結婚失敗、妥協、死守、そして撤退へ

いくらつらい仕打ちをされても、最近まで私は依然として妻の将来を案じ、離婚を避けようと妻とその家族に訴え、冷静さを保つよう呼びかけていた。気付けば自分の日常も崩れ始め、妻のことを心配するところではなくなった。そこまではまだ私たちの夫婦関係において、どこが問題なのか、どのように改善すればよくなるのかを詳しく指摘できていたが、次第にただこのつらい状態から脱却するしか何も考えられなくなった。

皮肉なのはどんなに頑張っても、どんなに正しいことをしようと、なぜか私だけが皆さんに責められる立場になっている。私のことを「自分の息子」だと呼んでくれたお義母さんは真っ先に私を批判した。妻の告げ口で私たちのことを知った自分の親族も揃って私を批判する。自分の両親でさえ、最初は私を批判し、妻を擁護していた。二人の家庭を支え、何度も何妻を許してきた私が、なぜか悪者にされ、生贄にされている。中国に居た時の経験を彷彿とさせられている。

私の結婚は失敗である。幸せを全く感じたことないわけでもないが、その期間は極めて短かった。妻の本心はどうであれ、彼女は自己中心的で、自分には甘く、私には厳しい。家で食事をする際、自分の食器しか用意しないほど、彼女は自己中心的だ。振り返ってみれば、最近まで離婚を全力で回避しようとしていた自分はもはや正気の沙汰ではない。この関係にすでに希望がなく、先に伸ばせば伸ばすほどダメージを受けることも気づかずに、いや、その事実から目を逸らしてきたんだ。

私のほうに全く落ち度がないかというと、そうでもない。妻に八つ当たりしたこともあるし、妻の携帯を投げて、つまり暴力を振るったことさえあった。しかし、私は本当に妻とその家族にこれほど酷い扱いをされなければならない人だと到底思えない。だって、妻のために私はやれることを全部したから。

アメリカまで行って必死で得た内定、一生に勤めたかった会社を辞めて東京に戻った。もちろん、それはすべて妻のためではないが、妻が大阪に移ることを固く拒んだことが、大きな要因となった。妻が私と相談せずに勝手に仕事をやめた時、私は激怒しても最終的に妻のことを許し、共働きを諦めた。平和な生活を望み、妻の要望に応じて妻の苗字を名乗ったが、一度も感謝されず、平和な生活もやってこなかった。

これ以上何をすれば良いか、再び自分を殺し、自分が全て悪いと妻に謝罪する以外に、復縁の道はないと思う。しかし、譲歩しても平和な日々がくる保証はどこにもないし、今度どんな理不尽な要求を言われるか分からない。焼け野原のような生活と精神的な限界に直面し、冷静になればなるほど、離婚すべきだという考えが強まる。

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