卒業してからもうすぐ半年になる。試用期間も終わり、フル給料を貰う正社員になった。大学院時代を振り返れば、完全なる「敗戦」を回避できたものの、どうも西ドイツの気分がする。不完全燃焼感を払拭できていない。もしも大学院時代をもう一度やり直せるならどうすればもっと良い結末になれるか、ということを整理してみたい。
前提
正直にいうと、2012年留学案が破綻した時点でもうだいぶ無理があった。両親に全否定されたその日、19歳だった私はまだその意味を完全に理解していなかった。寄宿制予備校での1年間、そして異郷に追放された3年間に、受験勉強と向き合うしか何もできなかった4年間でした。大学院に入ったのは6年後、25歳の私はようやく人並みの生活に戻れた。しかし、就活を除き、自由な時間はせいぜい1年間強しかなかった。このわずかな時間で失われた5、6年間の人生を全部追いつくのは到底不可能だった。この事実を受け入れるとして、他に何か改善できるところがないだろうかと考えてみたい。
就活を最初から真剣に
私は就活を軽蔑していた。日本の就活文化が詳しくなかったが、自分のスペックに変に自信があった。トップランクの学歴、英語を話せる、世間が求める典型的な人材ではないか。応募すれば内定を貰えるではないかと真面目に思った。インターンおよびコンサルの早期選考でほとんど面接に入れなくても状況を疑わなかった。
他人に責任を押し付けるように聞こえるが、やはり先輩や周りの同級生など、相談できる人が居なかったのも大きな原因だった。先輩に聞いても、ロクな返事がなかった。とにかく情報が乏しかった。一方、就活塾というものを早めに知ったが、費用が高い理由で応募しようとしなかった。結局、一番自分の足を引っ張ったのは自信過剰だった。
研究は入学前の夏休みから
以前も言及したことがあるが、私は修士号を無事に取得できたけど、まともな修士論文を書けなかった。研究というのは、別に何々講義を履修しなければできないものではない。研究しながら、必要とされる知識やスキルを磨けば良い話だ。入学前からも、完全に問題なくできたはずだったが、私はそのようにしなかった。
課外活動をもっと広く
大学院時代に、私は1つのサークルしか参加しなかった。それでも珍しく、同級生に学部生メインのサークル活動に関わっていた人はほぼ居なかった。6年間以上の受験生活を送って、私は人と接する感覚を失った。というより、1人を慣れて逆に人と関わるのが面倒くさく思えた。
社会復帰のためにサークル活動を自分に無理をさせた。2年弱の活動で見学としてかなり勉強になったが、グループに全然馴染まなかった。「このサークルに合わないではないか」という発想すらなく、ひたすら「経験がないからしょうがない」と結論をつけて自分側のせいにしていた。1つのサークル一点張りではなく、校内に囚われずにさまざまなサークルを巡ったらさらなる成長ができたかもしれない。
理想を抑え、現実に目を向け
長年の抑圧から、日本によって解放されただけではなく、さらに国の最高学府に入学させられた私の愛日心はもはや頂点を超えていた。これからの人生は、できればダイレクトに国に捧げ、日の丸を背負う仕事に就きたいと思い込んでいた。計画されていたCPA試験を棚に上げ、日銀を始め、外国籍の者でも入社できる政府系機関ばかりにしか目をつけなかった。
当然ながら、一国の政府系機関は外国人を採用するはずもなく、国籍制限を設けなくても特段の事情(異様に優秀など?)がない限り、外国人を採用しないと思われる。政府系金融の日本貿易保険の説明会で「外国人が居ないこと」があたかも良さのように言われたし、その場で人事の方にも確認できた。日の丸を背負う機会は、私に最初から存在しなかった。
前に進むしかない
どんなに後悔しても、大学院時代は戻ってこない。私はいつも通りに誰も待たずに人生の次の段階に進む。2023年、ちょうど30歳の頃に日本国籍の取得作業に入る。3年間だけの社会経験とキャリアを積めばようやく一人前になれるだろう。学生時代と比べてかなり可能性が限られるようになったが、まだまだ選択肢が残っている。現状を満足するか、失った「領土」を奪還するか、あるいは新天地を開拓するか、自省しながらこれからの3年間でじっくり考えていきたい。

