「雨」郁達夫

周作人(しゅうさくじん)さんは彼の書斎に「苦雨」という名を付けた。丁度(ちょうど)東坡(とうば)の「喜雨亭」と相反(あいはん)している。実は、北方の雨を見るとみんな喜ぶ。なぜなら希少だからである。今年のような水害は、全く雨が降り過ぎた結果とは言えない。我々は川を治める人を責めるべきだ。彼らは予防もしなかった。ただ事を茶化したばかりで国帑(こくど)を浪費していただけだ。一旦何かが起こったら、一方的に他人に責任を押しつけ、目前の危機を救うしかない。人生は色々、変わりながら面白くなるものだ。死があって生き、悲しみがあって喜ぶ。天候のことも一緒ではないのか?雨が降らないと晴れの可愛さも見えられないでしょう。夜の暗闇がないと昼の光も気付けないでしょう。

私は江南で生まれ育ったので、雨を好まないはずだった。けれど曇って暗い春の日乃至(ないし)花と木が枯れる時、もし少しだけ雨が降ったらなんと可愛いことになるでしょう!「小楼一夜聴春雨」、「杏花春雨江南」と「天街細雨潤如酥」。私の前に、昔の詩人たちが既にその良さを話しました。夏の雨は、暑さを緩和したり、作物を潤したりする。この大切さは言うまでもない。秋の雨の霞みと寒さは、また別の話だ。古人の「雨到深秋易作霖、蕭々難会此時心」という詩句は、秋の雨が意味深いとおいうことを指している。秋瑾(しゅうきん)さんの「秋雨秋風愁煞人」という長嘆となると、彼女自身の訳が含められている。人が勝手に愁(うれ)えているのに、雨とは関係ないでしょう。三冬の寒雨については、恐らくこれを好ましく思う人が多くないと思うが、「江関雁声来渺々、灯昏宮漏聴沈々」の巧みなところは、もし自ら体験していなければ決して悟ることができないことにある。曾賓谷は曾(かつ)て「詩品」から名詩を抜粋し、「賞雨茅屋斎詩集」を作ったことを覚えている。彼の詩境はどうか分からないが、「賞雨茅屋」という四文字は確かに面白いと思う!特に秋が終わりそうな、冬に入ったばかりの頃に。

民国24年10月27日「立報・言林」

カタカナ語の罪


随分前から「日本人の英語がおかしい」という噂を聞いてきました。ただのステレオタイプだと思っていました。なぜなら、その噂を流す方の会話力が特に高いと思えませんし。付き合っている日本人の友人の会話力もなかなか上手いし、彼はアメリカに住んだ事もあったのですが。

ですが、日本人の世界に近付けば近付くほど、確かにいくつかの変わった出来事と遭ってきました。例えば、質のいいアニメや映画なのに、その中のキャラ達は普通に変な英語を喋っていました。下手だという訳ではありませんが、片仮名の跡が著し過ぎだと思います。ユーチューブで様々な実況やレビュー、雑談などの動画を観た時も、違和感の強い英語をよく聞きました。

先日、知恵袋で多くの日本人が受けてきた英語教育の流れを親切な方から聞かせて頂きました。学校では英語の発音記号を教えていないということが判明しました。ツイッターでもよく「日本教育は外国語の発音を軽視している」という見解も見受けられました。

日本の生徒はほぼ最初から、正しい発音が分からないのです。だから、止むを得ず単語を片仮名で表記し、覚えてきました。これでは、発音が日本語らしくなってしまってもおかしくありません。日本人向けのフリーの辞典アプリで発音記号が付いていない原因は、湯までもなく、一般人は普段発音記号を重要視しないのです。

英語のみならず、外国語を上手く把握する為には、正しい発音が不可欠だと思います。ユーチューブのあるドイツ人の先生も「まず片仮名を捨てましょう」と強調しています。片仮名を通じて外国語を勉強してはいけません。複数のOSをインストールする様にもう一つの発音システムを作り出すのが正しい道だと思います。

旧正月離れ

今年の旧正月(春節)には、上海で私的な花火と爆竹の打上が禁じられていました。母も団地の花火取締り状況を監視する為、数日間深夜まで残業してきました。

従兄弟たちも年をとって、彼らの子供たちも大きくなりました。家族の中心は段々、親たちから私達に、確実に移ってきています。その為、親戚たちとの関係も遠くなっています。春節慣例の集まりは、ちっとも楽しくないと思います。

爆竹の音もなく、母は連日残業で、親戚と会う気もなくなり、私の新年に対する情熱は、既に先月に燃え尽きました。というわけで、今年はあまり従来の「新年の雰囲気」を感じられなかったのです。

残っていたのは不便だらけです。街の皆さんがほぼ帰省した為、速達やお店が、大体休業している状態でした。また、会食が頻繁過ぎて、少し太ってしまって、凄く困っています。

「爆竹の音も聞こえないし、新年らしさはないわ」という話を何度も耳にしました。春節が面倒くさいと思っていた人は決して私だけではないでしょう。少しづつ、中国(チャイナ)では「旧正月離れ」が進んでいるかも知れません。

円急伸の雑感

現時点で、日本円/米ドル=112.7円になっています。1年3か月ぶりの高値と言われています。日頃、円を観察してきたので、少し雑感を書きたいと思います。

日本人及び日本在住者にとって、今はドルを買っておけば損がないと耳にしました。私も基本的に同感です。海外旅行の為には、少しドルを買っておくのも悪くないかも知れません。

円高がこのまま続いたら、「爆買い」は終焉を迎えるようになるかもしれません。実際昨年12月のデータによると、訪日中国(チャイナ)人客の消費額が既に成長しにくくなっていたようです。個人的に、これまで数ヶ月に一回の頻度で日本から物資を調達していましたが、今はすっかり諦めました。

留学の寸前だからというわけではないのですが、仮に現水準の相場で円に交換すれば、昨年に買ったときより損するのは確かです。昨年、元安円高の展開が鮮明になったとき、両親と相談したことがありますが、結局私の主張は無視されてしまいました。回避できたはずのリスクをそのまま嵌ってしまって悔しかったと思います。経済的に独立できない立場にピンチを感じています。

乱高下の日本経済

世界の不況は続いています。アメリカは一時景気回復と思われて、金利が上げられましたが、結局1月の指標によって明らかなようにそれほど回復した訳ではないようです。ついに、日本円はリスク回避通貨として買われ、円高の方向に進みました。

今月始め、日本銀行は今までにないマイナス金利政策を導入し、一時日経指数が上昇し、円が再び下落しました。然し、僅か数後、日経指数は超安になり、円も対米ドル115円台を突破し、数年ぶりの高値になりました。日銀は投資家たちがマイナス金利のため株式にお金を投入すると予想しましたが、結局皆さんは国債市場に駆け込んでしまいました。お陰で、長期金利が一時マイナスになったという不思議な現象が現れました。

アベノミクスで唯一の効いてきた円安は失われています。日本経済はどうなりますか。分かりません。最悪なのは、現時点で分かる人が居ないみたいだということです。日経新聞はただ日銀の誤算とまとめて、既定事実しか伝えませんでした。上の人たちは、まだまともな発言は出てきていません。ただ、安倍首相は今日、「黒田総裁を信頼します」と述べました。

その発言は、未来の展開に楽観するより、もし失敗したら黒田総裁が全ての責任をとってくれるという意味だと読んでしまいました。

グローバル化

先日、コグマさんからポータブックというノートパソコンの記事を読みました。キングジムという文具メーカーが設計したパソコンです。わずか8インチ、凄くコンパクトで、一時話題になっていました。

昨日、私はユーチューブでこの製品に関する発表会のビデオを観ました。監督らしき人が設計の経緯を紹介したとき、「あっ、やはりこういう設計、日本人にしかできないね」と思いながら聞いたら、突然エンジニアさんが中国(チャイナ)語を話し始めました。本当にびっくりして笑いました。通訳さんもいるので、エンジニアさんは日本語が全然通じないことは分かりました。

調べてみましたが、キングジム社は外資ではないのです。他の国と比べ、日本のグローバル化はかなり遅いと思われますが、徐々にかなり進んだ感じがします。海外生産は既に普通うになった一方、ついに設計の一環にも外国人が携わるようになっているのです。

私は思いました。過度に純粋なニッポンらしさにこだわるなら、今の世の中ではもうかなり困難になったかもしれません。昭和の誇りに憧れてきましたが、私もあまりそんなにこだわらないほうがいいかもしれません。保守的な立場を保ちながら、時とともに変わっているニッポンんを受け入れたいを思います。

偽りの名誉、金でかった勲章

今日、学術雑誌社からの電話があり、私の論文は来月掲載されることが分かりました。少しだけ楽になった感じがしましたが、これはあくまで「強姦」されたにもかかわらず、生理的な「快感」を得たに過ぎないと思います。

なぜなら、この「勲章」は私が大金を払って買ったものだからです。

真剣に論文を書かなかったわけではありません。真面目に書いた実証分析の論文です。けれど助けてくれた先生は一人もいませんでした。他の先生たちがみんな忙しいのは仕方がないと言えますが、自分の指導教授とは相性が悪いため、その先生が私にたいしてできることは何もありまえんでした。

気に掛けてきた日本経済に関する論文を仕上げて、その下書きをドキドキしながら、学部長先生に見せたら、「全然中国の役に立たないじゃないか。」と言われました。
「文章は大体問題ないが、なんで中国のことを書かなかったのか?」
「中国の話題は既にみんなに注目されています。日本のことを書くのは、建設的だと思います。」と答えたら、
「こういう文章は海外の雑誌に投稿すべきだ。国内の雑誌では掲載されないぞ。」と否定されました。

まともな文章を書いたのですが、先生たちの支援を全て失った為、自ら学術圏へ突入し、その結果、底のない暗闇を目撃してしまいました。学部生にとって、教授の支援(名乗り)がない場合、大体金を払って、発表するしか方法がありません。勿論修士平均レベル以上の論文を書いたら、自ら発表するのも可能と言われますが。趣旨になっても、その値段が私のような学部生より安くなるだけみたいです。論文発表は商売に等しくなりました。

チャイナの学術環境は腐っています。そこに生き延びている私も止むを得ず、汚くなりました。卒業資格の一つを確保しましたが、そのために身についた穢が忘れられません。いつか、日本の教授の指導で、正々堂々と学術デビューしたいと思います。

やはり旅行が好きかも


上海神社を見付からなかった後、空も段々暗くなって、私は一応歴史的な所へ移動すると決めました。途中「New Asia Hotel」(新亜細亜ホテル)など色んな立派な昔の建物を見ました。終戦まえの上海は本当に物凄い場所だと察しました。

ロシア領事館に辿り着き、写真を撮ろうと思ったら、一枚撮った後スマホの電池は切れてしまいました。その時に、ミラーレスを買おうと思いました。

やはり旅行は面白いですね。将来、日本を拠点にして、様々な所へ行ってみたいと思います。

上海神社遺跡探訪(失敗)

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今日、出掛けました。家に篭っても退屈ですし。訳がある為、心も黒く染められてしまっていました。どこでもいいから、とにかく出掛けましょう。

現在の「家」から駅まで辿り着くために、1時間掛かりました。目的地は取り敢えず、上海神社の遺跡に設定しました。スマホで昔に検索していた歴史文献とある中国(チャイナ)関係の日本人のブログを再び確認し、江湾路へ向かいました。

間も無く目的地に到着しましたが、遺跡が見付からなかったです。遺跡と言われる所は今は警備厳重な軍事関係施設です。文献によると何かが残っている筈なのに、同時上海神社を写った葉書と照合しても、それと似たような建物が見えなかったです。中にも入られませんし。当時上海に住んだ日本人にとって有名な「六三園」の遺跡に伺うと、なんとそこも軍事関係施設になっていました。仕方がなく、遺跡と言われていた場所に葉書と一緒に撮影しようとしたころ、中の軍人さんに止められました。無理もしたくなく、二拍手して上海神社さんと挨拶して、離れました。

東京か、地方か


間も無く、三年下半期に入ります。学部生活も実質的に終わりに向かっていきます。結果を見れば、最善とは言えないですが、なんとかギリギリでここまで来られました。今年に入り、大学四年はどのように過ごすかという課題は避けられなくなりました。この春窮のような1年を活用し、日本で演習したいのですが、難しい選択と直面することになりました。

東京か、地方か。まるで日本の地方の若者のように、悩んでいます。

電話で打診し、東京のある私立W校に、私を履修生として受け入れる可能性が大きいと言われました。この学校は経済・商の分野で凄く有名なので、それを聞いたらとても嬉しかったのですが、膨大な学費に困っています。親たちに難色を示されましたし。自分も少し頑張りすぎかと思ってしまいました。

出雲のある県立S校は、私の大学の協定校です。一応県立ですので、学費はお手頃です。それに自分の学校から奨学金が貰えます。唯一の問題は、この交流計画は日本語専門の生徒向けのため、あまり良い経済学の講義がありません。偏差値も無論あまり理想ではないらしいです。でも、そこには出雲大社があって、オオクニヌシ様の領域ということに宗教的に好感をもっていますけど。

何にせよ、東京あるいは古都の大学院へ行く予定なので、取り敢えず出雲へ行くのが最善策と見なせられますね。確かに、強いていますぐ東京へいくのは少しわがままかもしれません。