PS4をやってきた

僕は、平成に生まれた子だけど、子供の時の初めてのゲーム機はファミコンだぞ。(互換機だけど)
そして、従兄のお陰で、PS1もやることがあり、メタルギアやメタルスラッグをやっていた記憶を今でもちゃんと覚えてる。
それで、PS2世代末期にやっと自分のPS2を入手した。
その後、携帯ゲーム機に夢中になり、PSPとNDS両方やっていた。
だけど、PS3世代、即ち高校時代から生活が崩壊し、そのため勉強に専念するため、ゲームに関することには全く無関心になっていった。
その後、大学に入っても、ゲーム機を導入するか否かと検討し、「ゲーム機禁止令」を作って、2年間は自主規制してきた。
今年の春、「ゲームをやめても、勉強の効率も上がらない」という訳で「ゲーム機禁止令」を廃除した。
けど、実際ゲームを再び生活に導入したのは、今秋のことだ。
正直に言えば、今更、自分はもうゲームに興味がなくなった。けど、ゲーム機を持たないとなんか残念な気持ちが出てくる。
PS3の世代が過ごした今、PS3機はもう随分安くなった。
しかし、いつも古いものを買ってきたのは少し嫌な感じがして、いっそう最新型のPS4を買った。
本体は買ったが、ゲームソフトは買う気が薄い。
お金がない訳がないだが、買いたくない。それよりも教科書や小説のほうに投資したい。
おかしいだろう?僕のような奴。

人情が厚い日本人

「日本人は建前だけで、実は皆冷たい」
これは一部の在日中国人留学生の口からよく聞く「経験」です。
こんな話は、私は最初から信じません。
なぜなら、アニメとかの作品のように、フィクションといったらまだ納得できます。
(実は参考になります。)
本格的な小説や実際接してきた経験により、日本人は冷たくないと思います。
例の旅の最後の日、丸一日を目的なく福岡市で散歩していました。
6時半頃、呉服町のあるお好み焼屋に入りました。
せっかくなので、スタッフたちに話しかけてみました。
食べながら、旅の目的、日中の違いから地元の情報まで色々と話しました。
彼らは私に観光地を薦めるたし、地図さえ描いてくれました。
本物の熱意を感じました。
これらも全部「建前」ですか?そうは思わないですが。
深夜、ホテルから近い居酒屋を訪ねました。
歓声ずくめだった居酒屋で、この前行きたかった店です。
入ったら、マスターに向かって奥の席に座って、日本酒とおかずを注文して、皆さんの会話を静かに聞いていました。
店内の客たちは大体常連のようでした。
お互い知り合いらしいです。
携帯の話をしたり、仕事の話をしたり。
まるでドラマみたいでした。
この人たちは、冷たいですか?そうは思わないですが。
例えば日本人たちいは建前だらけの者にしましょう。では、ある所の建前さえしたくない人たちはどうでしょう?

忘れられない玉子焼

あの日は、面接がある為、昼ご飯を食べませんでした。
順番は最後でしたので、そのまま4時間以上待って面接を受けました。
その後、学校から離れ、まっすぐに「貝塚食堂」という店に行きました。
店に入って、スーツを椅子にかけてネクタイを外しました。
本当に意識を失いそうなほど飢えていました。
そして、ダイエット後久しぶりの大量注文をしました。
とは言え、800円台の注文だけでした。
最も印象に残ったのは玉子焼です。
あの店の玉子焼は現場で手作りの物です。
最初にそれを注文しました。
「何か入れますか?」
「適当に入れて欲しい。」
「おすすめの意味ですね?」
と、やって来た玉子焼の中には、なんとチーズが入っていました。
他には確か、ピーマンとネギが入っていました。
本当に美味しかったです。
柔らかいチーズとたまごの組合せ。その食感、今でも忘れません。
こりゃ、例え今回九州大に入れなくても、時々福岡へ行くことになりそうです。

パチンコ屋、日本の闇?

よく考えると、日本ではパチンコ屋をよく見かけます。
大きいビルには「パチンコ」に関連する文字が書いていないけど、「新機入替」とか「年齢検査実施中」という看板があります。
初めて見たとき、全然パチンコ屋と思えませんでした。
散歩してお手洗いが欲しい時、偶然あるモールのようなビルに入ってしまいました。
自動ドアが開けた瞬間、異世界に突入してしまう感じがしました。
音が大きかったです。
人間が耐えられる音量とはとても思えませんでした。
けど、皆さんは平気にパチンコ機を打っていました。
私は早速お手洗いを使って、いち早くそのビルから脱出しました。
マ◯ガ倉庫というところも雅とは言えないですが、子どももよく現れて健全な店と思います。
けれど、パチンコ屋は本当に無理です。
そちらで座っていた人たちとバイトしていたスタッフたちのことを心配しています。

今生初め、ニッポンの土を踏んだ

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9月15日、私は日本へ行った。

懐かしく思った通り、これは今回主な感想だ。

面白いバス運転手さん、ルールを守る皆さん、野球場、食い物のおいしい味など。

全てのことが思った通り現れていた、自分も違和感なく速やかに周囲と一体になっていた。

ガキの時、人生を救う為に世間知らずの自分が好感を持っている日本の文化及び価値観を導入すると決めた。

「中国人」の道から乖離して、人格の半分が日本人の今の私になった。

幸せだった、皆さんと一緒に歩く、一緒にご飯を食べる、一緒に話す、一緒に試験を受けるなど。

中国にいた時と違って、日本には人が多いところのほうが気に入る。身の回りの人々が日本語を話している場所に居たら、久しぶりの安心感が溢れていた。

写真があまり撮らなかった。ヘッドホンを差し込む時間も少なかった。

本当に好き、愛している。私に対し、ニッポンはまるで一目惚れの女性のようだ。

いずれ、また行く。いずれ、一体を成す。

九州ショック

一、背景

九州大学経済学部の編入試験は英語だけ受験可能だから、自分の得意モノを最大限アピールできる試験と思った。結構自信がある。

出願期間は8月24日~28日、試験日は9月17日である。

他のターゲット校は皆大体11月で試験を行われて、90日の査証を申し込んだのは九州大のための割が大きかった。航空便を予定して、親の数ヶ月の給料を散財した。

二、経緯

前期、九州大の教務先生とメールで連絡の時、「早めて発送できるが、できれば出願期間のうちに届けて欲しい」と言われて、元々19日や20日くらい発送するつもりだった。

最後、経験によって、上海から福岡は普通EMSで3日くらい届くので、21日に発送した。最初から嫌の予感があって、まさか後ほど本当に最悪の事態になっていた。

21日、願書が上海国際交換局から発送された。気になるのは直接「新福岡郵便局」へ発送されるべきなのに、関係ない名古屋の「中部国際郵便局」へ発送されてししまった。

25日、朝早くサイトで追跡してまだ名古屋に到着していなかった。この時緊張感があるれてた。早速チャイナポストと連絡し、クレームが始まった。一方、九州大と電話をかけて、先生たちはイライラしていた。「締切を超えたら無理、28日まで待ちなさい、こっちが台風があるので遅れるかも」と言われて、当日九州が15号台風に酷くやられた事を分かるのはその後の話だった。

26日、追跡はまだ動かなかった。緊張が精神崩壊の方向へ進めていた。クレームし続けた。向こうに「照合結果は15日をかかるかも、大人しく待ちなさい」と言われて、「28日後意味がない、むしろ何もしないほうがいい、好きにして。」と返事した。その後精神崩壊になり、泣いて叫んだ。昼の時、追跡は終に動いた。一体クレームのお陰なのか、それとも神様の恵みなのかわからなかった。夕方「保税運送中」になって、福岡に向けた。

27日、無事に新福岡郵便局に到着。

28日、午前九州大に届け済み。

三、教訓

1.自分今までの人生方針を反省した。消極な性格を変えるべき。

2.シンリさんは私が運が強いと言って、よく考えれば確かに自分の運が良いかも知れない。

3.「最悪を想定」を基づいて行動すべき。今回のけん、24日という上限を無視して早めて郵送すればきっとそんなにギリギリな状況を避けるはずだった。或いは、複数の書類を用意して再び郵送する。

4.ネットは幻なモノとは言え、やはりそれだけではない。この事件で応援してくれるネット友がいる。ベッキーねえとシンリさんから色んな暖かい言葉を貰った。本当に嬉しい。

 

政治性の強い人たち

「ねぇー、あなた、日本人の先生と知り合い?じゃあ、彼はナンキン事件のことを認めるか?」と、昔ある子にそう聞かれました。

「知らないね。普段、そんな喧嘩を売る話はしないよ。」と、私は答えたら、あの子は「あっそ」を言って失望する顔をしました。

あの子の考えはチャイナでは決して少数ではないです。

先日、七夕の日の時も、ある質の高い質問サイトで「今日は7.7、日本人はこの日に盧溝橋事件の事をどう思う?」という問いを見ました。そして、校内の国際パーティーで、「台灣は我々のモノだ!」と西洋人の先生に叫ぶ生徒もいました。

台湾人の知り合いが一人でもいないのに、そういう話をしておかしくないですか?

ある時「琉球はただ形式的に日本に属するだけ、琉球の住民たちを応援したい、琉球独立を支持する!」という最も笑わせられる言論を見たことがあります。

彼らは沖縄の人の考えや各種データを無視して、一方的に自分の想像を貫いているのです。しかも、その人は一般人じゃなくて、大学生なんですよ。

上記の人たちは、大体普段は特に過激な人ではないですが、特定な話題となったら、すぐに強い政治性を表れます。

亜細亜の孤児?

最近、いよいよ日本へ行く準備が始まった。

でも最初から色んな障害にぶつかった。

まず、九州大学の募集要項の請求、請求メールは追跡によって上海の交換局に停滞中になった。

理由は恐らく、日本円を封筒に入れたせいかもしれない。仕様がなくて、願書の紙のため、別の方法に募集要項を入手しなければならない。

金もいっぱい損失したが、それも涙を呑むしか仕様がない。

次はビザの件だ。先週電話を掛けたある有名な編入学院◯ゼミから「編入なら、ビザが出せない」とお知らされた。そしてもう1つの編入学院E◯Cは「今年は無理です、来年の7月に来てください」と言われて、向こうは何も悪くないだが、ふざける感じがした。

実際日本へ行く準備をすると、高い壁の存在を実感した。自分は外人という事実を実感した。

現実の人間関係はほぼ清算した今、普段、自然に日本人のSNSで発言して、日本語のニュースを読んで、いつの間にから自分はもう日本の一部になっているかなと思っていた。

一方、自分は身の回り、チャイナと合わないも事実だし。正直に言えば、チャイナ人として自己認識したくない。だって、考え方さえ違うなのに。でも現時点、明らかに、日本との繋がりはまだ弱くて、まだ受けられないだ。正に精神的ににっちもさっちもいかない立場だ。

こういう私は、もし今回の作戦は失敗になったら、これからどうすればいいだろう?長年から意味不明なことをして来たばかりで、結局は失敗。自分の居場所はどこにもなくなるではないか。

Step.1終了2周年の感想

第一回大学入試からもう3年が経ち、浪人した第二回から計算すれば今年で2年目です。理想の2年ではなかったですが、確成長していることは確かです。この2年間、色んなことがありました。野球チームもは入ったり、図書館管理役をしたら、家庭教師や日本人にチャイ語を教えるバイトなどもやったりしました。でも、最初の情熱が冷めた後、現実をきちんと感じて、ほぼ皆、良くない結果になってしまいました。

鏡に映った自分は過去より完全に別人になりました。これが自慢です。昔の自分のことは殺したいほど嫌いです。子供から悪くて貧乏と言われていた場所の適当な大学に入って、自分を改造するために頑張ってきました。でも当初計画した目標に至らない限り、普通に生活することができません。「3年まえ日本へ行かせてくればよかったのに」「こう言ういい加減な結果をくれて人をナメてるにもほどがある!」というネガティブな思いは止まず、毎日こころに浮かびます。

本音は、ポジティブになりたいです。毎日友達と仲良くして、明るい話題を話す生活を過ごしたいなんです。でも現実は、自分はまだ汚い教室に座っていて、無礼なクラスメートと一緒に変な先生の授業をしています。

家族からの「できない子」という評判は、成績が上がるとともに「親不孝な悪い子」になってしまいました。でも幸い、最後には家族を説得できました。実際失望すること極まりなかったですが、親は親、変えられないです。

年末、日本のある名門校の編入試験に参加するつもりです。一生懸命頑張っています。合格する自信がありますが、必ずとも言えません。合格したら、今までのルーツは修正されれます。本物の学部にはいれて、短くても本物の大学生活と僅かな青春を体験できます。もし合格できなくても構いません。卒業したら大学院へ入ります。本物の学部生活は体験できないことは一生残念ですけど。

失ったものと捨てたものが多すぎました。この道しかありません。どんな状況でも、前に進みます。

ラップトップを改造した

自分の愛機はソニー社のFit15だ。二年前買ったもので、実はなかなか使いにくかった。

特に無線LANのスピードは72Mbpsさえ至れなかった。実際の速度は大体3m/sくらいだけだった。要するに、連線状況は不安定で、よく切れてしまった。何でソニー社はこんな不器用なカードを用いただろう。コスト削減でもこりゃ明らかに日常の使用さえ影響したじゃない。(元の無線カードはBCM43142だった)

今回メモリーを追加するとともに無線カードを換えた。

ネットでCurcial社の4GBのメモリーとインテル社の7260無線LANカードを注文した。今日、やっと届けてくれた。

バイオを解体することは意外に簡単、ねじ回し一本で十分だった。

組み立てた後、電源ボタンを押して、正常に起動してくれた。

システムはやっとスムーズになった。無線LANも強くなった。

残念なことは大容量なSSDを買わなかった。今では僅か60GBのSSDプラス東芝の500GHDDという組み合いだ。一気に256GBのSSDを換えたらよかったのに、やはり金を節約したいと思った。