時代から目を背ける私が間違っているのか

会社の名前が変わる。由緒正しき名門が幕を閉じ、グローバルを主張するカタカナ表記に生まれ変わる。グローバルを称して、次々とカタカナ名をつける風潮を蔑んできたが、あくまで他人事であった。今回とうとう自分事にされ、嫌でもぐっと呑み込むしかできなかった。

来日して以来、私が好きな日本の特徴は少しつづ消えてきた。コロナ禍のために、それがさらに急速になり、感情的にとても追いつけそうにない。PS5のボタン配置が海外仕様に統一されるとか、外国製EVが日本上陸とか、そういったニュースを見る度につらい気持ちになる。日本は世界の中心から離れ、どんどん異国の色に染まっているように見えた。

フレンチ、輸入車と欧米文化で盛り上がる「一般的な日本人」より、日本の色にこだわる私はもはや変人とも言える。和装で闊歩するなんて、新参者の勢いがないとなかなかできなかった。もし「日本好きの外国人」という身分だけで満足できればそれも悪くなかったかもしれない。一般的な日本人を目指せば、そこで同調しなければらちがあかない。

私だって和食よりイタリアン、国産車よりフィアット、休日があればNYと思う時がある。しかし、自分の中でそれらの考えが悪い、裏切りとしてよく捉える。大好きな日本への裏切り、あえて日本を選んだ過去の自分への裏切りなのだ。日本への愛情表現のつもりだったこだわりだが、どうも周りに理解されないし、時代に逆らっているかですら思える。

林一さんの論文で、日本の会社名のカタカナ化について分析し、その理由を「今日を生き延びためには過去の制約を過去は過去としてクールにかつドライに否定し、明日の飛躍を期すためにはより自由な存在でありたい」と説明してくれた。「(歴史、文化など)…すべて過去のものであり、現在、将来の足枷ともなる」という言葉はとくに心を打たれた。

私は「過去の日本」が好きだ。このために私は自分に縛りをかけていろんな可能性を潰した。後悔はしないが、今日を生き延びるために、そろそろ「現在の日本」と向き合わなければならない。

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