待ち遠しい国籍、名実ともに日本人になるということ

終わらない仕事とプライベート生活の空中分解による重圧の中で、私は一通の電話を受けた。法務局の担当者からの連絡だ。現状の確認に加え、出国を禁止するという指示である。それは事実上、私の帰化申請が許可されることを意味している。近いうちに私は法律的に一人の日本国民になる。そもそも、すでに「母国」のパスポートを使えないというのは、限りなく無国籍に近い状態だと思う。

来日してからもすでに7年が経っており、国籍を手に入れるのが待ち遠しい。日本人として生まれてこなかったことはあまりにも代償が大きく、これからもある程度それを永遠に背負わざるを得ないだろう。今回悲願の国籍を取得できれば、少なくとも自分にとって身分がすでに最善まで上り詰め、これ以上改善する余地がないことであり、いよいよ諦めがつく。

来日する前からカタコトではあったが、日常的に日本語を使ってきた。神様を祀り、食事も和食に切替えた。「母国」に居ながら、肉じゃがやお味噌汁など、独自に料理していた。来日してから日本語を極め、母国語を経由せずに日本語を上達させようとしただけではなく、日本語をベースにさらに他の言語を習得していた。言わせてもらえば、私はとっくに日本人になったし、今回の帰化はあくまで法的にそれを認めていただくだけで、一種の追認とも言えよう。

「日本に来るな」とか、「偽名(日本名)を名乗るな」とか、少ないものの、私は一部の日本人に真正面から拒絶されたことがある。交換留学生、正規留学生、就労から永住者まで、少しずつ自分の身分を固めてきた。振り返ってみれば感慨深い。心が折れなかったポイントはやはり自分の図々しさにあると思う。自分が日本人になりたい、自分が日本人であることは別段個々の日本人に認めてもらう必要がないというマインドセットはかなり初期に確立した。それはそうさ、日本語も日本文化も私が主体的に受け入れて身に付けたし、それらの延長であるアイデンティティーももちろん自分で決めるものだ。どんなに生粋な日本人であろうとも、関係のない他者から口を挟む余地がない。

国籍を手に入れて何かが変わるか。残念ながら、ほとんど変わらないと思う。強いていえば、現実の重圧に向かって戦っている自分にせめての慰めにはなる。法的な承認を得たら、自分の生活が安定したらそれを利用してさらに日本社会の中枢に根付き、同時に社会貢献を深めることを目指したい。

仕事もプライベートも、両方とも非常に厳しいフェーズに来ている。それでも私は日本のことが好きだ。むしろ日本で日本人として生きる道はいかに正しかったか再び検証された。

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