釜山行


東京下見に前に、なおテンションが低くて、旅を出ようと考えました。下関を経由し、釜山へ行きました。

誤解を恐れずに言えば、釜山は中国の地方都市みたいです。とこへ行ってもハングルですが、雰囲気がそっくりです。とは言え、日本の要素も含んでいます。例えば、バスには「ストップ」バタンがあって、一部の会社の名前に「(株)」が付いていて、どこにも常備灯が付いているなどです。

韓国の2番目の大都市を見て、中国が結構頑張ってきたのだと思うようになりました。なぜなら、生活の便利さでは、中国の内陸地方都市もあまり韓国に負けないからです。(ネット規制などを除く)

英語より日本語の方が通じます。僕の予想と真逆です。日本語をある程度理解できる人が割りと多く、そのお陰で困ったことは少ないです。反って英語の方が、全く分からない人が大勢いるそうです。

アパホテル体験談

最近話題になったアパホテル、実は最近泊まったばかりだ。広島駅前店だった。そこに予約した理由は、まず広島試験センターから凄く近く、すぐ隣にあったからである。そして、料金も安くて、一泊5000円だった。

一番面白いと思ったのは、部屋に置いていた自社漫画だ。「このホテルは意識高いな」と思わず呟いてしまった。今思えば、確かに歴史に関する本もあった。普通の歴史の読み物だと思った。そしてテレビから無料に右翼番組を観れた。しかし、品質は悪く、安っぽくて不満だった。それから、BBCも観れてとても満足した。自慢の大浴場については、実はそれほどでもなかった。まずサイズは小さいし、露天と言いつつもどこが露天が全く分からなかった。ただ、清潔感があるのは確かで、ひとまずリラックスできた。

更に、その日は完全に着物で泊まったのだ。堂々と保守の姿勢を構えた企業は、着物姿の私から中国のパスポートを見せられてどういう気持ちだったのだろう。

番外

今度、受験などの需要な用事の場合、もう着物で行きたくない。これは無茶し過ぎだ。流石に試験の大きな支障となる。せっかく英語の会話と作文が大幅に進歩したのに。今度またアパホテルに泊まるかもしれない。

「君の名は」鑑賞雑感(ネタバレ無し)


12月2日、私は出雲で「君の名は」を観ました。その日は丁度この映画が中国で上映される日でした。結局渡しは日本に居るにも関わらず、中国人達より早めに観ることができなくて、少しがっかりしました。

出発前日まで、まだ躊躇していました。今更本当にわざわざ映画館で観る必要があるのか、もう少し待ってDVD・BDを借りるのはどうかと迷っていました。その結果、行くことにしました。山陰本線で日本海沿岸を沿って2時間くらい掛けて出雲へ行きました。景色が美しくて、まるで映画のようでした。ですが、如何に美しいと言っても2時間は少し飽きました。和装でしたかた、カメラの他、本とか全然持っていきませんでした。

終に11時30分に映画館に着きました。チケットを買った時、12時50分上映開始だと言われ、茫然としました。その後、なんとか暇を潰すと、漸く(ようやく)上映開始時間になりました。音楽が響き渡った瞬間に感動しました。相変わらず新海流の画面、そして、新海誠監督は成長している実感があります。その映画は、私の心の底にある何かを呼び起こしました。「日本は相変わらず僕が少年だった時に好きだった日本だわ」と心で呟きました。

「シンゴジラ」の情報量の膨大さと「この世界」の広島弁と違って、「君の名は」には飛弾弁が若干ありますが、9割以上のセリフが聞き取れました。私は24歳になったが、主人公達と上手く共感できました(自分の心はもしかしてまだ高校生のままかも(笑))。

物語は面白く、時に笑いを禁じえませんでした。思いがけなかったのは神道の要素も含まれていたことでした。展開は少し予想外だったので、ストーリーに夢中になっていました。終盤の時は本当に涙が出ました。RADWIMPSさんが作った音楽は本当に素晴らしすぎて、しかも画面とマッチして流れているので、更に感動しました。(タイトル:スパークル)

映画館から出て、すぐに共に新海誠ファンだった旧友に「『君の名は』を観た。泣いた。」というメッセージを送りました。この映画は私にとって作品本来以上の意味があります。この映画は私が今まで歩んできた人生を肯定しました。根本的なモノを再び私に思い出させました。私が日本にきた理由は、決してご都合とか出世したいのではなく、また中国が嫌いでどうしようもないわけでもありません。私が最も心が繊細だった時に日本に惚れ込みました。或いは運命のようなモノに導かれてきました。いずれにせよ、それは「気持ち」です。悩む必要はありません。

思い切ってこの映画を観にきて本当によかったです。映画館から出た私は、前より分かりました。低かったテンションが回復しました。本当に癒やされました。この状態が長く続くことを願っています。そして、私の人生を彩り、意味を与えてきた新海誠監督に一言を言いたいと思います。

「ありがとうございました。」

平成28年12月4日

呉市初訪・「この世界の片隅に」感想(ネタバレ有り)


11月12日、私は着物で広島駅を経由して呉へ行ってきました。実は、来日した前からこの旅を図ってきました。この前「シンゴジラ」と「君の名は」を見逃して、悔しかったです。今回は上映当日に映画の舞台たる町でそれを観ると考えていました。

その映画は「この世界の片隅に」です。

随分前から少し原作を読みました。一般の戦争ジャンルの作品と違って、この作品はごく普通な少女すずさんに集中します。すずさんの人生を通じて、日常生活の立場でその歴史を表します。すずさんは美しくて正しい、まるで大和撫子のような存在です。戦況の悪化と共に、もしかしてすずさんも最悪な運命を迎えるかと心配して途中やめました。ですので、映画を観た前に結局を知りませんでした。

呉へ行く

バスで広島市に到着して、滅茶苦茶都会感を感じられました。路面電車もあり、面白かったです。終戦直前に、ここは原爆されて本当に簡単に信じられません。JRを利用して、呉市に向けました。

私は電車を乗る時に、車掌室の傍に立つことが好きです。車掌の運転を観察したり、電車が前に進む景色を見たりして心地よいです。沿線の風景も美しく、太平洋も見れます。恐らくこれは私が初めて太平洋を見たでしょう。沢山の写真を撮りました。

終に呉市に到着しました。大きな町ではないですが、賑やかな場所です。何より映画館でもあって、決して田舎ではなりません。立派な都市です。グーグル・マップのお陰で簡単に映画館「呉ポポロ」に着きました。映画上映よりまた時間があって、私が昼ご飯も食べていなかったため、近くにある「大黒屋」という店で噂の海軍カレーを食べました。カレーの後なんとコーヒーが付いていて、思いませんでした。

丁度開演時刻になって、早速に映画館に着きました。思ったより全然違って、映画を観にくる人たちに年配の方が結構居ました。そして着物を着ていたのは私だけで、とても目立ちました。

映画に関して

音楽は良かったと思います。最初のシーンからBGMのせいで泣きたくなっていました。

流石に終始広島弁で、この前の「シンゴジラ」より酷かったかもしれません。5割弱しか聞き取れなかった感じがします。でもなんだかぎりぎり観れる感じがしました。

この作品は特に戦争の酷さを強調せず、かえって軽く描写していると思います。配給がなくなって、すずさんはリラックスな雰囲気で色んな手段を使って代用品を作り出す。お兄さんが戦死したとしても、僅かのシーンで軽く表すだけでした。ユーモアも欠けません。劇場でよく笑い声を聞けました。

クライマックスはすずさんと同行している晴美ちゃんがアメリカが投下した爆弾に襲撃され、晴美ちゃんは死んでしまって、すずさんも大切な右手を失ってしまいました。このことから作品の軽さとユーモアが消えて、重くなりました。

いつも楽観的なすずさんは遂に鬱々とするようになりました。妹のすみさんの誘いにより気持ちが落ち続いていくすずさんは広島へ帰る思いが出ました。時は昭和20年の7月、例の原爆より結構近い時点でした。それを観ている私はとても心配でした。すずさんはもし本当にそこの所に実家へ帰ったら最悪なエンドを迎えるしかありませんから。幸い夫の周作さんに説得され、このまま呉市に生活し続きました。

すずさん1人の生活に集中しても、戦争末期と原爆の酷さは全く描かれていないわけではありません。

本当にかわいそうでした。なんで描き最好きのすずさんは右手を失わないといけないですか。アメリカはどうして平民を標的にして狙いましたのか。そもそもこの戦争は一体何の為にやっていましたか。

私にはなかなか理解できません。

帰り道

映画を観終わって、胸が塞がっている気がしました。泣きたくて、でもそのまま泣き出してもおかしいから気持ちを抑えました。

とても鬱な気分のまま、その日学校へ帰りました。実は、この投稿を書いている今でも、まだ完全に回復していません。

でも、「火垂るの墓」並みのバッドエンドではなくて本当にホッとしました。もしすずさんが本当にそのまま死んだら、その日私が帰ることができなくなるかもしれません。

南京大学のお爺さん

私は今南京大学にいます。TOEFL試験をきっかけに、週末に南京へ行くのが定番のようになっています。

キャンパス内で写真を撮っていた時、知らない老人が話しかけてきました。それぞれ自己紹介してみると、老人はこの画稿の元物理学者と分かりました。私が経済専門だというと、相経済のころを話し始めたました。このところの不況について、楽観しているようでした。お爺さんは計画経済時代の想い出を私に話しました。おまけにマオを批判し、今の体制を肯定する態度でした。

そして、外国語への理解の必要性を主張しました。若いうちから外国語に慣れておくべきだと言いました。自分を例に、中学時代にフランス語、高校時代に英語、大学時代にロシア語をそれぞれ勉強したが、今フランス語と英語しか覚えていないことを教えてくれました。勿論、こういう場合、自分は英語と日本語ができるとアピールしたかったのですが、空気が読めなさすぎると思い、話しませんでした。

最後、「今の国は素晴らしい、君たち若者は、いい時代に生きている」と励まされました。そこまで言われると、少し悲しい感じがしました。私が国を捨てているのはさておき、南京大学の「エリート」、「勝ち組」たちからも「アメリカとドイツのどっちにしようか」という風な雑談が聞かれます。この国では深刻的な人材流出が起きています。

アクセントでこのお爺さんも上海人かと思って訊いたら、本当に上海人だったと分かりました。フランス租界で育ったと云っていました。彼は私と同じく、世界各国により作られ、運営されていた上海を認めているようでした。ですが、その上海はもはや歴史になり、体験者たちも僅かしかいなくなりました。とても残念だと思います。

平成28年3月27日

南京

やはり旅行が好きかも


上海神社を見付からなかった後、空も段々暗くなって、私は一応歴史的な所へ移動すると決めました。途中「New Asia Hotel」(新亜細亜ホテル)など色んな立派な昔の建物を見ました。終戦まえの上海は本当に物凄い場所だと察しました。

ロシア領事館に辿り着き、写真を撮ろうと思ったら、一枚撮った後スマホの電池は切れてしまいました。その時に、ミラーレスを買おうと思いました。

やはり旅行は面白いですね。将来、日本を拠点にして、様々な所へ行ってみたいと思います。

上海神社遺跡探訪(失敗)

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今日、出掛けました。家に篭っても退屈ですし。訳がある為、心も黒く染められてしまっていました。どこでもいいから、とにかく出掛けましょう。

現在の「家」から駅まで辿り着くために、1時間掛かりました。目的地は取り敢えず、上海神社の遺跡に設定しました。スマホで昔に検索していた歴史文献とある中国(チャイナ)関係の日本人のブログを再び確認し、江湾路へ向かいました。

間も無く目的地に到着しましたが、遺跡が見付からなかったです。遺跡と言われる所は今は警備厳重な軍事関係施設です。文献によると何かが残っている筈なのに、同時上海神社を写った葉書と照合しても、それと似たような建物が見えなかったです。中にも入られませんし。当時上海に住んだ日本人にとって有名な「六三園」の遺跡に伺うと、なんとそこも軍事関係施設になっていました。仕方がなく、遺跡と言われていた場所に葉書と一緒に撮影しようとしたころ、中の軍人さんに止められました。無理もしたくなく、二拍手して上海神社さんと挨拶して、離れました。

旅行したい

元ヲタクですが、実は私は旅行や外へ遊んでいくことが好きです。小学生と中学生の時、学校の課外活動を楽しみました、毎回思い存分遊んでいました。「もう二度とないかも知れない」とはっきり意識していました。今でも、趣味を問われたら、「旅行」が答えの1つです。

子供から高校二年生まで、僕が外で事故に遭うのではと心配されて、独りで「遠い」場所へ行くことが禁じられていました。両親と一生であれば、外出できたのですが、両親自身が室内派のため、結局。。。中学校の時、気になっていた女の子と一緒に市街で行われていたアニメ展へ行くつもりでしたが、その理由で行けなかった、少し残念でした。

高校2年が終わった夏、ようやく塾へ通うために、独りで市街に行っていました(家から地下鉄に乗って1時間掛かるくらい)。あの時の私は凄く興奮して、沢山写真を撮って、家に帰ったら嬉しくてブログに「初めて独りで市街に行ってきた」という日記を書きました。後日s、「初めて独りでカフェに入った」という日記もできました。少し信じられないかも知れませんが、それは僅か4年前のことです。あの時あまり違和感を感じていなかったですが、今再び読むと少し何か変な感じがします。

日本人の知り合いの中で、中国に興味のある方が何人がいます。彼らはよく中国へ旅行しにきます。上海、ペキンなどの大都市だけではなく、満州、西安など様々なところを巡っていました。大陸で幅広く活躍しています。本当に偉いと思います。そんな沢山のところへ行った経験があるので、きっと私より中国の事情を理解しているでしょう。同時に、私も彼らのことが羨ましいです。

大学に入ってから、試験のために自分なりに「旅行」を何度もして、日本にも行きました。けれど、まだまだ満足していません。真剣のためではなく、気楽に、もっと色んな場所へ行きたい、色んな人と付き合いたいです。学業が暫く落ち付いたら、日本各地から旅行を始め、生活の定番にしたいと思います。

「国慶」連休、人だかりができる上海中心部へ行ってきました

チャイナには、7日間の連休が2つあります。春節と「国慶節」です。

(昔は「労働節」(5.1)もありましたが、もう廃止されました。)

春節のとき、「実家に帰る」という風習があるので、上海は逆に人がめちゃくちゃ少なくなって、1980年代の上海に戻ったみたいです。

ですので、逆に人が必ず大勢いる「国慶」には、上海人が地元で遊ぶのはあまり良くない選択だと思われます。ですが、自分もほかのチャイナ人(「外地人」と呼ばれます)と同じように、上海へ行くチャンスがわずかになった今、仕方がありません。

家族と一緒に、まず繁華街「南京路」へいきました。

やはり、現場は警戒がかなり厳しくて、現場の秩序を維持するための「武警」(準軍人)たちの姿さえありました。武警さんたちは並んでお互いの手を繋いて人間の「ドア」を作りました。

信号灯が緑になると、「一、二、一…」という号令を叫んで「ドア」を開けて、人々を通します。まもなく赤になると、指揮官の命令に従って、「ドア」が段々閉じていきます。

これは、おそらく外国だけではなく、チャイナでもあまり見られない光景かも知れません。十字路の周辺、チャイナ人も外国人も携帯やデジカメから一眼カメラまで使ってこの光景を記録したいようです。

そして、母と話しながら、上海最大規模のソニー専門店やユニクロなど気に入っている店を巡ってきました。とは言え、ウィンドウショッピングしただけです。母は気に入ったユニクロの洋服を買いましたが。

昼ごはんと晩ごはんは、母はまた韓国料理が食べたがりましたが、私は母を説得して、あまり試したことがなかった香港料理を食べてみました。

美味しかったと思いますが、本格的かどうかわかりません。