現任の日本語の先生は出産を控えて今年いっぱいに個人レッスンをやめる予定だ。それと伴い、日本語の個人指導そのものをしばらくやめようと思う。来年の春から私も社会人になるから、スケジュールは今より忙しくなるだろう。何より、現任の先生のような人材を確保するのが困難だ。
日本語の個人指導を受けようとしたきっかけとして、島根時代から、私は周りの日本人と馴染めず、日本語の練習が大きな課題だった。この負のスパイラルを打破するために、日本人を雇って付き合ってもらおうという策を打ち出した。効果は抜群だった。
日本語教師の2名体制もあったが、現任の先生は最初から主力として私の日本語をサポートしてきた。彼女は私の発音を一つ一つ診断し、問題を特定しようとした。輪読、カタカナ語とタメ口の練習を通じて、私の日本語会話力と訛りは大きく改善された。日本語だけではなく、日本人の習慣、考え方と日本人ならではの体験を隠さず幅広く教えてくれた。
最初からこの先生に出会ったのは極めて幸運なことである。有償な個人指導だが、まるで日本人の親戚ができたような気がする。彼女が居なければ、私は迅速に日本社会の現実に馴染むことができなかったと思う。このような日本語教師は、これからもう出会わない。
さらに、このようにお金を払って友達をレンタルするようなことをして、長引いていい気がしない。2年前と違って、私の日本語力はかなり改善されて、日本人との人間関係も落ち着いてきた。露骨な仲間外れはもう滅多にないし、会話に入ることもしばしばある。わざわざ誰かを雇わなくても一定の会話量が保証できそう。
