このタイトルをつけたら、まるでこれから大阪の嫌味を言うように見えるが、違う。私にとって大阪は単純に「家ではない場所」、「ゆかりのない所」に過ぎない。言い換えれば、無臭無味の存在であって、好きではなければ嫌いでもない。大阪と決別した今、感情を抑えてもう一度冷静に問題の根源を整理してみたい。
人の心は本当に不思議なものだ。島根の土地に初めて足を踏んだ時に、長く離れた故郷にようやく戻れたような気がした。最初から馴染んでいる。東京は生まれた場所とよく似ているから、つまらないと思うものの、暮らしやすい場所だと感じる。大阪だけ、長く住める気がしない。
「将来」のために「現在」を犠牲にすることはもうしたくない
「将来」、つまり出世のために今の生活を犠牲にすることはもうしたくない。私は高校時代からすでに何度もやってきたから、また「辛抱強く我慢しろ」を言われても、「じゃいつ生活を楽しむの」という話になってしまう。なるべく真っ当な学歴を積み、より良い勉強環境を得るために、私は地元の大都会を諦めて、あえて行きたくもない地方の公立大学を選んだ。バラ色の青春を引き換えに、地道に勉強とトレーニングに没頭できた。
あの時の犠牲があって今の可能性が広がったが、今なお犠牲をし続けたらどうなるか。順調でも大阪勤務を4、5年やらされる。大阪勤務が終わったころはそろそろ35歳になる。40歳までは若者だとして、残り半分の時間を捧げるわけだが、そこに何の意味があるのだろう。輝く中年生活のためとでも?一歩引いて、30台後半に子供を作るとして、40台以降の人生はすでに子供に予約されている。
出世の保証はどこにもない
学生時代の受験戦争と違って、会社員にとって頑張ったところで必ず報われるに限らない。東大卒だから出世コースが約束されるとか、あくまでドラマの設定であり、都市伝説のようなものである。作業自体をこなすよりも、周りの人間関係=信頼はもちろん、上司の意図への忖度、いわゆる「ゴマすり」も求められる。自分としていい仕事をするつもりでも、上司のニーズとミスマッチすれば失敗同然の扱いをされる。これに関して、私の邪推ではなく、上司にそのまま言われたことだ。
東京にいた私はそこそこ高い評価を受けた。昔の部署では大事にされていた。大阪に来てから私は始終東京並みのパフォーマンスを出せていない。客観的に観るとパフォーマンスが香ばしくない、かろうじて普通かもしれない。しかし、それは安定的な生活基盤はまだ形成されていないためであって、私主観的に仕事をサボりたいわけではない。それを全く考慮せずに、私の人事評価を下げた上司と部長に呆れた。メンタルがやられるから、人事評価だけ下げないでと部長にお願いしたが、全然効かなかった。一度人事評価が傷んだところで、社内昇進に全く響かないかもしれないし、響くかもしれない。人事部の偉い人にしか誰も分からない。
フルスケールでキャリアを追う妻
私の妻も就活の時から緻密なキャリアプランを立て、それを実行してきた。会える時間が減って寂しいけど、頑張っている彼女の姿が好きだし、応援したい。そんな彼女に仕事をやめて大阪についてもらうことはありえない話だ。無理にそうさせられても後々婚姻の破綻が見えてくる。それどころか、妻は私より激務のため、たまに大阪に来てもらうことも実現できていない。
今どき、いきなり年収ウン千万円のトップクラスエリートサラリーマンでもない限り、共働きしないと結構家計的に苦しくなる。事実、妻がバリバリに働いてくれたお陰で、今は都心に住んでも日常の支出に困らない。専業主婦前提の転勤制度は夫婦別姓より遥かに喫緊の課題ではないかと考える。
