「片言です、誰がどう聞いても。」
先日、ある方からこのようなコメントをもらいました。短いやり取りにも関わらず、さぞ酷いパフォーマンスを出してしまったのでしょう。落ち込むこころを抑えながら、久しぶりに梶井基次郎の小説集を掘り出して音読してみました。自分の音読を聞いて、確かにイントネーションが以前より変わっていることに気付きました。
その瞬間、私は悟りました。これから長い間、私は日本語の勉強をなくしてはいけません。血友病という遺伝性の病気があります。血友病に患っている人は健常者のように暮らすために、週に数回の注射が必要だそうです。私もまさに似ている状況に置かれているではないかと思います。専門者によるサポートを外せば、アクセントが劣化する一方です。
さっそく日本語先生をスカウトしてみました。数名の人選を確保して次々コンタクトしています。今日もある都内在住の先生とLINEを通じて、初回のレッスンを行いました。自分の弱みの1つであるカタカナ語について、思う存分に練習しました。オンラインレッスンという形が好きではなかったです。しかし、昨今の社会情勢を鑑みて、レッスン自体が成り立ててすでにありがたい話です。
言葉の勉強で頭が疲れやすいためか、今日の夕方にレッスンが終わったらまもなく私は眠りに落ちました。夢の中で日本語を喋っていたようです。目が覚めた時にも、確かに日本語で考えていました。この事実を確認できた瞬間、安堵感さえ覚えました。
日本語の先生を雇うにお金がかかります。レッスンと自習もすでに残り少ないプライベートの時間を圧迫します。しかし、日本人らしい日本語ができないことを一種の遺伝性疾患として捉え、上記のコストは生きるために必要不可欠なものだと考えれば、納得がいきます。
