定年を控えている父親のためでも、自分の未来のためでも、私は恨みを帳消しして一方的に父親に和解すると宣言した。それが黙認されて数年ぶりに父親と連絡を取れた。
私はあまり父親とまともに会話した記憶がない。話しても喧嘩になることが多かった。シングルマザー的な家庭で育ったと言ってもいいぐらい、父親からの良い影響が薄い。ネガティブなところばかりだった。
父親は高卒だけど、高校時代に全然勉強してなかった。若い時に彼の母親(私のお祖母さん)の自殺の件もあるし、性格がかなり激しい人だった。一方、責任を負うことが嫌だし、自己中心的だ。
絶えない暴力をされていたとしても、正直にいうとその時代にとって別にそこまで珍しいことではない。自分が病院に運ばれたほど父親がやらかしたのは一回だけだったし、浮気がバレて私のせいにしたのは大人になってよく考えてみると変だったけど。父親をどうしても許せなかったのは大学入試後の処遇だ。
向こうの人は大学入試を異様に大事にしている。大学に受かるまで勉強が人生の唯一の目的だと捉えられる。中高で苦しんだ分、進学できたら厚く労われる。よく喧嘩する両親、いつでもどこでもふってくる暴力、そういった高圧的な生活は成績が悪いのが原因だと解釈していた。良い大学に入れば、父親に認められて普通の親子になれると信じ込んでいた。
晴れてそこそこ人に言える地方公立大学に合格したが、父親への期待が裏切られた。大学に受かってから、家の雰囲気はむしろ重くなった。約束していたノートパソコン予算が1/3にカットされたり、「日本語勉強禁止」や「恋愛禁止」を言い渡されたりして、とても嫌な予感をしていた。とうとう、トップ大学に受かれなかった理由で深夜まで殴られた。その夏に大規模な暴力だけ3回あった。体の痛みより、信じていたモノの崩壊が致命的だった。
後で分かったが、まともな大学に受かったこそ父親にとって期待外れであって、どうすればいいか分からなくてとりあえず殴ろうとしたらしい。昔も別に自分が本当に悪いことをしたから殴られたわけではなく、どうもストレス発散として使われていた。せめて全力を注いだ大学入試という一大イベントで親らしい言動をしてほしかった。
大学入試のあの夏以降、躊躇せずに唯一の救いとしての日本に傾倒した他、かなり攻撃的になった。報復するために、親戚に喧嘩を売って大家族を解体しようとしたり、改姓したりしていた。急に奇声をあげたこともあるし、実家への鬼電も日課だった。7年も過ぎた今、そのような過激言動がだんだん鎮まってきたが、父親への恨みは相変わらず亡霊のように常に頭の中で徘徊していた。
このような父親だが、唯一不可解な行動がある。それは、お金のことに関して学費や生活費などをケチったことないところだ。公立大学時代はもちろん、来日してからも安定的に仕送りを送ってもらっていた。そのお陰で、学生時代に一度もお金に困ったことないし、むしろ快適だった。振り返れば小さい時、大事な電子辞書が父親に壊された時も、翌日に黙ってお金を渡された。自分のことを軽んじてきたと思ったが、その病的な振る舞いを父親がうまくコントロールできないかもしれない。
