレックス、いわゆるマザコンを連想してしまう。それ自体は健全だと思うし、そういう感情を持っている、もしくは持っていた人は大勢いる。しかし、気まずくて少し気持ち悪い。
最後はメッセージ性に関して少し自分の理解を語ってみたい。まず簡単に異世界(「下の世界」)の構成を説明する。大雑把に管理者(神様的な)が住む領域、主な住人インコの国、その他という3つに分けることができる。その管理者は主人公の行方不明だった大伯父であり、毎日積み木を使って異世界のバランスを維持している。インコ大王は管理者に尊重しながらも、今以上の自分たちの権益を広げようとしている。管理者は自分の仕事を主人公に継がせようとしても拒否された。一方それを盗み聞きしたインコ大王はなぜか急に怒り出して管理者の積み木を真っ二つに切ってしまう。それによって異世界はあっさり崩壊した。
宮崎駿監督は自分の後継者をうまく育てられなかった虚しさを伝えているか。もしくは、アニメ業界全体として、アニメーターに高い成果を求めるものの、現状の低賃金の体制を強いることを語っているのか。あるいは、日本全体として警鐘を鳴らしているのか。職人に後継者が居ない話はもちろんよく耳にしているが、何より、今の世代の日本人は子供を作りたがらないから、社会の後継者が足りないのだ。昨今自分だけさえよければ、次の世代の形成を他人に押し付ける人がすごく多くて、まさに作中のインコたちの姿勢と重なる。
本作の最大の問題点は、作品内容を伏せて宣伝しない戦略にあると思う。冒頭に戦争への繊細な描写はさらに観客をミスリードした。事実、私は冒頭の空襲シーンを見て涙が流れたし、風立ちぬみたいな戦争をテーマにしている映画かと思った。その故、疎開先から思い切ってファンタジーに切り替えた時に、気持ちの整理がつかない自分はすごく抵抗感を覚えた。ファンタジーとしても前述の通り、物語自体面白くないうえ、そもそも成り立っていない。物語のためにシーンを作ったわけではなく、そのシーンを作りたいから無理に物語を書いたとしか思えない。
この映画はもし宮崎駿監督ではなく、もっと普通なクリエイターとか、端的に言えば無名監督が作っていたら絶対批判を浴びたと思う。まあ、宮崎駿監督ほどの人物でもなければ、そもそも企画としてどこでも通らないだろう。
