私はもう反省しない

私はもう反省しない。

これは敢えて改善せず、同じ過ちを繰り返す意図ではなく、トラブルがあった際に自分を責めないことを意味する。なぜなら、30代にもなり毎回反省し自分を責めればきりがなく、精神的にもよくないし、建設的でもないからだ。そもそもそういう暇がない。その時間があれば、大して好きではない動画を観ながら、ソファでゆっくりする方がずっと有意義だ。

人間関係について言えば、経験上、ほとんどがはっきりとした白黒が存在する。相性の悪い人や環境では、どれだけ努力しても改善されることは稀だ。一度嫌われたり、一度嫌いになった人との仲直りは、親兄弟のような関係でなければ、不可能ではないものの非常に困難だろう。努力しようとする価値があるかどうかは、またケースバイケースだと思う。一般的にどうすべきかというと、私は合わない人から離れることを選ぶ。あるいは合わない環境を変える。自分に合った人や環境になったら、また努力する。

20代まで私は常々反省していた。ロールモデルの不在によって長い間に私は試行錯誤をしながら、前に進まざるを得なかった。今のように日記を付ける習慣自体、そもそも反省の手段ではなかろうか。飲み会に誘われなかった。誰かさんに嫌われた。好きな女性に急に振られた。私は細々反省していた。その反省によって私の世渡りも確実に改善してきた。

30代に入り、人生の本質と限界を徐々に理解し始めた頃、私は自己中心的な人間を目指すことにした。そして、反省を減らすようになった。この心境の変化に関して、単に年齢を取ったからだけではない。2人との葛藤が決定的だった。前職直属上司のAさんと元妻のBさん、この2人に共通しているところは、自己中心的で私に対する高圧であった。彼らは私が置かれた立場を理解しようとせず、日常的に私をいじめたり、脅迫したりしていた。

そんな彼らだったが、私は可能な限りに反省し、合わせていた。Aさんの説教を素直に聞き、腹を割って本音を開示することもした。さらに彼からのパワハラ言動も見て見ぬ振りをした。Bさんのわがままに最大限に応え、自分の苗字を含めてすべてを捧げた。衝撃的に何も改善することができなかった。懲罰的な人事評価と一方的な離婚、どれも私を長く苦しめて今でも残響が残る。私は超人ではない。社会人として未熟でミスの多い若手社員であり、イライラしやすい亭主でもあった。それでも私の気持ちは本物だし、良いところもたくさんあるはずだ。いずれにせよ、次がないような扱いをされなければならない人ではなかったと思う。

仕事も婚姻も、私の人生にとって重要なパーツではあるが、それらだけの存在ではない。例えば、公益活動や趣味、そして小さな夢もまだ私に残っている。私を評価し、大事にしてくれる人は世の中に多く存在する。そのような人々のためだけに、私は努力を惜しまない。

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