着物を普段着にする調査報告書

イズモ計画の一環として、「着物問題」を解決する為(ため)にアンケートを実施しました。合わせて、17人の方からのご意見とご感想を収集しました。

設問は2つがあります。

①着物で街を歩いたり、神社に通ったり、満員ではない電車に乗ったりした場合、おかしいと思われますか?

②着物で通学したらおかしいと思われますか?

という2つです。

結論から言います。①は断然大丈夫です。②は場合によります。

について、大丈夫とは言え、注意すべきな事(こと)もあります。

とても良い考えだと思います。初めは周りの反応が気になるかもしれないけどお互いに慣れていくのでは?私も着物を日常着にしたいとても考えていました。
ただ、季節や場所に合った着物を選んで着る最低限の知識は必要かなと思います。-Wakaさん

  • 季節と場所に合う着物を着るべき事

都会のオバサンは、電車の中や街中でよく着物を着て歩いていますね。実は田舎にはあまりいません。-TOSHYさん

  • 反(かえ)って、着物は田舎より都会で受け容れられやすいらしい

しかし、大学などの先生方の中には、例えば暑い時期に浴衣で授業に参加することに難色を示す方もいらっしゃるかもしれません。今でこそ浴衣はファッションの一部ですが、昔はバスローブみたいなものでしたので。-momongaさん

  • 浴衣で外へ出かけるのを遠慮する事

について、現代社会の所謂(いわゆる)「個人の自由」というコンセプトにより、強いてやりたいなら別にいいと言われます。正常な社交に支障にならないため、制限があると思われます。

私は日本の美術大学に通っていました。美術大学は自己表現の戦いの場でもあるので、みんな色々な格好していました。着流しのお侍さんやら、軍服の生徒やら。なので、個人的には見慣れていたので、変わってるな、とは思っても、引くことはありません。-マムさん

  • とにかく芸術系の大学なら大丈夫と言います。

というのも、京都の四年生の大学では、たまに着物姿の学生を
見かけます。
京都という場所柄、違和感がありません。-lovepeaceさん

まず、Mikanさんが京都に住んでいるのなら全く問題ありません。
本当にふつうの日でも多くの人が着物を着ていて、
びっくりします。-ピーコさん

  • とにかく京都で大学生をしたら無難だと思われます。

これは学校の規模にもよるでしょうね。
大きな大学でしたら、あまり気にしなくても大丈夫ですが、
小さい大学だったら、初めはドン引きされるかもしれません。ピーコさん

  • とにかく大きな大学ならいいと言われます。

他の事

着物って、今では中古とか着ても違和感ないですが、昔はぱっと見でお家柄とか分かるので、明治になって権利とか自由とか出てきたところで、立場が弱くなった気がします。お家柄とか気にしなくなった今ならリバイバル的に流行ってもいいのにと思います。-Makiさん

  • 中古の着物も気楽に着られます。

ビックリする度合いは
ゴスロリなお姉さん>和服>ドクロじゃらじゃらな兄ちゃん、といった感じかな?
地方と都市部で順序は入れ替わるかも。

  • 着物はコズロリとドクロと並に人をびっくりさせると言われます。

また、私は20年くらい、長唄や常磐津などの古典邦楽のお稽古をしていまして、習い始めの頃は全く着れなかった着物で出かける機会も、今では随分増えました。-マムさん

  • 伝統的な文化をお稽古している場合は自然に着物を着られます。

表面的には笑顔でも、ドン引きされると思います。

それは都会の人だと思います。田舎では違います。-Sinriさん

  • やはり着物で通学する事は厳しいみたいです。

「野火」を観た感想


この前、ある有名なゲーム製作者を介して「野火」という映画を観ました。最近、同映画のブルーレイ版が発売され、ネットのレンタルが始まりました。そして今日、アップル社のiTunesで視聴しました。

この映画は西暦50年代に出版された同名の小説を映画化した物(もの)です。原作の著者の戦争体験に基づく戦争文学でした。時は先の大戦末期、フィリピンのレイテ島が舞台です。映画は終始、一人の兵士の視点から語られています。従来の太平洋戦争の映画と違い、その中には、最後まで敵と戦って玉砕する事(こと)を謳歌するものではありません。有(あ)ったのは生きるための仲間同士の殺し合いしか有りません。天皇陛下の軍隊としての誇りは疎か(おろか)、人間としての資格もなくなりました。生き延びる為に、何でもするのです。ついに人肉さえ平気で食べられる様(よう)になってしまいました。

「その地には、最早(もはや)神がいなくなった。」映画を観ながら、私はこのように思いました。

「江分利満氏の優雅な生活」を観た感想

今夜、計量経済の宿題をしながら、「江分利満氏の優雅な生活」という昭和の映画を観ました。1963年公開された作品で、あの時オヤジも生まれなかって、ずいぶん古い作品だと思います。英語の字幕だけが、なんとか大体何かが話してたか分かりました。

江分利満=えぶりまん、つまり「Every man」、皆さんのことを指しています。主人公エブリさんは古典的な昭和30年代のサラリーマンです。そしてある面で、平均以下のサラリーマンだったと思います。仕事力は適当で、酒癖が悪くて同僚の間あまり好評されませんでした。

このような主人公を通じて、観衆に当時のことを紹介しました。例えば、主人公の部屋は立派な社宅で、この前、冷蔵庫、テレビとステレオ(多分電子蓄音機の事ですかな)を購入しました。この後エアクーラーもまもなく買いたいということでした。当時の日本は既に豊かになったことを分かりました。もちろん戦時中のことをよく言いました。例えば、父親は実業家として、戦争のお陰で一時儲かっていましたが、戦後借金しか残っていませんでした。主人公も自ら銃を構えたことがありました。露骨に反戦の意欲を表すセリフもあります。「もうやめてくれよ」、「もし息子を兵隊に送ったら、私と妻は死んちゃうよ」(名前略)という風なのです。

終盤の部分は人に見せる映画として酷いでした。エブリさんは酔っ払って、強引に同僚たちに自分のことばかり聞かせました。エブリさんの同僚と同じ、観衆もやむを得ず長いつまらない話を聞けばなりません。非常に恥ずかしいやり方だと思います。だって、自分のことを話すばかりで人に迷惑を掛けるばかりではないですか?ついオヤジの事を覚え出しました。オヤジは春節に親戚の集まりにも、そういうことをやってしまいました。中々(なかなか)恥ずかしいでした。Wikiによると、このシーンは監督の独断で、事後指摘されただけではなく、商業映画としてあまり人気なさそうみたいでした。

個人的に、面白いだと思います。よく笑いました。当時の人にとって、日常に過ぎない物語は我々にとって不思議なことばかりです。そして100%生の昭和映像ですし、その時代をちゃんと勉強できます。例えば、あの時は既にカルピスが流行るようになっていまして初めて知りました。

五月ブログ故障まとめ

この前の「こいこい」の感想文を整理したところ、ブログの機能に異常があることに気付きました。幸いバックアップ機能がまだ使えて、早速全ての文章をエクスポートしました。異常の原因を分析し、下手に直しようとしたら、データが全滅しました。バックアップしてよかったと少しほっとしました。

日本のサーバーとは言え、相変わらずチャイナの業者が提供しているサービスです。業者と連絡しても、最初まともに対応してくれませんでした。それどころか、機能異常の原因を一方的に私に押し付けてきました。原因はよそに、ただブログを直して欲しいだけなのに、冷たい目に遭ってがっかりしました。

実際は、今月の23日で契約期間が満了になります。このサービスを利用してからもう5年経つので、先日思わず来年までの分を払ってしまいました。失策でした。日本の業者に移行すべきでした。面倒な事になりそうで不安でした。普段特に気付いてなかったのですが、失った時まるで自分の部屋が地震や火事のせいで潰れたようでした。

ほぼ一週間、ネットサービス業者は、私の合理的な要求に対し、極めて消極的な対応を取りました。13日深夜、アメリカの掲示板で解決策を探していた時、業者の協力がないと何もできないことを分かりました。そもそも、問題は向こうにあると確信していました。そこで、敢えて実質的にチャイ人の業者を諦め、日本の業者に引っ越そうと決めました。それで、業者に諦めた意思を料金返済の要求を伝えました(お金を返してくれると思っていませんが)。

引っ越し先を探し、プランを確認し、支払うしかないなと思った時、業者から返事がきました。問題発覚から一週間が経ち、漸く(ようやく)問題解決の糸口に辿り着きました。私は今まで探した情報と自分の論理的な判断を業者に話し、向こうは最初認めてくれませんでしたが、私の言う通りに試してみて貰った所、業者側に問題があったと認めました。そして私に謝りました。

今回の件は単なるブログの問題だけではなく、自分の立場及びチャイ人との割れ目が映しました。最終的に、日本の業者に移行し、ドメインも「アジア(.asia)」から「日本(.jp)」へ変わるでしょう。でも今そんなに急がなくても良いかなと思います。現実に合わせ、地道に進みたいと思います。

人生初のJALxJCB

今日、先月申し込んだクレジットカードが届きました。日本航空(JAL)と上海地元の銀行が提携し、提供しているものです。勿論ブランドはは日本によくあって、チャイナには珍しいJCBです。

今まで、日本へお金を支払いたいとき、常に在日留学生に頼まなければなりません。その上、高い手数料を払わなければならず、悔しかったです。先月の地震により、どうしても力になりたかった為、クレジットカードを申し込むという発想が出てきました。普通、親がメインカードを持ち、子供などの家族がサブカードを持つというパターンでしょう。残念ながら、うちの両親、二人ともクレジットカードに不信感を抱いています。

そのため、やむを得ず、自分でやると決めました。色んな銀行で色んなカードを申し込みましたが、まだ社会人ではないため、ほとんどの銀行に断られました。でも、なぜか分かりませんが、ただ私に関連する上海と日本のカードだけが審査で合格しました。しかもネットで申し込んだら、僅か半時間で審査が通りました。

実はJCBカードは中国の「銀聯」のように、日本で社会人なら誰でも簡単に手に入れられるものです。そもそも、使い道がかえって少なく、電子マネーと銀行振込でもう十分だったため、クレジットカードの必要性があまりなさそうです。

「こいこい」は面白い

最初に「こいこい」というゲームを知ったのは、高校時代に観たアニメ映画「サマーウォーズ」です。その映画で、主人公が最後に「こいこい」というゲームで悪者に勝ったシーンはとても印象的でした。

最近丁度、「Steam」という米国のゲームサービスで、日本関連のゲーム特売が行われていました。その中から、「Koi-Koi Japan」というタイトルを見付けました。信じられないほどの値段で60円です。迷わずやってきました。

「こいこい」の流れは凄くシンプルです。まず札を一枚引き、「親」を決めます。そしてゲームが始まり、色んな札を揃えてこいこいするか否かを選択し、最初にあがった人が勝ちということです。難しいのは、全ての札と役を覚えなければならないことです。

旧暦の季節に基づき、作った札たちは正直覚えにくいと思います。幸い、ソフトからヒントを出てくれるので、初心者でもやりやすいと思います。現実で実際の札でやったら無理かもしれませんが。

携帯にも様々な「こいこい」ソフトがあり、今では暇さえあれば、いつでも「こいこい」をやります。休憩の時も、寝る前にも。とても面白いです。そして、札を通じて旧暦の事も勉強できると思います。

共産党に勧誘された

今日、突然クラスの幹部から「あなたが共産党の党員の立候補になりました、後ほど、書類を用意してください」というメッセージが届きました。

まず「その宛先は間違っていませんか?」と返事したが、「間違っていません」とすぐに言われました。それで、「表向きってことですか?」と訊ねたら、「本当に共◯党に入ることですよ」という返事がきました。

「私は入りたくありません」と躊躇なく断りました。

日本へ行く寸前になのに、今更そういう「飴」を与えられても、考え直せないのですよ。元々それが「飴」だともなかなか思えないですし。

母にこのことを言ったら、「いいじゃない?党に入ったら、父も大喜びするよ」と言われましたが、その代わりに、「周仏海」のことを母に話し、自分がご都合主義者ではないことを強調しました。

自分がご都合主義者ではなく、信じる物があるからこそ、恥ずかしくなく外国人に「私はチャイ人ではない」と言えるのです。

けれど、まさかあの党に勧誘されるまでになったということは、自分は確かに成長していて、段々人の訳に立てる人間になったとお思い、少し楽しいです。でもこの力、本当に好きな場所で本当に好きな人達のために発揮したいと思います。

南京大学のお爺さん

私は今南京大学にいます。TOEFL試験をきっかけに、週末に南京へ行くのが定番のようになっています。

キャンパス内で写真を撮っていた時、知らない老人が話しかけてきました。それぞれ自己紹介してみると、老人はこの画稿の元物理学者と分かりました。私が経済専門だというと、相経済のころを話し始めたました。このところの不況について、楽観しているようでした。お爺さんは計画経済時代の想い出を私に話しました。おまけにマオを批判し、今の体制を肯定する態度でした。

そして、外国語への理解の必要性を主張しました。若いうちから外国語に慣れておくべきだと言いました。自分を例に、中学時代にフランス語、高校時代に英語、大学時代にロシア語をそれぞれ勉強したが、今フランス語と英語しか覚えていないことを教えてくれました。勿論、こういう場合、自分は英語と日本語ができるとアピールしたかったのですが、空気が読めなさすぎると思い、話しませんでした。

最後、「今の国は素晴らしい、君たち若者は、いい時代に生きている」と励まされました。そこまで言われると、少し悲しい感じがしました。私が国を捨てているのはさておき、南京大学の「エリート」、「勝ち組」たちからも「アメリカとドイツのどっちにしようか」という風な雑談が聞かれます。この国では深刻的な人材流出が起きています。

アクセントでこのお爺さんも上海人かと思って訊いたら、本当に上海人だったと分かりました。フランス租界で育ったと云っていました。彼は私と同じく、世界各国により作られ、運営されていた上海を認めているようでした。ですが、その上海はもはや歴史になり、体験者たちも僅かしかいなくなりました。とても残念だと思います。

平成28年3月27日

南京

チャイナで最後の大学生活、大学に戻る前の思い

私はもうすぐ大学に戻る。そう、チャイナ内陸へ戻る。

今までにない抵抗感が出てしまっている。チャイナで最後の大学生活なのに。

今学期で卒業に必要な単位が全て獲得する予定だ。4年で出雲へいくか、上海でインターンをしながら復習するかと関わらず、この最後の一学期、大学3年を終わらせる。

けれども、本当に行きたくない、その街、その大学へ。私が本当に求めているもの、そこにあるわけがないから。どっちが正しいかという問題ではない。要は、そこの人たちとの相性が悪いと言える。

最初から妥協を求め、生み出した結果だから。仕方がない。幸い、ネットを通じて、心の底から本当に好きな人たちと出会い、文字や写真、手紙だけが、大切な想いが作った。

抵抗感があるが、やるべきことがまだいっぱい残っている。今だからこそ最大な力を出し、全力戦い続けべきだ。