「君の名は」鑑賞雑感(ネタバレ無し)


12月2日、私は出雲で「君の名は」を観ました。その日は丁度この映画が中国で上映される日でした。結局渡しは日本に居るにも関わらず、中国人達より早めに観ることができなくて、少しがっかりしました。

出発前日まで、まだ躊躇していました。今更本当にわざわざ映画館で観る必要があるのか、もう少し待ってDVD・BDを借りるのはどうかと迷っていました。その結果、行くことにしました。山陰本線で日本海沿岸を沿って2時間くらい掛けて出雲へ行きました。景色が美しくて、まるで映画のようでした。ですが、如何に美しいと言っても2時間は少し飽きました。和装でしたかた、カメラの他、本とか全然持っていきませんでした。

終に11時30分に映画館に着きました。チケットを買った時、12時50分上映開始だと言われ、茫然としました。その後、なんとか暇を潰すと、漸く(ようやく)上映開始時間になりました。音楽が響き渡った瞬間に感動しました。相変わらず新海流の画面、そして、新海誠監督は成長している実感があります。その映画は、私の心の底にある何かを呼び起こしました。「日本は相変わらず僕が少年だった時に好きだった日本だわ」と心で呟きました。

「シンゴジラ」の情報量の膨大さと「この世界」の広島弁と違って、「君の名は」には飛弾弁が若干ありますが、9割以上のセリフが聞き取れました。私は24歳になったが、主人公達と上手く共感できました(自分の心はもしかしてまだ高校生のままかも(笑))。

物語は面白く、時に笑いを禁じえませんでした。思いがけなかったのは神道の要素も含まれていたことでした。展開は少し予想外だったので、ストーリーに夢中になっていました。終盤の時は本当に涙が出ました。RADWIMPSさんが作った音楽は本当に素晴らしすぎて、しかも画面とマッチして流れているので、更に感動しました。(タイトル:スパークル)

映画館から出て、すぐに共に新海誠ファンだった旧友に「『君の名は』を観た。泣いた。」というメッセージを送りました。この映画は私にとって作品本来以上の意味があります。この映画は私が今まで歩んできた人生を肯定しました。根本的なモノを再び私に思い出させました。私が日本にきた理由は、決してご都合とか出世したいのではなく、また中国が嫌いでどうしようもないわけでもありません。私が最も心が繊細だった時に日本に惚れ込みました。或いは運命のようなモノに導かれてきました。いずれにせよ、それは「気持ち」です。悩む必要はありません。

思い切ってこの映画を観にきて本当によかったです。映画館から出た私は、前より分かりました。低かったテンションが回復しました。本当に癒やされました。この状態が長く続くことを願っています。そして、私の人生を彩り、意味を与えてきた新海誠監督に一言を言いたいと思います。

「ありがとうございました。」

平成28年12月4日

呉市初訪・「この世界の片隅に」感想(ネタバレ有り)


11月12日、私は着物で広島駅を経由して呉へ行ってきました。実は、来日した前からこの旅を図ってきました。この前「シンゴジラ」と「君の名は」を見逃して、悔しかったです。今回は上映当日に映画の舞台たる町でそれを観ると考えていました。

その映画は「この世界の片隅に」です。

随分前から少し原作を読みました。一般の戦争ジャンルの作品と違って、この作品はごく普通な少女すずさんに集中します。すずさんの人生を通じて、日常生活の立場でその歴史を表します。すずさんは美しくて正しい、まるで大和撫子のような存在です。戦況の悪化と共に、もしかしてすずさんも最悪な運命を迎えるかと心配して途中やめました。ですので、映画を観た前に結局を知りませんでした。

呉へ行く

バスで広島市に到着して、滅茶苦茶都会感を感じられました。路面電車もあり、面白かったです。終戦直前に、ここは原爆されて本当に簡単に信じられません。JRを利用して、呉市に向けました。

私は電車を乗る時に、車掌室の傍に立つことが好きです。車掌の運転を観察したり、電車が前に進む景色を見たりして心地よいです。沿線の風景も美しく、太平洋も見れます。恐らくこれは私が初めて太平洋を見たでしょう。沢山の写真を撮りました。

終に呉市に到着しました。大きな町ではないですが、賑やかな場所です。何より映画館でもあって、決して田舎ではなりません。立派な都市です。グーグル・マップのお陰で簡単に映画館「呉ポポロ」に着きました。映画上映よりまた時間があって、私が昼ご飯も食べていなかったため、近くにある「大黒屋」という店で噂の海軍カレーを食べました。カレーの後なんとコーヒーが付いていて、思いませんでした。

丁度開演時刻になって、早速に映画館に着きました。思ったより全然違って、映画を観にくる人たちに年配の方が結構居ました。そして着物を着ていたのは私だけで、とても目立ちました。

映画に関して

音楽は良かったと思います。最初のシーンからBGMのせいで泣きたくなっていました。

流石に終始広島弁で、この前の「シンゴジラ」より酷かったかもしれません。5割弱しか聞き取れなかった感じがします。でもなんだかぎりぎり観れる感じがしました。

この作品は特に戦争の酷さを強調せず、かえって軽く描写していると思います。配給がなくなって、すずさんはリラックスな雰囲気で色んな手段を使って代用品を作り出す。お兄さんが戦死したとしても、僅かのシーンで軽く表すだけでした。ユーモアも欠けません。劇場でよく笑い声を聞けました。

クライマックスはすずさんと同行している晴美ちゃんがアメリカが投下した爆弾に襲撃され、晴美ちゃんは死んでしまって、すずさんも大切な右手を失ってしまいました。このことから作品の軽さとユーモアが消えて、重くなりました。

いつも楽観的なすずさんは遂に鬱々とするようになりました。妹のすみさんの誘いにより気持ちが落ち続いていくすずさんは広島へ帰る思いが出ました。時は昭和20年の7月、例の原爆より結構近い時点でした。それを観ている私はとても心配でした。すずさんはもし本当にそこの所に実家へ帰ったら最悪なエンドを迎えるしかありませんから。幸い夫の周作さんに説得され、このまま呉市に生活し続きました。

すずさん1人の生活に集中しても、戦争末期と原爆の酷さは全く描かれていないわけではありません。

本当にかわいそうでした。なんで描き最好きのすずさんは右手を失わないといけないですか。アメリカはどうして平民を標的にして狙いましたのか。そもそもこの戦争は一体何の為にやっていましたか。

私にはなかなか理解できません。

帰り道

映画を観終わって、胸が塞がっている気がしました。泣きたくて、でもそのまま泣き出してもおかしいから気持ちを抑えました。

とても鬱な気分のまま、その日学校へ帰りました。実は、この投稿を書いている今でも、まだ完全に回復していません。

でも、「火垂るの墓」並みのバッドエンドではなくて本当にホッとしました。もしすずさんが本当にそのまま死んだら、その日私が帰ることができなくなるかもしれません。

「残穢」を観た感想(ネタバレ有り)


イメージ的に、今世紀に入り、日本のホラー映画はつまらなくなりました。個人的に、西暦1998年の「リング」でピークに達していただろうと思います。中学時代に一度観たら、その後数日間、夜、あまり独りでトイレへ行きたくなくなるまでの事態になっていました。今世紀のも何本か観ましたが、正直に言うと大体適当に作った物だと思います。然し(しかし)、今回観た「残穢」は違います。

映画の冒頭で、主人公「私」は独白しました。自分が怪談作家と言い出した時は、私は思わず「安っぽい」と呟きました。でも、この後に、良いドラマによく出演している滝藤賢一さんが現れ、且つ画質も適当な物と違うので(何故か分かりませんが、予算が低い映画はDVっぽい質感があり、まともな映画ならフィルム的な感じがあります。)、「もしかして面白いかも」と思いました。

剥がしが進んで、部屋で遭った奇妙な現象(変な音)について、もう1人のキャラの久保さんが調査を始めました。彼女の部屋だけではなく、同じマンションの住民たち、他の何人も奇妙な事に遭ってしまった事が分かりました。調査によって事情は複雑になり、「私」と久保さんが合流して一緒に調査する事になりました。「半端じゃないな、これは」と思った私は、この時から興味津々で真面目に観始めました。

近所の住民達(たち)を訊ねる事から始め、マンションの隣の住民、この辺りに詳しい昔から住んできた住民など様々な人から話を聞き、マンションの土地の歴史が徐々に明らかになってきました。そして、ある時期にこの場所で起こっていた異常な出来事も視聴者に語られました。時代も十年前、二十年前、バブル時期…最後は明治まで遡って行きました。ホラー映画としてとても壮大な展開だと思います。

「手繰って行けば根っこは同じ」、これはこの作品のコアだと思います。一見何の関係も無い事件は、深く調べたら何と源は同じでした。ホラー映画より、この映画の推理的な部分の方(ほう)が余程(よほど)面白いかもしれません。

最近ハマっているユーチューブの当たる系動画

この間、ユーチューブを観る時、「1000円ガチャでPS4が出るまで買い続けた結果!?PDS」と言(い)うを薦められました。深く考えずクリックしたら、こう言う当たる系の動画にハマる様(よう)になってしまいました。

取り敢えず、面白いと思います。中国には余り(あまり)そう言うガチャとか、クレーンゲームがありません。千円自販機と言う物も見た事がありません。そして爽快だと思います。何故かと言うと、ユーチューバーさんは良く当たるまでやりましたから。例えば前記の動画、そのハーフさんは殆ど(ほとんど)のガチャを引き尽くしたんですよ。千円自販機の様ながらくたしか出て来ない動画を観て、「こう言うゲームは所詮(しょせん)夢を売るだけの物、普通大当たりが無い」と言う事を分かりました。

日本へ行ったら、千円自販機の様な無意味なゲームを遠慮したいと思います。クレーンゲームの方が、余程(よほど)楽しめると思います。色んなクレーンゲームの動画を観たら、それは単なる確率ゲームではなく、技術系のゲームだと初めて意識しました。コツを学んで、設定ミスを探せば、時には夢みたいな結果が得られそうです(例えば数百円で数千円の景品を貰うとか)。そして景品本体も凄く面白いと思います。様々なぬいぐるみは兎も角(ともかく)、ミニパイプ椅子とか鯛焼き、餅のキーホルダーとかがあります。こう言う小物は、日本でしか買えれないでしょう。ゲームの景品ではなく、何処(どこ)かで直接買えたら良いなと思います。

着物を普段着にする調査報告書

イズモ計画の一環として、「着物問題」を解決する為(ため)にアンケートを実施しました。合わせて、17人の方からのご意見とご感想を収集しました。

設問は2つがあります。

①着物で街を歩いたり、神社に通ったり、満員ではない電車に乗ったりした場合、おかしいと思われますか?

②着物で通学したらおかしいと思われますか?

という2つです。

結論から言います。①は断然大丈夫です。②は場合によります。

について、大丈夫とは言え、注意すべきな事(こと)もあります。

とても良い考えだと思います。初めは周りの反応が気になるかもしれないけどお互いに慣れていくのでは?私も着物を日常着にしたいとても考えていました。
ただ、季節や場所に合った着物を選んで着る最低限の知識は必要かなと思います。-Wakaさん

  • 季節と場所に合う着物を着るべき事

都会のオバサンは、電車の中や街中でよく着物を着て歩いていますね。実は田舎にはあまりいません。-TOSHYさん

  • 反(かえ)って、着物は田舎より都会で受け容れられやすいらしい

しかし、大学などの先生方の中には、例えば暑い時期に浴衣で授業に参加することに難色を示す方もいらっしゃるかもしれません。今でこそ浴衣はファッションの一部ですが、昔はバスローブみたいなものでしたので。-momongaさん

  • 浴衣で外へ出かけるのを遠慮する事

について、現代社会の所謂(いわゆる)「個人の自由」というコンセプトにより、強いてやりたいなら別にいいと言われます。正常な社交に支障にならないため、制限があると思われます。

私は日本の美術大学に通っていました。美術大学は自己表現の戦いの場でもあるので、みんな色々な格好していました。着流しのお侍さんやら、軍服の生徒やら。なので、個人的には見慣れていたので、変わってるな、とは思っても、引くことはありません。-マムさん

  • とにかく芸術系の大学なら大丈夫と言います。

というのも、京都の四年生の大学では、たまに着物姿の学生を
見かけます。
京都という場所柄、違和感がありません。-lovepeaceさん

まず、Mikanさんが京都に住んでいるのなら全く問題ありません。
本当にふつうの日でも多くの人が着物を着ていて、
びっくりします。-ピーコさん

  • とにかく京都で大学生をしたら無難だと思われます。

これは学校の規模にもよるでしょうね。
大きな大学でしたら、あまり気にしなくても大丈夫ですが、
小さい大学だったら、初めはドン引きされるかもしれません。ピーコさん

  • とにかく大きな大学ならいいと言われます。

他の事

着物って、今では中古とか着ても違和感ないですが、昔はぱっと見でお家柄とか分かるので、明治になって権利とか自由とか出てきたところで、立場が弱くなった気がします。お家柄とか気にしなくなった今ならリバイバル的に流行ってもいいのにと思います。-Makiさん

  • 中古の着物も気楽に着られます。

ビックリする度合いは
ゴスロリなお姉さん>和服>ドクロじゃらじゃらな兄ちゃん、といった感じかな?
地方と都市部で順序は入れ替わるかも。

  • 着物はコズロリとドクロと並に人をびっくりさせると言われます。

また、私は20年くらい、長唄や常磐津などの古典邦楽のお稽古をしていまして、習い始めの頃は全く着れなかった着物で出かける機会も、今では随分増えました。-マムさん

  • 伝統的な文化をお稽古している場合は自然に着物を着られます。

表面的には笑顔でも、ドン引きされると思います。

それは都会の人だと思います。田舎では違います。-Sinriさん

  • やはり着物で通学する事は厳しいみたいです。

「野火」を観た感想


この前、ある有名なゲーム製作者を介して「野火」という映画を観ました。最近、同映画のブルーレイ版が発売され、ネットのレンタルが始まりました。そして今日、アップル社のiTunesで視聴しました。

この映画は西暦50年代に出版された同名の小説を映画化した物(もの)です。原作の著者の戦争体験に基づく戦争文学でした。時は先の大戦末期、フィリピンのレイテ島が舞台です。映画は終始、一人の兵士の視点から語られています。従来の太平洋戦争の映画と違い、その中には、最後まで敵と戦って玉砕する事(こと)を謳歌するものではありません。有(あ)ったのは生きるための仲間同士の殺し合いしか有りません。天皇陛下の軍隊としての誇りは疎か(おろか)、人間としての資格もなくなりました。生き延びる為に、何でもするのです。ついに人肉さえ平気で食べられる様(よう)になってしまいました。

「その地には、最早(もはや)神がいなくなった。」映画を観ながら、私はこのように思いました。

「江分利満氏の優雅な生活」を観た感想

今夜、計量経済の宿題をしながら、「江分利満氏の優雅な生活」という昭和の映画を観ました。1963年公開された作品で、あの時オヤジも生まれなかって、ずいぶん古い作品だと思います。英語の字幕だけが、なんとか大体何かが話してたか分かりました。

江分利満=えぶりまん、つまり「Every man」、皆さんのことを指しています。主人公エブリさんは古典的な昭和30年代のサラリーマンです。そしてある面で、平均以下のサラリーマンだったと思います。仕事力は適当で、酒癖が悪くて同僚の間あまり好評されませんでした。

このような主人公を通じて、観衆に当時のことを紹介しました。例えば、主人公の部屋は立派な社宅で、この前、冷蔵庫、テレビとステレオ(多分電子蓄音機の事ですかな)を購入しました。この後エアクーラーもまもなく買いたいということでした。当時の日本は既に豊かになったことを分かりました。もちろん戦時中のことをよく言いました。例えば、父親は実業家として、戦争のお陰で一時儲かっていましたが、戦後借金しか残っていませんでした。主人公も自ら銃を構えたことがありました。露骨に反戦の意欲を表すセリフもあります。「もうやめてくれよ」、「もし息子を兵隊に送ったら、私と妻は死んちゃうよ」(名前略)という風なのです。

終盤の部分は人に見せる映画として酷いでした。エブリさんは酔っ払って、強引に同僚たちに自分のことばかり聞かせました。エブリさんの同僚と同じ、観衆もやむを得ず長いつまらない話を聞けばなりません。非常に恥ずかしいやり方だと思います。だって、自分のことを話すばかりで人に迷惑を掛けるばかりではないですか?ついオヤジの事を覚え出しました。オヤジは春節に親戚の集まりにも、そういうことをやってしまいました。中々(なかなか)恥ずかしいでした。Wikiによると、このシーンは監督の独断で、事後指摘されただけではなく、商業映画としてあまり人気なさそうみたいでした。

個人的に、面白いだと思います。よく笑いました。当時の人にとって、日常に過ぎない物語は我々にとって不思議なことばかりです。そして100%生の昭和映像ですし、その時代をちゃんと勉強できます。例えば、あの時は既にカルピスが流行るようになっていまして初めて知りました。

「こいこい」は面白い

最初に「こいこい」というゲームを知ったのは、高校時代に観たアニメ映画「サマーウォーズ」です。その映画で、主人公が最後に「こいこい」というゲームで悪者に勝ったシーンはとても印象的でした。

最近丁度、「Steam」という米国のゲームサービスで、日本関連のゲーム特売が行われていました。その中から、「Koi-Koi Japan」というタイトルを見付けました。信じられないほどの値段で60円です。迷わずやってきました。

「こいこい」の流れは凄くシンプルです。まず札を一枚引き、「親」を決めます。そしてゲームが始まり、色んな札を揃えてこいこいするか否かを選択し、最初にあがった人が勝ちということです。難しいのは、全ての札と役を覚えなければならないことです。

旧暦の季節に基づき、作った札たちは正直覚えにくいと思います。幸い、ソフトからヒントを出てくれるので、初心者でもやりやすいと思います。現実で実際の札でやったら無理かもしれませんが。

携帯にも様々な「こいこい」ソフトがあり、今では暇さえあれば、いつでも「こいこい」をやります。休憩の時も、寝る前にも。とても面白いです。そして、札を通じて旧暦の事も勉強できると思います。

南京大学のお爺さん

私は今南京大学にいます。TOEFL試験をきっかけに、週末に南京へ行くのが定番のようになっています。

キャンパス内で写真を撮っていた時、知らない老人が話しかけてきました。それぞれ自己紹介してみると、老人はこの画稿の元物理学者と分かりました。私が経済専門だというと、相経済のころを話し始めたました。このところの不況について、楽観しているようでした。お爺さんは計画経済時代の想い出を私に話しました。おまけにマオを批判し、今の体制を肯定する態度でした。

そして、外国語への理解の必要性を主張しました。若いうちから外国語に慣れておくべきだと言いました。自分を例に、中学時代にフランス語、高校時代に英語、大学時代にロシア語をそれぞれ勉強したが、今フランス語と英語しか覚えていないことを教えてくれました。勿論、こういう場合、自分は英語と日本語ができるとアピールしたかったのですが、空気が読めなさすぎると思い、話しませんでした。

最後、「今の国は素晴らしい、君たち若者は、いい時代に生きている」と励まされました。そこまで言われると、少し悲しい感じがしました。私が国を捨てているのはさておき、南京大学の「エリート」、「勝ち組」たちからも「アメリカとドイツのどっちにしようか」という風な雑談が聞かれます。この国では深刻的な人材流出が起きています。

アクセントでこのお爺さんも上海人かと思って訊いたら、本当に上海人だったと分かりました。フランス租界で育ったと云っていました。彼は私と同じく、世界各国により作られ、運営されていた上海を認めているようでした。ですが、その上海はもはや歴史になり、体験者たちも僅かしかいなくなりました。とても残念だと思います。

平成28年3月27日

南京

「雨」郁達夫

周作人(しゅうさくじん)さんは彼の書斎に「苦雨」という名を付けた。丁度(ちょうど)東坡(とうば)の「喜雨亭」と相反(あいはん)している。実は、北方の雨を見るとみんな喜ぶ。なぜなら希少だからである。今年のような水害は、全く雨が降り過ぎた結果とは言えない。我々は川を治める人を責めるべきだ。彼らは予防もしなかった。ただ事を茶化したばかりで国帑(こくど)を浪費していただけだ。一旦何かが起こったら、一方的に他人に責任を押しつけ、目前の危機を救うしかない。人生は色々、変わりながら面白くなるものだ。死があって生き、悲しみがあって喜ぶ。天候のことも一緒ではないのか?雨が降らないと晴れの可愛さも見えられないでしょう。夜の暗闇がないと昼の光も気付けないでしょう。

私は江南で生まれ育ったので、雨を好まないはずだった。けれど曇って暗い春の日乃至(ないし)花と木が枯れる時、もし少しだけ雨が降ったらなんと可愛いことになるでしょう!「小楼一夜聴春雨」、「杏花春雨江南」と「天街細雨潤如酥」。私の前に、昔の詩人たちが既にその良さを話しました。夏の雨は、暑さを緩和したり、作物を潤したりする。この大切さは言うまでもない。秋の雨の霞みと寒さは、また別の話だ。古人の「雨到深秋易作霖、蕭々難会此時心」という詩句は、秋の雨が意味深いとおいうことを指している。秋瑾(しゅうきん)さんの「秋雨秋風愁煞人」という長嘆となると、彼女自身の訳が含められている。人が勝手に愁(うれ)えているのに、雨とは関係ないでしょう。三冬の寒雨については、恐らくこれを好ましく思う人が多くないと思うが、「江関雁声来渺々、灯昏宮漏聴沈々」の巧みなところは、もし自ら体験していなければ決して悟ることができないことにある。曾賓谷は曾(かつ)て「詩品」から名詩を抜粋し、「賞雨茅屋斎詩集」を作ったことを覚えている。彼の詩境はどうか分からないが、「賞雨茅屋」という四文字は確かに面白いと思う!特に秋が終わりそうな、冬に入ったばかりの頃に。

民国24年10月27日「立報・言林」