ウォークマンをシャープちゃんに詰め込んだ

ソニーが好き、ウォークマンが欲しい。。。けれど、シャープちゃんと林檎ちゃんも手を放したくない。どうすればいいんだろう。そうだ、ウォークマンをシャープに詰め込もう。

何時間をかかって、あらゆる手段(英語注意)を講じて、ついにウォークマンのアプリをインストールした。

テーマはソニー化になっただけではなく、音質もソニーっぽくなった。決して気のせいではないと思う。

凄く残念なことは、例えソニー社のスマホでも、「ウォークマン」という名も消えていた。多分、本物のウォークマンを売るため使ったわざだろう。「ほら、ウォークマンが欲しいならうちの音楽プレイヤーを買え」というわけだね。でも、いくら好きでも、お金がないことは変えないわ。

本物のウォークマンを買える前に、暫くそのまま使おうと思う。まあ、これだけ心も嬉しくなった気がする。

旧友

勉強のとき、私は癒し系の音楽を聞くのが好きです。今日、私は天門さんの曲を聞きました。彼はよく新海誠監督と組んで、新海監督のアニメの曲を担当してきました。彼らは多くの作品を生み出すタイプではなく、質に拘っています。「秒速5センチ」と「雲の向こう」、この2つの作品は私に大きな影響を与えました。

私は偶然、ある高校時代の旧友と連絡を取りました。彼と私は共通点も多く、親友のはずでした。なぜんら、話ts日立は同じ年の同じ日に同じ街で生まれ、同じ高校に入って、天門さんと新海監督の作品に対する思いも同じだったからです。性格さえも似て、まるで兄弟みたいでした。毎回天門さんの曲を聞くたびに、アニメの思いに加えて、彼のことも思い浮かべます。

私は留年になり、彼は卒業しました。彼も本人の意志ではないが、やむを得ず上海から離れ、他の街の大学に行きました。別れる前に、彼は私に「生物学者になりたい。」と言いました。けれど、4年後、私たちが再会したとき、「もう大学卒業できない」と言われました。詳しく聞いたら、かれは 大学に入った2年後、学業を諦めたそうです。それからピアノを勉強して、元々幼い頃からギターをやっていたので進歩も速く、今はピアノの先生をしているそうです。彼は学校の隣にあるピアノ教室を経営していると言っていました。こうなると、「彼が再び上海に戻れるかどうか分からない」ということになるのではないですか。

正直に言えば、彼のことでがっかりして、悲しい気持ちになりました。まず現実的に、そう言う普通なピアノの手腕で、良い生活をおくることは出来ないでしょう。そして、何でかれは自分の夢を捨てたのでしょうか。みんな頑張って、前へ走って、例え方向が違っても立派な人になればいいではないですか。残念ながら、私は止めません。止めたくないだけではなく、止められないのです。私は最初の夢を目指して、東の眩しい日の丸に導かれて、前へ進みます。毎回天門さんの曲を聞いて、彼のことを思い出しましたが、嘆いても仕方がありません。

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バイト再開

最近、落ち着いたから、再びバイトをするようになりました。実は、2年生のとき、私は家庭教師や、日本人の生徒にチャイ語を教える仕事もしていたことがあります。けれど、頭脳労働とは言え、相当な責任があり、そして給料も多くはありませんでした。やはり、私は自分では学べるが、他人には説明するのが苦手なタイプだと分かりました。だから、あまりいい先生になれない気がします。そこで、今回は飲食店のバイトを選びました。

お金が目当てなのは確かに動機の1つですが、「日本へ行くための訓練」という意味もあります。そして、実際働いてみたら、正直に言えばとてもしんどいです。いつも日本のことを見つめてきた私にとっては、あり得ないことが沢山ありました。チャイ人のやり方は、なんというか、「臭いものには蓋」ということだと思います。裏を知ってしまった私は、大きなショックを受けました。とは言え、私もいい人間ではありません。「本当に使えない」、これが自分の仕事に対する評価であります。身の回りの人たちに、常に私の面倒を見てもらっています。チャイ人のことを気に入らなかったのは、もしかしたら、単に文化の違いかも知れません。そして、料理師は、中卒の方が多いです。普段あまり会うチャンスがない人たちです。彼らの話を聞いたり、生活の習慣を観察したりすると、意外に面白いと思います。まとめて言えば、忙しい時は忙しいけれど、暇な時もけっこうあって、その時間を利用して、英単語を暗記するつもりです。あっ、日本ではそれはいけないことでしょう、仕事中なのに、内職をして。でも、ここは違います。他の皆さんは全員勝手に携帯をいじっていますから。

そう言えば、私は本当に年を取りました。いつの間にから、周りの人たちの多くが年下になりました。2回留年の経歴は、まるでバツを付いたようです。明日23歳になりますが、まだ子供っぽくて、みっともないです。何より、人生の本番はまだ始まらず、長い「過渡期」の中にいます。でも、何でもかんでも頑張り続けます。新しく立てた計画は順調に進めば、日本へいくのが早まります。とにかく、目の前のことを取り組みます。バイトの給料は、やはり母のために使いましょう。母もいつも「過渡期」で待てば待つほど、結局人生の最後の段階を迎えるようになりそうです。その前に、できるだけ、母の時間も救ってあげたいです。

ハングルを勉強し始めました

私は最近、韓国語を勉強し始めました。そして、単に教材を入手しただけではなく、本格的に半月ほど勉強してきました。ハングルは既に読めるようになりました。何で今更ハングルに関する日誌を書くのか?三日坊主になりたくないからです。実際、韓国語を勉強するのは、これで二回目なのです。かつて、韓国語を含めてドイツ語と広東語を勉強したことがありました。残念ながら、続きませんでした。けれど、その時「私は真剣にドイツ語を勉強してるよ。」と知り合いに言ってしまったため、恥ずかしかったです。今回は、周りの人たちに話さないつもりです。

ハングルを勉強し始めた動機は、韓国が好きだからではありません。まず、前回の旅で、日本には韓国人が大勢居るということが分かりました。そして我が亜細亜圏にとって、朝鮮は不可欠な一部であります。何より、半世紀の間、朝鮮全土は日本の一部でした。その国とその民族を知る必要があります。今後のためにも、これから恐らく、東アジアの融合は進まるでしょう。日本の大手企業も次々と韓国とチャイナに進出するでしょう。皆のことを理解できる私は、職場で役に立つかもしれません。もう1つの言葉を理解すれば、もう1つの視野も手に入れられます。最近は日本語ばかり使うせいで、逆に視野は狭くなりました。

とは言え、日本語は大切で、母語候補と言っていたのに、それはどうしよう?実は、今回日本人向けのハングル教材を使っています。日本語は実質的に母語待遇を与えられました。「まず母語の本や教科書を読むべき」という話がよく言われてきましたが、私はそう思わないです。言葉は使えば使うほど進歩すると思います。

最後、逸話ですが、日本人のお兄さんは私を韓国人と間違えたことがあって、今回韓国語の先生にも、「朝鮮人」と思われてしまいました。何ででしょう。全然韓国人と似てないのに。

「平成27年本土作戦」まとめ(作戦失敗)

一、経緯と結果

3年次編入試験を通じて2年の人生を奪還するため、3月から本計画が実施されていた。

早稲田商学部(放棄)

大阪大経済学部(放棄)

九州大経済学部(落ち

神戸大経済学部(出願したのみ

元々三ヶ月の期間に、4校を挑戦するつもりだったが、学校と家族から迫られて、実際受けたのは九州大学だけ。

日本の専門書、受験料及び交通費、査証料など今までのない大金を投入した。

残念ながら、九月以降、完全に形骸化になった。そして、今日九州大の試験が落ちより「作戦失敗」と認める。

二、問題点

ア、学校との交渉は不十分

前期交渉のとき、担当の先生に誤魔化され、「休学の場合は留年か否か」という争点について曖昧な答えしかくれなかった。事後やむを得ず「休学なら留年決まる」と言われて、既に計画を調整する余裕がなくなった。ただの「ごめんね」と言われて、この事を済まさせた。

最初から強引な態度で交渉するべきだ。

イ、試験準備は不足

自慢な英語と日本語を通じて、九州大学くらいきっと行けるという妄想を抱いて数学と経済学などの専門科の復習をだらけた。簡単に早稲田と阪大の可能性を捨ててしまった。そして、だらけたこそ、神戸大へ行くか行かないかという点に迷っていた。

油断は禁物だ。

ウ、家族からのサポートを失った

学校との交渉が破裂した後、家族はもうあまり私を支えてくれなくなった。なぜなら、90日の査証は20万円以上の大金を払って得たもので、これはもう勿体無くなって、両親に嫌われた。一応、九州へ行ってきたが、面接の結果次第、責任を問われて、悲しい結果になった。

家族との関係を見直すべきだ。

エ、計画そのもの最初からあまり通じない

最も自信を持っていた九州大学も、落ちてしまった。面接のとき、実は先生たちははっきりに

私は外国人で、作文も下手だし、日本人と一緒に勉強することは頑張りすぎるだ。

大学院なら大丈夫だけど。

という風に言われました。

他の志望校も、受かる可能性が高くないだろう。

そもそも、人生というモノは一度もミスを犯せないのだ。私は自分が幼い時犯した過ちを修正するために、もう8年の人生をかかった。それでも無理だ。早くても10年が必要らしい。

三、獲得モノ

ア、一応日本へ行ってきた。

イ、日本の大学の入試の流れを体験した。

ウ、日本社会との相性が良いことが判った。

エ、自分の日本語は大丈夫だ。

オ、2年ぶり、大失敗の味を味わった。

四、これから

ア、高校時代にもう2回留年したので、編入試験を再挑戦する資本がなくなった。来月23歳になって、もう一回の留年は納得できない。

イ、まず、昔の大学院を目指す線に戻るしかない。GPAを確保しつつ、英語と日本語をより一層強化する。

ウ、未来2年間、チャイナ内陸部に流亡し続けても生きれる方法を考えだす。

 

平成27年10月30日

合格でもなくても、新たな始まり

3月に作った「平成27年本土作戦計画」は完全に形骸化しました。元々予定していた、3ヶ月間で日本本土を巡って、試験を受ける計画は水の泡になりました。結局、大金を払って手に入れた90日査証は無駄になり、実際に受けたのは九州大学だけでした。その結果発表は今月の30日です。面接は上手く行かなったですが、自慢の英語力とTOEFLスコアがあるので、まだ諦めません。

今まで、大体試験を受ける前に結果をぴったり予想できていたので、試験前に今後のプランを書いていました。今回だけ、書けないというか、書きたくないというか。書く気が起こりません。頭の中に、2つの計画を用意しましたが。最近、胸が本当にドキドキしています。期待の芽がむくむくと出て、いつもより落ち着かないです。

「卒業したら来てください」名古屋大の先生はそのような返事をくれました。

「大学院ならば…」九大の先生はそう言ってくれました。

きっと私は自分を騙くらかしているでしょう。(笑

トントン拍子に進めば、絶対順調に行けるのに、私はなぜそんなに急いでいるのでしょうか?

1つは勿論、「ニッポン」というモノに現を抜かしています。

もう1つは、来月、23歳になるからです。失った時間を取り戻したいのです。

どんな結果が出ても、その日からは新たな始まりです。胃が痛くなる事ばかりですが、生きていきます。

安心な66.7キロ

その体重は66.7キロ(KG)です。前の連休に量った数字でした。人の重さは常に変わっています。66.7とは言え、経験によると65.5から68までくらいの範囲で変わっているでしょう。

因みにBMIは僅か19.3くらいでしたので安心と言えます。

実は、大学に入ったとき、なんと101.5キロでした。最悪のときは、BMIは30に至ったことがあります。今考えれば、そんな「自分」が全く別人であるように思います。現代社会では、本当に体型によって人を差別します。それは分かります。経験しましたから。太ったら、どこへ行っても、酷い目にあいます。例えば、クラスメートからのイジメはおろか、先生や両親などの大人でも、非難されることは少なくありません。尤も強く印象に残っているのは、高校時代に生徒会長の選挙に立候補しようと思ったところ、先生から「自分の姿を自覚して」という話をされました。ダイエットの覚悟は随分早い時に既に決めていましたが、大学入試に配慮して手を出せなかったのでした。

その為、大学に入ってからすぐ行動しました。ナチスの経済政策を参考にして、カロリーの消費を大幅に伸ばしつつ、摂取を断固削減しました。具体的には、有酸素運動(エアロビクス)として競技場の周りを走ります。朝ご飯はちゃんと食べましたが、昼ご飯は平均より半分しか食べないようにして、夜ご飯は少しだけたべる、或は食べないようにしました。お菓子は当然全く食べなくなりました。

幸い今の食べ物はみんな大抵ラベル表示があるので、そのためカロリーを把握し易いです。ダイエットをする時、人々は大体過多なカロリーを摂取していることを分かりました。ちょうど昔の知り合いのブログで同じようなことを言っている本がありました。(「炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学」)

毎日、いつも腹が減って、最低3KMを走っていました。その為、物凄い体験をしました。走っているうちに、精神も鍛えられた感じがします。自分の精神は錆び付いていることを感じていて、その錆を磨くべきと思いました。「菊と刀」で語られた「練達」の状況も、少し分かるようになりました。

つまり「願えば叶う」という感じ。

その証拠は、運動し過ぎて足を怪我しても、自分はまだ自分の精神は弱いと思い、家族に気づかれて止められるまで、1日に7KMも走り続けていました。どうしても走れないときは、特攻隊員の姿と戦艦ヤマトのことを想像すると、急に力が湧いてきました。「精神論」が完全に役に立たない訳ではないみたいです。

頭の回転は悪くなってしまい、成績には多少影響していたようですが、致命的ではありません。1年半の短期間で、体重はどんどん減っていきました。

計画通り、痩せました。

見た目が全然違うようになりました。けれど、なぜか分からないですが、皆さんの評判はあまり良くありません。

両親からは「私の愛する息子は消えた!」

先生からは「君、からだ大丈夫?病院で検査したら?」

他の皆は「〇〇さん、痩せすぎ。」

体型と食習慣、趣味まで変ったようです(でも価値観などコアの部分はそのままです)。「別人」と言っても過言ではないでしょう。

「痩せすぎ」

と言うのは私にとって最高なご褒美。

「いただきます」の件

アニメにはキャラが食事をする前によく大袈裟に「いただきます」と言います。
ドラマにも、キャラはたいてい自然に「いただきます」と言います。
けれど、現実には、少なくとも食堂や飲食店に於いては、「いただきます」という言葉はそんなに頻繁には聞こえないようです。
調べたら、確かに外や、独りでご飯を食べるときには言わないという人が多いです。
「言わなくてもいい」と「言ったほうが躾がいいと感じる」という両方の説があります。
「いただきます」は料理を作った人への感謝の気持ちを伝えるための言葉と言われます。
私の場合、天神様を信じているので自然を敬う気持ちと共に、特に今年から時々「いただきます」と言うようにしています。
勿論アニメのようではなくて、声はもっと小さくて自然に言います。
食べ物を食べきれなくて大量に処分しなければならない時も(うちはよく料理を作り過ぎしまい)、2拍して手を合わせて謝ります。
「いただきます」という礼を表す言葉が、ここでは時代とともに形骸化しているのは少し残念に思いますが、「畏敬」の気持ちさえあれば大丈夫だと思います。
そして、「いただきます」という言葉は、神様に対して「ありがたい」という気持ちだけではなく、料理を作ってくれた人に感謝するという大切な意味もあります。(本人が気付いていなくても)
これからも、「いただきます」を言い続けたいです。

「国慶」連休、人だかりができる上海中心部へ行ってきました

チャイナには、7日間の連休が2つあります。春節と「国慶節」です。

(昔は「労働節」(5.1)もありましたが、もう廃止されました。)

春節のとき、「実家に帰る」という風習があるので、上海は逆に人がめちゃくちゃ少なくなって、1980年代の上海に戻ったみたいです。

ですので、逆に人が必ず大勢いる「国慶」には、上海人が地元で遊ぶのはあまり良くない選択だと思われます。ですが、自分もほかのチャイナ人(「外地人」と呼ばれます)と同じように、上海へ行くチャンスがわずかになった今、仕方がありません。

家族と一緒に、まず繁華街「南京路」へいきました。

やはり、現場は警戒がかなり厳しくて、現場の秩序を維持するための「武警」(準軍人)たちの姿さえありました。武警さんたちは並んでお互いの手を繋いて人間の「ドア」を作りました。

信号灯が緑になると、「一、二、一…」という号令を叫んで「ドア」を開けて、人々を通します。まもなく赤になると、指揮官の命令に従って、「ドア」が段々閉じていきます。

これは、おそらく外国だけではなく、チャイナでもあまり見られない光景かも知れません。十字路の周辺、チャイナ人も外国人も携帯やデジカメから一眼カメラまで使ってこの光景を記録したいようです。

そして、母と話しながら、上海最大規模のソニー専門店やユニクロなど気に入っている店を巡ってきました。とは言え、ウィンドウショッピングしただけです。母は気に入ったユニクロの洋服を買いましたが。

昼ごはんと晩ごはんは、母はまた韓国料理が食べたがりましたが、私は母を説得して、あまり試したことがなかった香港料理を食べてみました。

美味しかったと思いますが、本格的かどうかわかりません。