小さい時にテレビであるシンガポールの映画を見たシーンは未だに覚えている。C国語先生に将来の夢を聞かれて、英語で答えようとする小学生の女の子は指摘されて不機嫌そうにC国語で「飲んだら白人になる薬を開発したい」と答えた。当時の自分はその女の子の姿勢に疑問を持ったし、とても受け入れられなかった。
それから約20年、私は日本に移住し、C国語を生活から完全にと言えるほど駆逐できた。日常生活において全く使わないし、履歴書にすら記入しない。周りにC国語があまり得意ではないと公言し、仕事でC国語が関わる案件もなるべく引き受けないようにしている。強いていえば、両親との交流は仕方なく、C国語で行っている。その小学生の女の子の発言が思い浮かぶたびに強く共感する。
言葉としてのC国語が嫌いだ。時制が曖昧で、使いにくいし、四声あって発音も難しい。なにより発音が汚くて、表現がゲスい。特に東北部の人は必要以上にR音を出すから、気持ち悪くて聞くたびに鳥肌が立つ。物を買いすぎる時に「手を切断しなきゃ」という表現があるらしくて、家族から初めて聞いた時に思わずに「なんでそういう風に言うの?やめて」と不快を覚えた。
今の生活に全く役に立たない言葉のために生まれてから20年間も勉強し続けていたこと自体は時間の無駄遣いだし、必死に勉強してきた日本語と英語も必然的にそれに影響されて訛ってしまう。少しでも訛りを削るためにまた膨大な時間と労力を費やすことになり、本来ならば、専門知識や趣味など、本当に有意義なことに使える時間は大幅に削られた。
日本に暮らす外国人として、C国語が分かることは1つの強みというよりむしろ不利に働く。C国語が分かると日本人にアピールすると、まず英語が分からないではないかと勘違いさせてしまう可能性が高くなる。そしてC国語が母国語である以上、日本語力も低く見積もられてしまう。ここで敢えてC国語を除外し、日本語と英語が分かることだけ伝えるとかえって出身を曖昧にできて先入観が減り、語学に関してより適正な第一印象を与えられると思う。
こんな母国語は要らない。できることならばC国パスポートと一緒にごみ箱に捨ててしまいたい。残念ながら国籍を変えられても一度身に付けた言葉を完全に忘れ去ることはできない。そうすると、日本語を極めてよりきれいな発音ができるようにしかない。日本語ないし英語のプレゼンスを向上させることを通じC国語によるダメージを最小限に抑える。
日本人の妻にはもちろんC国語を勉強してほしい気持ちは全くないし、子どもができたら絶対教えないように決めた。
