上海神社のハガキ3枚

以前上海という土地にまだ縁があった時に集めた上海神社が写っているハガキは3枚持っている。上海神社に関して当時の上海において1つのランドマークとして認識されていたそうだ。終戦直後に取り壊さ、稲宮康人さんの調査によると、御神体は上海総領事館に奉遷された。それ以降どうなったか不明、今でも総領事館に祀られていると思いたくても、数十年間国交が中断したことから考えにくい。

朝鮮半島と台湾と違って、上海は日本による直接統治がなかったが、たくさんの日本人住民はそこで人生を過ごし、立派な神社も建てられた。戦前の上海はもはや日本の一部ではないかと個人的に思う。その幻想的な上海が恋しい。

靖國神社で出会った外国人関係者たち

靖國神社で助勤として働く外国人関係者が増えた。4月の祭りの時に一度1人の西洋人らしき助勤さんを目撃していたのだが、今回の勤務で改めてそれを確認できた。

日米ハーフのムラタさん。休憩時間になって、休憩室に入ったらムラタさんが居た。最初は彼のことに気にせず、水を飲もうとしたらムラタさんの顔が目に入った。彼の茶髪にすぐ違和感を覚えた。なぜなら、この仕事に就くにくは染毛が禁じられている。ちゃんとムラタさんを居ると、彼の顔つきも独特で東洋人らしくなかった。

「日本人の方ですか」と私は彼に声を掛けた。
「そうですよ」
「見た目は西洋人っぽいですね」私はニコニコしながら彼の出身を詮索してみた。
「あっ、私の父はアメリカ人なので」とムラタさんは答えた。

ムラタさんは東洋大学茶道部に所属しているという。日米ハーフだが、英語が全く喋れないと言われた。が、彼の日本語には微かに訛りがあるように聞こえた。そして苗字も日本人のもので、多分母の苗字を名乗ったのだろうと思う。親切で面白そうな人だった。

台湾人のヨウさんとカクさん。今回の助勤に台湾人の方が居た。とても意外だった。2人共ムラタさんと同じ、東洋大学茶道部に所属している。いずれも一年間限定の交換留学生のようだ。ヨウさんは高雄出身で、背の高い子だった。彼女と出会った時、彼女の振る舞いや訛りから彼女が日本人ではないことがすぐ分かった。自己紹介の時、私は少し意地悪く彼女に「私の出身地を当ててみて」と聞くと、「北海道?」と言われたのが面白かった。

巫女さんに頼まれて、食堂の場所が分からなかったカクさんと一緒に昼ごはんを食べた。だから、ヨウさんよりカクさんとよく話をしていた。新北出身のカクさんの苗字は私の旧姓と同じだった。この為か、少し親しく感じられた。案の定というべきだろうか、「日本が好きではない」と言われた。コンビニのバイトを経験したらさらに嫌うようになったようだ。なぜか分からないが、日本語専攻の外国人には日本に興味がない人が多いと思われる。

活発というか、やはり台湾人や中国人のような中華系の女子は日本人の子より落ち着かないような気がした。でも、これは必ずしも悪いことではないと思う。

國學院大學入学断念とこれから

神職資格を取るのは長年以来私の夢です。それは今でも変わっていません。いよいよ日本で基盤を作り、神職課程を受けられそうになった途端、國學院大學の神職課程出願資格が改定されました。他大学を卒業した私は出願資格がなくなりました。

國學院大學が私を受け入れない限り、事実上私はもう神職資格を確実に取ることはできなくなりました。他の道もありますが、何れもまる1年間若しくは2年間フルタイムで勉強なければなりません。普通の学生と社会人にとって不可能なことなのです。神主になる為に、これから私にとって3つの手段があります。

1つは、神社界隈と無理矢理関わり続けることです。もしかして、何時か國學院大學はまた一般人を募集するかもしれませんし。どこかの宮司さんとの縁を作り、推薦されるかもしれません。しかし、何れも望みが薄いことです。実際島根に居た事、2人の宮司さんと出会ったことがあります。私の絶望的な人間関係スキルに限られ、深い縁を築けませんでした。

2つは、神社本庁に所属しない神社に道を探ることです。今まで語ってきた「神職資格」はあくまで神社本庁に認められる資格であります。本庁に属さない神社には、独自の資格がありますし。公開募集の情報も見たことがあります。もしかすると、難局を打開できるかもしれません。

最後、同時には最悪の手段として、独学という道があります。別に誰かの承認が必要でもなく、自分の独学を通じて神道祭祀の作法や歴史を身に付けます。誰の承認もないので、カルトみたくなりがちでありますが、私は別に公の神社を作りたいわけではないです。あくまで自分自身の宗教需要を満たしたいだけです。別に悪くはないと思います。

神社と神道は私が日本を愛する原点であり、日本に居る理由でもあります。神主になる夢を決して諦めません。こういう時こそもっと神社界隈に密着したいと思います。来月都内某神社で勤務する予定があり、その僅かなチャンスを掴みたいです。

神社でのバイト

前書き

少し意外ですが、お正月から神社でバイトすることになりました。仕事内容は、ほぼ臨時の巫女さんと同じで、お守りなどの縁起物を授与することです。もちろん、巫女装束はしません。

1ヶ月前に学校の掲示板で募集のお知らせを見たのです。性別制限を書いてなかったですが、多分臨時の巫女さんを募集だろうと思いました。やはり一応応募してみようと思って、応募しました。

場所は社務所の接客室で、壁で今上天皇陛下が総社に参った時の写真が飾ってあります。面接の相手は神職装束のお姉さんと私服のお婆さんでした。「実は女の子が欲しいですが」と予想通りに言われました。でも一応面接しました。面白いのは、お婆さんが私に「何県出身?」と聞いてきたことです。

結果、採用されました。その後、ある日、初穂料と実務の勉強のため、また社(やしろ)に行きました。例のお姉さんは拝殿で私を指導しました。お姉さんは若いのに、話し方が年配の人のようです。

仕事

1日と2日には、主に縁起物を授与することでした。電気マットがあって、その上に踏んでいたとしても、流石に寒かったでして、大変でした。人も大勢来ました。並んでいた列は拝殿から鳥居まで、何時間のうちに全然減らなかったです。

交代制で、皆さん2人組として「上」の拝殿と「下」の売り場に交代していました。

後は、節分準備作業として、豆くじを作り始まりました。2人が「上」に、そして2人が「下」、他の2人が豆くじを作るという流れでした。

最後の階段で、参拝者は段々来なくなったため、正月のお祝いも終わりつつあります。1人ずつ「上」と「下」に留守したほか、皆さんは一緒に豆くじを作るようになりました。

お姉さん

この神社が1つの家族で運営しています。お父さんが宮司で、三姉妹が神主です。私たちバイト役を担当したのは長女Tさんでした。Tさんは多分30代で、東京の國學院大學から卒業したのでした。とても優しい人でした。話やすくて、私たちは暇の時にいろいろ話しました。本当に人に大和撫子と思わせる人でした。且つ立派な神職で、すぐ惚れました。

もう何年ぶりでしょう、そんな話し合える人と出会って。途中から胸が苦しくなり、バイトが終わったらTお姉さんとあまり会えなくなる恐怖、流石にたまりません。もうこんな優しい声を聞こえないと思う時に泣きたくなる気持ちもあります。

終わり

最終日、1月6日。午後皆さんが力を合わせて早く豆くじを仕上げました。2時間早めに仕事を完成したため、少し片付けることをやりました。残った縁起物を運んだり、古神札を処分したりしました。

最後、皆さんはTさんから給料を貰って、一緒に記念写真を撮って解散しました。

雑感

年始からいきなり大変忙しくなりまして、そして確かに疲れていましたが、嬉しいと思います。これは私が初めて本当に直接に神社と関わっていたのです。ツイッターでも色んな神社関係者や神主たちと出会えましたが、実際あまり会えなく、感覚が断然違います。そして、もう一度私が本当に神道と日本(にっぽん)のことを愛していることを確かめました。

気が小さく、空気の読む私にとって、好感のあるTお姉さんと滅多に会えなくなったでしょう。本当に今でも少し寂しい感じがしますが、少なくとも、自分に少しヒントを与えました。

バイトとは言え、私が終始ボランティアの気持ちで働いてきたので、貰った給料をお年玉同様に扱っています。年始から神社からお年玉を貰えて、今年は凄い一年になりそうです。

オオヤシロさんからの返事-出雲大社の厄祓い事情

今年は私の厄年です。そして恐らく、私が日本で人生を再開する一年目になるでしょう。来年にも肝心な大学院入試がありますし。色々大変になりそうです。ですから、島根県に着きましてから、いち早く厄祓いをしたいと思います。山陰といえば、出雲大社(おおやしろ)ですね。

自分は大国主命が色んな困難を乗り越えていた神話が好きです。そして出雲系と関係深い渡来氏族「忌部氏」の源は古代中国の呉越だと云います。丁度、私は母から少し呉越の血筋を継いでいます。この事を知り、尚更(なおさら)出雲と縁があることが感じられるようになりました。

出雲大社で厄祓いするのは最善だと思います。残念ですが、大社のホムペには、あまり厄祓いに関する情報が記入されていないようです。それで、大社へメールを送ってみました。翌日の朝、返事して頂きました。下記は返事の原文です。ご参考まで。

メールを拝見いたしました。

受付は、御祈祷当日に祈祷受付所で行います。
御祈祷は、前の御祈祷が終了した後の準備が整いしだい行なっております。
(タイミング、また人数によって待ち時間が生じますが
2時間以上は、正月・神在祭・GW大型連休程度です)

お願い事1件につき、5千円・8千円・1万円以上ですので、
お気持ちでお納めいただいております。

祈祷料申し込みは、(書面)は、以下の内容です。
(お越しになる場合は、用紙を準備しております)
・願事(ねがいごと):
・住所:    (ふりがな、長:まちorちょう)
・氏名:  (かぞえ年齢: 歳)(ふりがな)
・初穂料:五千円、八千円、・壱万円以上
※住所・氏名にはふり仮名もお願いします。(町:まちorちょう)

※願事(ねがいごと)は、以下の内容です。
良縁、結婚御礼、子宝、安産、
神恩感謝、家内安全、身体健全、病気平癒
商売繁盛、会社発展、事業繁栄、厄(年祓)除、
初宮参り、七五三、学業成績、進学、就職成就
心願成就、交通安全、開運、その他(  )

服装は、通常の会社出社の服装(夏はネクタイなし)でけっこうです。
着物なら、なお結構です。
あなたほど、気を御遣いならば大丈夫です。

詳細を電話でご相談いただく事も可能です。
0853-53-3100(代表)祈祷係にお尋ねください。
受付時間:8:30~16:30 休日なし

以上、ご返事まで。

出雲大社社務所

上海神社遺跡探訪(失敗)

http://i1207.photobucket.com/albums/bb479/Mikan_SH/RIMG0679_1.jpg

今日、出掛けました。家に篭っても退屈ですし。訳がある為、心も黒く染められてしまっていました。どこでもいいから、とにかく出掛けましょう。

現在の「家」から駅まで辿り着くために、1時間掛かりました。目的地は取り敢えず、上海神社の遺跡に設定しました。スマホで昔に検索していた歴史文献とある中国(チャイナ)関係の日本人のブログを再び確認し、江湾路へ向かいました。

間も無く目的地に到着しましたが、遺跡が見付からなかったです。遺跡と言われる所は今は警備厳重な軍事関係施設です。文献によると何かが残っている筈なのに、同時上海神社を写った葉書と照合しても、それと似たような建物が見えなかったです。中にも入られませんし。当時上海に住んだ日本人にとって有名な「六三園」の遺跡に伺うと、なんとそこも軍事関係施設になっていました。仕方がなく、遺跡と言われていた場所に葉書と一緒に撮影しようとしたころ、中の軍人さんに止められました。無理もしたくなく、二拍手して上海神社さんと挨拶して、離れました。

南京神社

実はね、みかんはいつも昔の事に未練がある。ずっと前から南京へ行こうと思っていたが、毎回色々面倒な事を起こって、最後やめるようにになった。

一昨日に、気持ちは非常に鬱だったので、突然思い切って、南京へ行こうと決めた。そして、ネットで切符を買って簡単な荷物を持ってて駅へ出発した。

列車は案外に半時間以上を遅れていた(普通の列車を乗ることは初めてなのでしらなかった)、南京に到着した時既に午前3時だった。

赤い「K字列車」

真夜中の中央ホテル(「(舊)中央飯店」)

午前4時に休んだばかりだが、朝八時で起きた。まず中央ホテルの隣の大統領府(「總統府」)を素早く回った後、南京神社へ向かった。

(舊)南京神社は南京五台山にあります。今は「南京体育局ホテル」に抱かれます。これは南京市内で残った唯一の和式建物だと言われます。私は参拝したいと思ったが、「社内」には鳥居だけではなく、社殿以外の物は全く見付かれなかった。参拝の儀ももはや不可能になった。

社殿

和式街灯

旧蹟はまだ昔のままに見えるが、実はもう色々な改造が何回もされた。境内での寂しさを感じて、心中の悲しい気分が溢れた。

最後、手を合わせて「お疲れ様でした」と神社に伝えてその場から離れた。