日本語ばかりの夢を見た

昨日、論文を仕上げ、雑誌の編集部へ送った後、寮に戻り次第爆睡しました。久しぶりに10時間以上眠りました。気が狂う夢を見ました。その夢で、私は日本にいました。それで、私だけではなく、他の人も日本語を喋っていました。以前も、夢で日本語を喋ることはしばしばありましたが、覚えている限り、日本語ばかりのは初めてです。嬉しいです、これは普段の努力が咲いた証だと思います。

「シノ」、「中国」と「チャイナ」

一部の中国文化趣味者の日本人は自称「シノファイル」だと言われます。その「シノ」が中国のことを指しているそうです。彼らはよく中国の美しさとメリットを探し出しています。彼らの目を通じ、別の「中国」のことを知ることができます。例えば、この間、ある日本人の知り合いから、満州のことをいっぱい教えてもらいました。自ら行く気が出るまでになりました。これが、彼らの「シノ」です。

チャイ人観光客ブームがそろそろ冷めるはずだと思ったら、最近、日経のニュースによると、逆により一層流行っています。日本へ爆買いに行く人たちは未だに絶えず、積極的に行っています。みんなは本当に金持ちだなと嘆くしかありません。最近、論文を書くため、色々な書類を読みました。大体英語の論文ですが、日本経済関係なのに「The rise of China」という文字がよく見られます。そして、中国はすぐに純国産の液晶パネルを作られるようになりそうな一方、シャープ社は社員たちに「自社製品購入」とさせています。純中国産飛行機ARJ21が運営に投入したことに対して、優れたゼロ戦を作った三菱のMRJは初飛行したばかりです。そう言う例がまだまだあります。客観的に言えば、中国は本当に凄いと思います。中国人たちは頑張っていますね。これはもはや否定できないと思います。これは彼らと皆さんの「中国」です。

「チャイナ」とは「チャイナ服」、「チャイナ風」という場合のほか、これを使えば少し変な日本語になることが分かります。でも、今まで「中国」の代わりに、「チャイナ」の方を使っていました。審査を回避するためも目的の1つですが、主に態度を表現したかったです。少し小心者かも知れませんね(笑)。私の「チャイナ」は上記の「シノ」や「中国」と全く違う世界です。ネガティブでくだらないです。

人々に各々の「中国」があって、それを突き詰めれば、「シノ」を楽しむ知り合いを見ても、楽しそうな中国人を見ても、不愉快な気持ちが起こらなくなりました。だって、それらは別の場所ですもの。

冬のはなし

前回の晴れの日はもう思い出せません。雨が降ったり、曇ったりしている日が長く続いていました。前日には、雪さえ降っていました。本当に寒くて耐えられません。私はあくまで南方の人なのだという認識が強くなりました。教室でただ座っているだけで、足が寒くて感覚さえ失いそうになることもしばしばです。まあ、勿論、教室に一応エアコンを設置されていますが、故障とか節電とかのため、使えない場合も少なくありません。本当に最悪です。因みに、自室もエアコンがあり、今使っています。けれど、何だか使っていないような感じがします。だって、それなのに私は震えていますよ。

天候が晴れないと、布団を干せません。長く干されない布団とは、こころが落ち着けなく、また少し気持ち悪い感じがします。不潔だと思います。雪が降った後、ようやく太陽が出てきて、本当によかったと思います。いち早く布団を干して、安心できました。

例の大阪人の先生はもっと北のほうに住んでいて、彼のところでは雪が降っただけではなく、厚く積もっていると言われます。この前チャットしたとき、彼の疲れた声から先生が今悪い天候に悩んでいることが分かりました。「とにかくあったかい場所へ行きたい」と言って、大変苦労しているそうです。

満州や、北海道に住んだ人たちは本当に凄いと思います。

「告白」

映画やドラマのセリフを真似することは以前に私が考えてきた日本語の練習法です。とにかく日本語を喋りたい、けれど相手がいません。ならば、このような方法しかありません。確かにバラエティと比べれば映画とドラマのセリフは多少演劇的な感じがし、現実と少し違っているかもしれませんが、バラエティの日本語字幕はなかなか探せません。

最近よく使っている練習用教材は2010年の映画「告白」です。原作は湊かなえさんが書いた小説です。その映画を初めて観た時まだ高校生でしたので理解できなかった部分が実はけっこうありました。けれど、その音楽と画面の組合せは最高だと思いました。一見推理っぽい作品ですが、実は最初から犯人の名前を開示していたのです。それから、少年犯罪の問題、マスコミへの皮肉、道徳と復讐などの話題を含み、人について考えさせる作品だと思います。

今、23歳の私から観たら、映画に映っている中学生たちは実際の中学生みたいです。凄いことだと思います。作家も映画制作者も、それだけ中学生の心理をちゃんと勉強していたでしょう。少年Aの修哉くんは、母に会いたい、母に認められたいと思い、色んな理由を探しながら本音を隠しました。少年Bの直樹くんも、死にたくない理由は、まだ女の子とキスをしたことがなく、何よりセックス経験もないという単純過ぎた理由でした。これらは正に思春期の男の子の考え方ではありませんか。

基本的に、映画も変わらず小説と同じ、主要キャラたちが一人ずつ告白するという形で進みます。人によって、同じことへの態度や考えは違います。森口先生の告白は特に好きです。彼女は平気で生徒たちにとんでもないことを言い続けるので、とても魅力的です。少年AとBが飲んだ牛乳にエイズの血を混ぜ込んだと語って皆さんが大騒ぎになりました。

「春も花も木も、草も鳥も人も、全ての命が萌え上がる季節です。皆さんは是非有意義な春休みを過ごしてください。」と言ったら音楽が響き始めて、「これで終わります。」と森口先生の告白が終わりました。このシーンはなかなか好きです。

この映画は私に最も影響を与えたことは何と問われたら、それは例え先生という聖職者でも、生徒に酷いことをやられたら、かならずしもその生徒を許すと限りません。つまり、従来のグッドエンドではなく、社会的な身分よりも人間としての感情を大切にすることです。酷いことは酷い、嫌いなことは嫌い、許せないことは徹底的に許せないのです。高校生お私には、その思想は啓発的でした。

旅行したい

元ヲタクですが、実は私は旅行や外へ遊んでいくことが好きです。小学生と中学生の時、学校の課外活動を楽しみました、毎回思い存分遊んでいました。「もう二度とないかも知れない」とはっきり意識していました。今でも、趣味を問われたら、「旅行」が答えの1つです。

子供から高校二年生まで、僕が外で事故に遭うのではと心配されて、独りで「遠い」場所へ行くことが禁じられていました。両親と一生であれば、外出できたのですが、両親自身が室内派のため、結局。。。中学校の時、気になっていた女の子と一緒に市街で行われていたアニメ展へ行くつもりでしたが、その理由で行けなかった、少し残念でした。

高校2年が終わった夏、ようやく塾へ通うために、独りで市街に行っていました(家から地下鉄に乗って1時間掛かるくらい)。あの時の私は凄く興奮して、沢山写真を撮って、家に帰ったら嬉しくてブログに「初めて独りで市街に行ってきた」という日記を書きました。後日s、「初めて独りでカフェに入った」という日記もできました。少し信じられないかも知れませんが、それは僅か4年前のことです。あの時あまり違和感を感じていなかったですが、今再び読むと少し何か変な感じがします。

日本人の知り合いの中で、中国に興味のある方が何人がいます。彼らはよく中国へ旅行しにきます。上海、ペキンなどの大都市だけではなく、満州、西安など様々なところを巡っていました。大陸で幅広く活躍しています。本当に偉いと思います。そんな沢山のところへ行った経験があるので、きっと私より中国の事情を理解しているでしょう。同時に、私も彼らのことが羨ましいです。

大学に入ってから、試験のために自分なりに「旅行」を何度もして、日本にも行きました。けれど、まだまだ満足していません。真剣のためではなく、気楽に、もっと色んな場所へ行きたい、色んな人と付き合いたいです。学業が暫く落ち付いたら、日本各地から旅行を始め、生活の定番にしたいと思います。

語学随筆 ハングル雑感

ハングルを勉強し始めてから1ヶ月以上が経ちました。モチベーションはあまり高くないですが、一応毎日多少は勉強して頑張ってきました。実際、ハングルを自由に読んだり書いたりできますし。文法的に、ハングルは本当に簡単です。日本語と一緒じゃないですか。韓国人にとっては問題発言かも知れません。まるでハングルは日本の方言みたいな感じがします。友人がこう言う例文をしえてくれました。

朝鮮民主主義人民共和國은偉大한首領金日成同志와偉大한領導者金正日同志의思想과領導를具現한主體의社會主義祖國이다
vs
朝鮮民主主義人民共和國は偉大なる首領金日成同志と偉大なる領導者金正日同志の思想と領導を具現した主體の社會主義祖國である。(@tam_pok_tsu

見た通り、書き言葉はそっくりです。日本語を話せる方ならば、数時間でハングルを読めるようになると言っても過言ではありません。面倒なのは、発音のほうです。まず、同じ子音と言っても、文章の冒頭に置くか中に置くかにより、発音が違います。そして、日本語或はチャイナ南部の言葉を喋るひとには、「ㄹ(l)」という子音がぱっちむとして来た場合、連続して話したら、かなりしんどくなるかも知れません。なぜなら、日本語にはそう言う発音がほぼないですから。一番面倒なのは、ハングルの表記と実際の読み方が違う場合が多いということです。もしかしたら、日本の旧仮名遣いと似てるかも知れません。旧仮名遣いは、一応読めますが、真面目に勉強したことがありません。けれど、その旧仮名遣いも表記は実際の読み方と違っていました。

まあ、簡単とは言え、テキストから離れたら、あまりロクなハングルを喋れません。練習と経験の両方とも足りませんから。このままいけば、2、3ヶ月後には実用的になるでしょう。最後に、ちょっとした小話ですが、現時点で最も話せそうな会話は教材の第一課「私は日本人です(저는 일본 사람입니다.)」です。これさえ使えれば、韓国人に日本人の振りができるでしょう。(笑)

学食

学食、即ち学校の食堂である。
私は学食で食事するのが好きだ。別にそんなおいしい訳ではないが、安いだからだ。買って座って頂き、食べ終えたら皿を返却口に置けば終わる。とても便利だと思う。同じ金額でも、メニューの選択によって違う料理が食べられる。最も気に入ったメニューを決めたら、あまり変更したくない。例えば、1年半前から、小豆あんの饅頭が気に入ってハマった。毎日、朝と夜、同じ窓口で同じメニューを注文する。最近、窓口のおばさんたちはなんと私の顔を覚えてしまうようだ。私がまだ口を開けてないのに、向こうはもう定番のメニューを用意してくれていることがしばしばだ。実は小豆あんの饅頭より、小豆あん入りの餅や大福のほうが好きなのだ。実家の辺りには、大福と似てるお菓子があって、子供から好んで食べてきた。まあ、カロリーが高いということはデメリットだとおもうけど。

困ったことに、私のメニューは他人にとってあまり食事にならないようで、「今夜はこれだけ?」と知り合いに会うと、よくこのように聞かれる。家が貧乏な生徒よりまずい物を食べていると思われる組合せなので、多分「こいつ変だ」と思われているだろう。

生徒たちの中には、学食が嫌いな人もかなり居るそうだ。学食より出前のほうが好きらしい。学食の料理がまずいと言うより、単に寮から離れたくないからかも知れない。それに、それらの出前は大体学校の隣の小さい飲食店から取り寄せたものなのだ。どう考えても、学校が管轄している学食のほうが衛生状態がいいにきまっているだろう。

チャイナのネット事情

私の両親が若かった時代には、例え日本製の高感度のラジオを使っても、海外のラジオチャンネルは上手く受信できませんでした。時代が変わって現在、もし貴方がいきなり大陸に来たら、ホテルのWIFIに接続しても、普段使っていたネットサービスの八割くらいが使えなくなることに気付くでしょう。アンドロイドのプレイストアさえ入れません。ヤフーが開けますが、非常識くらいにラグが発生します。

これらの現象はなぜ起こるのでしょう?

皆さんは既にご存知かも知れません。そう、昔も今でも、チャイナには目に見えない壁が存在しています。過去の10年間、ペキンの反対勢力のサイトから、フェースブックやツイッターなど、国際的に有名なサイトが相次いでチャイナ住民の視野から消えてしまいました。あのかけがえのないグーグル社すら、追い出されました。

個人にとっても、ビジネスにとっても、非常に迷惑だと思います。GMAILを使っている会社は、世界中に数え切れないほどありますね。GMAILから送られたメールはチャイナのサーバーに届きません。大学の研究者も、時々世界最先端の論文を探そうとしても、探すためのツールがなくなりました。

勿論、「壁」を超える方法もあります。けれど、非常に不安定で、時には1つのサイトや動画を見るために、単に壁を超える方法を調整するだけで30分、時には数時間を要してしまいました。精神的にしんどいと思います。日本の皆さんにとって、ユーチューブを観るのは、結構普通な事でしょう。然し、チャイナには贅沢なことなのです。私は快適にユーチューブを観るため、台灣、日本、アメリカなど世界中にスムーズ中継してくれるサーバーを試し、ようやく観ることがでます。海外で、単にクリックしてできることが、チャイナではそんなに面倒になるとは本当に煩わしいことだと思います。携帯も、今皆さんは、アイフォーンのほか、アンドロイドのを使っているでしょう。グーグルが封鎖されたことにより、アンドロイドの固有機能がほぼ全滅しました。一部のアプリがグーグルと繋がらないと、バッテリーをどんどん消費するようになってしまい、削除しか方法がありません。

別に、ペキンへの「悪口」を見たいわけではないのに、ただ普通に世界と繋がりたいだけなのに、ペキンはやり過ぎだと思いませんか?とは言え、チャイナ住民の大半がもうこのような壁がある世界に慣れたようで、不満を言う人はあまりいないようです。むしろ、たまたま壁に穴が空いたとき、億という単位のチャイナ住民たちがSNSで海外のユーザーに迷惑をかけていた、というユースも見たことがあります。こう見れば、壁の存在が逆に檻みたいに海外の人たちを守っているように見えます。

「豊かさ」

百年前と比べると、先進国ではなくても、人々は豊かな生活を送られるようになりました。産業革命と資本主義のお陰で、食べ物くらいなら今もう心配せずに思う存分食べられます。かえって、カロリーを過剰摂取して太りすぎることが問題になっています。勿論、アフリカとか中東などの一部の地域では栄養不足により被害を被っていますが。

でも、これで本当にいいのでしょうか?

私は、高校時代には、共産思想を批判し、資本主義と民主主義に憧れていました。大学に入り、様々な経済専門知識を学びながら、私の考えは変わってきています。資本主義は確かに、人々の生活を豊かにしました。然し、それは「過剰生産」によって作り上げられた豊かさなのです。飲食店でバイトをしたとき、毎日、残飯が言葉で表せないほど多く捨てられていました。そのうち、一口二口しか食べられていなかった物も少なくありませんでした。一軒の飲食店だけでそのように無駄にして捨てていたら、世の中では1日にどれくらい膨大な食べ物を無駄にしているのでしょうか。
学食でよく「節約しよう」というポスターを目にします。毎回見るたびに、資本主義の社会、個人の節約が何のためになっているのかを考えさせられます。役に立たないでしょう。なぜなら、売れない食料は、食べ物に困るところに送られるわけではなく、ゴミ処分場に送られます。

それは、ミクロ経済の些細な1例に過ぎません。そのような浪費は、いつでもどこでも起こっています。マクロ面でみると、もっと酷いです。政府は、経済を成長させるために、無駄なことばかりしています。例えば、無闇に同じ道路を作り変えて、節約型社会を促進せず、浪費型社会に進んでいます。客観的に考えれば、資本主義は本当にまずい主義だと思います。共産主義も、いいとこがあるのではないですか。けれど、それのデメリットが多すぎて、あまり良いと言えないと思います。
何か、解決策が有るのですかね。

物のない冷蔵庫

大学に入る前、自室に小型冷蔵庫を置いて、夏に冷たい飲み物を飲むことをしたいと思っていました。今年の夏、ついに決心して、小型冷蔵庫を買いました。けれど、自由に冷たい飲み物を飲み放題という夢が叶いませんでした。なぜなら、飲み物を買う余裕がなかったからです。冷蔵庫を買うのが精一杯だったのです。今日、私は仕方なくこの飲み物のない冷蔵庫を売りました、買った時の値段の3分の1弱で。

「物のない冷蔵庫」はまるで今までの人生の縮図です。
専門書をいっぱい買って勉強し、出願しても、結局試験を受ける余裕はありません。
せっかくゲーム機を買っても、結局カセットとか、ソフトを買う余裕がありません。
日本語と英語を日々練習して、いくつの資格を手に入れたのに、結局日常的に話せる相手がいません。
せっかくネットで友達を作ったのに、結局現実で会うチャンスがなくなって、本物の友達になれませんでした。
色んなバイトをして頑張って働いたのに、時給100円しか貰えなかって、最悪の場合全く貰えななかったこともありました。
などなど、色んな「物のない冷蔵庫」があります。

きっと何かが間違っています。
でもどうすればこれらの泣きたくなるようなことを避けられるでしょう?
あっ、そうだ、最近から「冷蔵庫」を買わなければいいのではないですか。
えっ、それは諦めるという訳ですか?
確かに筋は通りますね。
ですが、諦めないということもありますよ。
じゃあ、その「諦めない」ことが最後に「物のない冷蔵庫」になってしまったらどうしよう?
それは…