「親日」の終わり

「親日」を止めようかと最近よく考えます。感情面と現実対応の2つの理由があります。

私がいつから「親日」になったか思い出せません。そんな行動して、「親日」の姿勢を構えたら親中の日本人と親しくなりました。特に、日本語が上手くなかった時期はそれも有効でした。

感情的な理由として、「親日」の前提は外国人であることです。外国にいて日本の利益を守ろうとする人たちのイメージです。客観的にも、私は既に日本に住んで、母国のアイデンティティを諦めようとしています。母国で日本を語るのはおろか、外国人である認識も薄くなっています。「親日」の思想に当てはまらなくなりました。

現実に、日本人の言う「親日」は対等な存在と見なしていないと思います。それに関するニュースを読んだら分かります。まるで「親日」は即ち、日本人の言いなりのようで、あまり気に入りません。経験上もそうでした。余計に「使いやすい奴」と勘違いされることもありました。

ということで、大きな役目を果たした「親日」は終わったと思います。できれば、当たり前のように「別に、日本が好きともいえない」と主張したほうがより健全に日本人と付き合いできるかもしれません。

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