学籍の一歩手前

数ヶ月前に、出身校の証明書を取れなくなったことを受けて高認試験に参加することを決意した。もちろん、十分な勉強時間を確保できず、弱みの日本史と物理基礎だけ勉強していた。他の科目はいずれ一般常識で乗り越えた。勉強したとはいえ、演習を怠ったせいで物理の手応えがかなり悪かった。今回無事に一発で全科目を合格できて幸運だった。

さてさて、高卒を取り戻したから、残っているのは大卒のみ、パズルの最後のピースだ。高認試験の後でも、私は一時学部をやり直すことを諦めて出身校に連絡しようとした。向こうは昔と全然変わらず、つねに私の想像を超えている。複数の部署に電話したが、電話に出る人もいなかった。まるでフィクションで、最初から実在しないようだった。

夜間か通信か

社会人としてちゃんと勉強できる大学についていろいろ調べておいた。とくに夜間大学が魅力的で、転勤が決まるまで実はすでに埼玉大学経済学部に決めていた。埼玉大学と10分以上の長電話をし、高校卒業証明書の件を交渉できた。卒業証書の原本を見せれば特例として出願させてもらえた。

大阪転勤が決まり、埼玉大学への出願が中断せざるを得なかった。関西地方は一見首都圏と大差ないかもしれないが、実は大学の数は遥かに少ない。その中でさらに夜間学部まで絞るとわずかしか存在しない。そのわずかな大学のアクセスも便利とはいえず、例えば確かに滋賀大学も夜間学部を設けるが、大阪市内からその最寄駅の彦根駅まで片道1時間以上もかかる。

関東と関西往復する生活、将来的に海外転任の可能性もあるからもはや通信大学という一択である。具体的に、唯一限りなく通常の大学と同レベルの教育・資源にアクセスできる慶應通信しか考えられない。慶應通信の選考は志望理由と720字程度の書評しかないが、卒業の難しさに知られている。それこそ、学歴の品位を保てたと思う。キャンパスも現住所から数駅程度で、アクセスがいい。

欲張り

実は、経済学で東大博士号を取る以外にも、他に勉強したいことがあるのだ。とくにMITの通信プログラム「MicroMasters Program in Statistics and Data Science」に強い興味を持っている。より実務的、先端的な知識だから、これからいずれ業務で応用できそうだ。

しかし、学費に少し困ったものだ。慶應通信は20万円で、MITも15万円がかかる。現に1つだけ選んでもその分の学費の捻出は容易ではないのだ。

博士号取得構想、アカデミアまでの道のり①

渡米直前に出席調整のために指導教員だったO先生と相談したところ、修士論文か就活か、1つを選んでくださいと言い渡された。就活に集中したほうがいいよとO先生が付け加えた。それで私はアカデミアに未練を残した。

社会人になっても、引き続き修士論文の作成を続けたいとO先生に言い残した。にもかかわらず、入社2年目半ばの今でも全然手を付けていないし、仕事だけで精一杯だ。在野研究も検討していたが、課題さまざまだ。何より、短期目標の欠如やコミュニティへの障壁によってとてもモチベーションを維持できるようにない。

熟考した結果、社会人生活を維持しながら大学に戻るという結論に辿り着いた。勉強を中心とされた学部と修士課程と違って、博士課程は研究力を問うから単位履修が付随的だ。そのためにスケジュールの厳しい社会人にとっても正規履修が不可能ではない。出身大学院の東大公共も、隣の東大経済もいずれ社会人選抜を設けているし、社会人6年間履修制度も用意されている。

実際目指している大学院はこの2つだけになる。そう、私は引き続き経済学を専攻していく。研究テーマは本業の医療業界に寄せるかもしれない。もちろん他の専門にも興味がある。例えばせっかくだから、理か工の学位を取りたいし、少し感覚が身についている情報系も面白そうだ。しかし、現実はそれを許さない。例え理想通りに入学できても果たして経済学博士を取れるかですら確信がないのに、完全に違う分野でゼロからスタートするだけの力が残っていない。(もちろん理工に転換するといきなり博士課程にいくわけではない)

目標は「適宜な博士号」を取ることだ。ルーツを持っている学校で、従来の分野を専攻して続けたほうが目標を実現する可能性が高いと考える。さらに言えば、最終的に東大公共の博士課程に入る公算が大きい。東大経済に関して駒場出身の経済学部生、その一貫とした経歴を持つ人がお好みで、そうでない人に厳しいイメージを受けている。両大学院のどちらに身を置いてもアクセスできるリソース、経済学図書館や教授陣など、さほど大差ないから、特にこだわっていない。

読書、「統合失調症」と反省

数ヶ月間ダラダラしてきて、今日はついに奮発して完読できた。この本はタイトル通りに「統合失調症」という精神疾患を教養レベルで解説する読み物だ。著者の村井俊哉先生は京大在籍の教授でしっかりとした専門性がある。

本自体は会社の大先輩に勧められたけど、統合失調症を知ろうとしたきっかけは実はTwitterにある。数ヶ月前に、Twitterの救急医Sukuna先生のTweetに返信したところ、不用意に統合失調症患者に関する偏見的な発言をしてしまった。Sukuna先生の厳しい指摘を受け止めた結果の1つとしてこの本を読んだ。

私の身の回りに統合失調症の患者がおらず、その疾患に対するイメージはかなりネガティブだった。「ビューティフル・マインド」という映画から得た比較的に客観的な認識でも、この本に否定された。確かに健常者として、統合失調症の症状を理解しがたいところがある。「幻覚」、「幻聴」や「妄想」など、まだイメージが湧くが、自外の境界が曖昧になっている「思考伝播」だったら話を聞いてよくわからない。

統合失調症の生涯有病率は1%、発病年齢のピークは20代前半とされている。他の数多くの精神疾患と同じ、やはり原因不明だ。ドパミンの量を抑制したことで症状が改善されるから、現時点で「ドパミン仮説」が一番有力だそうだ。本書も再三強調していることだが、統合失調症の罹患は子育てや地域と関係ないらしい。「親が厳しかったから、統合失調症にかかった」という「素人感覚」が批判されている。

とくに気になった1節として「妄想と宗教的信念との違い」がある。キリスト教の「ラプチャー」と仏教の死生観を挙げて、妄想と宗教的信念は実質的に区別できないことを明らかにした。実務上、そういったサブカルチャーによる奇妙なものを「妄想」としないが、サブカルチャーまでまだ形成されていない時、すなわち「教祖」の立場は非常に曖昧である。

ポスト渋谷時代の歩き方②三度目の正直、USCPAとおすすめできない予備校

今度こそ、USCPAを取ります。

民間企業を軽蔑し、両親に逆らえ、商学部より経済学部を選んだ私でしたが、大人しく民間企業で会計関係の仕事に就きました。

実は大学に入ってから裏に会計をリスクヘッジのツールとして運用しようとしてきました。それから、7年の月日が経ったにもかかわらず、私は日商簿記2級すら受かれなかったです。

USCPAの勉強を取り組んだのは、今回が三度目です。日本銀行の夢はもう消えましたし、会計も第二の選択肢から唯一の選択肢になりました。とても専念できそうなマインドセットになっています。1年間の時間をかけて、今度こそ終わらせたいです。

USCPAが必要となる目的

①社内に対し、英語財務の専門家というキャラを確立する為
事業会社で働く以上、USCPAという資格が直接に何らかのメリットをもたらすことがないです。しかし、USCPAの資格に合格できれば、その分だけの英語力と専門知識を持っていることが証明できます。

わが社は事業の中心を日本からアメリカに移しつつあります。近い将来に、必ず大量なアメリカ、国際会計に詳しい人が必要です。これも自分が採用された最大な理由ではないかと推測しています。

②いつでも転職できる身になる為
USCPAを持っていても、転職の場で意味がないと言われたことがあります。私はそのように思いません。転職サイトで求人を検索してみれば分かりますが、監査法人や投資銀行FASなど、そういった財務コンサルの求人に、USCPAは公認会計士(JCPA)および日商簿記1級に並んで必須要件の1つとして扱われています。

USCPAを持てば、必ず内定を貰えるわけではないですが、入場チケットの役割として必要不可欠です。

③格好をつける為
私の登録しているグアム会計委員会の規則によると、実務経験がなくても、「Inactive License」を取得できます。つまり、試験に受かれば正々堂々に米国公認会計士と名乗れますし、名刺に記載できます。

事業会社の社員なのに、名刺に公認会計士と書いているというシュールなシチュエーションを作ってみたいです。

おすすめできない予備校、「プロアクティブ」

私はプロアクティブという予備校を選んだ理由は信じられないほどシンプルです。大手予備校の中で一番安いからです。といっても、単位取得費用を含めて40万円くらい掛かった印象です。

プロアクティブをディスする前に、まずその良さを語ってみたいです。

・初期費用が安い(実は普通)
・グアム大学とコラボしていて、単位取得が便利(大事)
・過去問充実(当たり前)

詳細を割愛させていただきますが、JCPAの論文式試験があるように、USCPAにも予備校を頼らざるを得ないものがあります。それは単位履修です。規定の単位を持っていなければそもそも出願できませんから、アメリカの商学部会計科卒ではない限り、ほとんどの人にとって自力でなんとかなるものではありません。

では、なぜプロアクティブがダメなのでしょうか。

①講義内容が構造的にダメ
プロアクティブの講義の特徴的として、断片的、合格ラインギリギリなコンテンツしか入っていないことを挙げられます。つまり、テキストの内容を完全把握しても、試験で合格点をギリギリ取れるか取れないかの話です。

そもそも会計にさっぱりした人にとって先生の話を理解できるはずもなく、テキストも読めないでしょう。講義学習をなんとかやり過ごしても過去問を解けない上、解説すら読めないことが往々にあります。

この致命的、構造的な問題を解決するために、別途Becker社の教科書を入手しました。それを読んで初めて話が分かるようになっています。ちなみに、この毎年改定される教科書も相当な値段が付いています。

②過去問のシステムがダメ
過去問が充実しているところは上記で良さとして挙げましたが、それらにアクセスするための窓口が全く良いとは言えません。

なぜか、解説はビデオのみで、文字による記述がありません。解説を聞くために、1-2分の時間を費やさなければなりません。時間の無駄だけではなく、その口頭解説の質もばらつきなのです。分かりにくい時は、Googleで別の解説を検索する羽目になります。

日本語の個人指導は再開しました

「片言です、誰がどう聞いても。」

先日、ある方からこのようなコメントをもらいました。短いやり取りにも関わらず、さぞ酷いパフォーマンスを出してしまったのでしょう。落ち込むこころを抑えながら、久しぶりに梶井基次郎の小説集を掘り出して音読してみました。自分の音読を聞いて、確かにイントネーションが以前より変わっていることに気付きました。

その瞬間、私は悟りました。これから長い間、私は日本語の勉強をなくしてはいけません。血友病という遺伝性の病気があります。血友病に患っている人は健常者のように暮らすために、週に数回の注射が必要だそうです。私もまさに似ている状況に置かれているではないかと思います。専門者によるサポートを外せば、アクセントが劣化する一方です。

さっそく日本語先生をスカウトしてみました。数名の人選を確保して次々コンタクトしています。今日もある都内在住の先生とLINEを通じて、初回のレッスンを行いました。自分の弱みの1つであるカタカナ語について、思う存分に練習しました。オンラインレッスンという形が好きではなかったです。しかし、昨今の社会情勢を鑑みて、レッスン自体が成り立ててすでにありがたい話です。

言葉の勉強で頭が疲れやすいためか、今日の夕方にレッスンが終わったらまもなく私は眠りに落ちました。夢の中で日本語を喋っていたようです。目が覚めた時にも、確かに日本語で考えていました。この事実を確認できた瞬間、安堵感さえ覚えました。

日本語の先生を雇うにお金がかかります。レッスンと自習もすでに残り少ないプライベートの時間を圧迫します。しかし、日本人らしい日本語ができないことを一種の遺伝性疾患として捉え、上記のコストは生きるために必要不可欠なものだと考えれば、納得がいきます。

プロジェクトあずき、そしてGitHubを始めた

課題

修士論文の作成において、一番疲れたことは先行研究のまとめでも、研究手法の確立でもなく、データの入力だった。それは恩師のO先生にいつも言われていたことで、データ収集の難しさを痛感した。

当時、私は地道に100年度分以上の有価証券報告書から必要となるデータを手打ちで集計していた。その非効率さにものすごく違和感を覚えたものの、研究の完成を優先させた。

ブルームバーグ端末の限界

データ不足問題について、新たな指導教員のY先生にブルームバーグ端末の活用を薦められた。おかげで、東大でも数台しか配置されていないブルームバーグ端末の利用権をもらった。

あのデータの宝箱とも言えるブルームバーグ端末だが、残念ながら、私の研究にとって一番重要な「役員構成」に関するデータがとても粗末に扱われているようだった。出力の仕方にも不便があって、あまり役に立てそうになかった。

わずか数回の利用で私はブルームバーグ端末を諦めて、ツールの自主開発を決意した。

プロジェクトあずき

「プロジェクトあずき」は上記の課題の解決を目指し、開発されたPythonのモジュールである。本来なら、実証研究パッケージの「プロジェクトみかん」の一機能として開発していたが、やがて規模が大きくなり、1つのプロジェクトとして独立させた。

あずきは企業の有価証券報告書から経営指標および役員構成の情報を集計し、CSVファイルかもしくはExcelファイルに出力することができる。初めから汎用性を重視してきたので、主流の日本会計基準はもちろん、国際基準と米国基準も対応している。EDINETの開示文書(PDFファイル)であればほとんど網羅できるではないかと思う。

あずきの開発はすでに9割が完成しており、実用できるレベルに達している。

改行コード特定システム
(Backslash-N Positioning System)

プロジェクトあずきの機能を支えているのは、この改行コード特定システム(BPS)である。その仕組みは極めてシンプルなのだ。有価証券報告書のPDFファイルをPythonにインプットすれば、普段見えない大量な改行コードが文書の間に現れる。例えば、

私はみかんです。
アニメが好きですが、
オタクではありません。

という文章をインプットしたら、

私はみかんです。\nアニメが好きですが、\nオタクではありません。

というようになる。「\n」はつまり改行コードだ。この改行コードは実に便利である。あずきの汎用性を可能にしてくれた。確かに、Pythonにもともとfindやre.finditerなどの検索方法がある。しかし、それらの方法を特定のために使うと、些細な変動と違いさえあれば、すぐ汎用性が失せる。上記の例を敬語からタメ語にしてみよう。

私はみかんだ。\nアニメが好きだが、\nオタクではない。

ご覧の通り、敬語版と比べて「みかん」以降の文字の位置は全部変わった。そこで、改行コードを利用すれば、この問題を回避できる。なぜなら、改行コードの数も、相対的位置も変わらなかったからだ。

例として、「アニメ」という単語を特定したいとしよう。敬語版とタメ語版に関係なく、「アニメ」はつねに1つ目の改行コードの後ろ、2つ目の改行コードの前にある。文体が変わっても、「アニメ」の位置を特定できるのだ。これはBPSの仕組み、ロジックである。

GitHub

今日からGitHubを始めた。主にバージョン管理のツールとして運用していきたい。今まで独自にバージョン管理に努めようとしたが、だんだん限界感を覚えてきた。特に、最近引っ越し作業のために、1ヶ月間プログラミングを休んで、気づいたら、自分の書いたコードですら読めなくなった。より高度な記録および追跡が欲しい。

そして、全部ではないかもしれないが、一部のコードをGitHubを通して公開したい。せっかく思いついたアイデアだから、ヒントとして必要とする人に共有したい気持ちがある。近々、BPSを標準化してGitHubで公開しようと思う。

あずきちゃん

実証分析、単純労働と新しい知見のお話

予想外に、修士論文の作成は令和元年のうちにできた。テーマは今までの専攻と全然違って、企業統治(corporate governance)のことだった。日本銀行に入れなかった私は日本のマクロ経済の論文を執筆する気が全く湧いてこない。データのキャリブレーション(calibration)という高度なテクニックを用いて現実的な消費税増税の限界値を推定したくても元指導教員のO先生(財政学の有力学者)に否定されて諦めた。悩んだ末、単位履修も重ね、企業統治に目を向けた。10月まで企業と会計の話にド素人だった自分は短期間でそのテーマについて論文を書けたけど、さすがに自分もその価値を疑う。

方法論は学部時代の卒論とあまり違いがなく、ありきたりの実証分析だ。データとモデルを決めて有意義な結果さえ得れば、もはや論文作成の半分以上が終わる。そして、先行研究を探して理論と結びつけ、文章化すればきれいな論文ができあがる。

データ→モデル→結果→先行研究→執筆

極めてシンプルな、標準化した作業である。もちろん、実務上にデータの選びとモデルのチューニングなど、様々な課題があるけど。端的に言えば、別に大学の講義を受けなくても高校生でもできるではないかと思う。

具体的に今回の論文作成にあたって、私は上場企業30社以上、総計230年度分の有価証券報告書から必要となるデータを抽出した。モデルが昨今お流行りの機械学習の手法を採用した。他人(sklearn)が作った道具を借りてカスタマイズしただけだった。データでもモデルでも、いずれ自分の想像ではなく、かき集めたものに過ぎない。素材を揃えば誰でもできるから、単純労働のように思える。このようにすることで本当に「新しい知見」を生むのかと、私は迷っていた。

私の疑問に対してO先生は肯定的な答えをくれた。O先生は「新しい知見」を生産関数として捉えて、以下の方程式を提示した。

新しい知見=運×生産性(センス)×単純労働

ただし、投入要素の単純労働は

単純労働=先行研究の把握×分析技術の習得×データ獲得

として考えられるという。つまり、新しい知見を生むために、単純労働も不可欠な作業であった。決定的な要素はむしろ運だという。そして、高度なテクニックより、「誰でもできる」単純労働作業の中から新しい知見を得たほうが評価されるらしい。

同時に、O先生は去年のノーベル経済学賞の受賞者の研究を例として紹介してくれた。アビジット・バナジー氏(Abhijit Banerjee)、エステール・デュフロ氏(Esther Duflo)、マイケル・クレマー氏(Michael Kremer)という3人の研究者は貧困問題に対して実証分析を行ったが、一向にファンシーなテクニックを使わなかった。研究方法は従来のランダム化比較試験(RCT)だし、モデルもごく普通の重回帰分析である。データもモデルも、「誰でもできる」ものだったのに、見事な研究結果を編み出した。

結論、素材を揃えば「誰でもできる」単純労働でも「新しい知見」を生むのだ。テクニックより知ろうとしているもの=クエスチョンのほうがよほど大事である。O先生とのわずか一往復の連絡で私の悩みは解決された。これからも迷わず、地道に研究を続ける。