成人式の想い出

私は「成人式」という成人式に参加しなかった。もっとも20歳時点の自分は日本に居なかったから、当然日本の成人式に参加できるはずがない。あまり知られていないかもしれないが、実は向こうの国にも成人式というものがある。そして、両親は私の18歳の誕生日に独自に「成人式」としての食事会を開いてくれた。それぞれの想い出を振り返ってみたい。

国の成人式

由来が分からないが、確かに向こうにも「成人式」というものがあった。自分の居た高校の場合、2年のあたりか学級全員が南京に連れていかれて「成人式」という名の行事に参加させられる。成人式というのに、なぜか南京事件の勉強や追悼式典がメインイベントになる。当時の自分はすでに不登校になったから参加しなかったか、それとも理由を付けて不参加にしたかはっきりに覚えていないが、参加しなかったことだけ確かである。

家の成人式

日本も最近成人の年齢を18歳まで下げたが、向こうの国では元来、成人の年齢が18歳とされてきた。平成22年(2010)の秋、私の成人の祝いとして両親は盛大な食事会を開いてくれた。ほとんどの親戚が出席して、とんでもない額のご祝儀をもらった。とくに印象的だったことは、父親は親戚の前にこれから1人の大人として私に接し、これからもう暴力を振らないことを約束したことだ。その日の父親は優しかった。

確かに誕生日からしばらくの間に父親はある程度約束を守っていたが、6年後広島行きの飛行機に乗るまで暴力が止まることはなかった。

ゆく年くる年

今年ももうすぐ終わろうとしています。
転勤や結婚などが次々と、激動の一年でした。
決して理想的なカタチではないのですが、
なんとか足場を固めることができました。
来年のテーマは「新たな旅」だと思います。
高校入学時に立てた計画はいよいよ大詰め、
新たな旅に出なければならない時がやってくる。
日本に恵まれ、私の人生は救われました。
この恩を忘れずに、引き続き頑張っていきます。

令和3年12月31日

新大阪活動報告③赤字家計、レベル低い業務とパワハラ気味の職場

大阪に転勤されてからまだ3ヶ月目だが、すでに前の部署と前の生活が恋しい。基本的に自分のやりたいことは全部できない状態になっている。人のために頑張っていても、時折些細なことで強く責められる。物理的にも、メンタル的に、現状はすでに私が対応可能な限界ではないかと思う。これ以上何かを強いられたら自転車操業になってしまう。

赤字家計

まず一番困っているのはお金の問題だ。転勤以来私は構造的な赤字家計を抱えてきた。家賃や帰省交通費だけで私の手取りで賄えるかどうかの話だ。工夫してなんとかなるスケールではない。もちろん一定の節約もコミットしている。社会人デビュー以来辞めていたコンビニ食は完全復活した。社食のお昼の他ほとんどコンビニの菓子パンを主食にしている。

これに関して、来年4月に、家内が就職したら大幅に改善される見込みだ。黒字化するのは難しくないが、その分の固定費が変わらないから、結局収入面ではハンディを背負っている。黒字化できても決して見過ごすことができない課題だ。その唯一の解決策は東京勤務の復帰である。

「なんで奥さんは大阪に来ないの?」や「そんなにいい家じゃなくても、甘やかしすぎ」など、転勤の際に周りから結構厳しい意見が寄せられた。辛い時に人生が振り回された、「もっと協力的なパートナーと付き合えばよかった」を思ったことはなくもない。しかし、自分みたいな、健全でない家庭で育った人にとって、家族の存在が大事だし、あってないようなものというより今のつながりを大事にしたい。別に他の人と一緒にいたらまた別の悩みもあるだろうし。

レベル低い業務

業務自体のレベルというより、業務プロセスのレベルは想像より低い。各種大手IT企業が開発した会計ソフトももちろん利用するが、Excelベースの作業の割合は低くない。1つの業務につい、主ファイル1つと無数なサブファイルというダンジョンみたいな構造だ。業務の引き継ぎで先輩からある程度教えてくれるが、あまりにも属人的な作業で、メモしようとする術がない。その場で理解するか、後ほど自ら数式を解読して頭で覚えるしかない。

時々1時間、2時間ぐらい費やしてExcelファイルの解読を試みる。運がよく謎を解けても特に爽快感を覚えない。何1つもクリエイティブなことをしていないからだ。他の日本企業(いわゆるJTC)の経理部にはもっと理不尽な作業があって、うちの経理部はあくまで仕方なく自動化できない部分をアナログでやることを理解している。しかし、これは長年の青春を払って修士まで勉強してやるべき仕事かを言わせると、とうてい思えない。

パワハラ気味の職場

今の上司はとても難しい人だ。日本人には気まぐれで、感情的な人だと思う。高学歴で能力が高い人だったが、どうもこの人はあまり人のマネジメントに向いていないように思ってしまう。詳細を省くが、この人の振る舞いはつねにパワハラの一歩手前で泳ぐ。

その扱いに耐えきれず、二人切りで腹を割って話したこともある。正直に言えば、上司の本心は若干歪んでいるように見えるが、悪い人ではなさそうだ。言っていることも一理があって、それ自体を否定するつもりない。しかし、あまりにも細かくてすでに何重苦に喘いでいる自分として対応が困る。

さらに言えば、中途採用でとくに私より社歴長くない上司に雑に扱われたくない。第一、この上司はうちの会社の何がわかっているというのか。うちの会社はあんなに手間暇をかけて私を採用して、私もその恩恵を受けて自分なりにこの会社にコミットしようとして頑張っているわけだ。少なくとも現時点で、この人は会社の意思を代弁できないと思う。上司のポジションとはいえ、自分の立場をわきまえて欲しい。

学籍の一歩手前

数ヶ月前に、出身校の証明書を取れなくなったことを受けて高認試験に参加することを決意した。もちろん、十分な勉強時間を確保できず、弱みの日本史と物理基礎だけ勉強していた。他の科目はいずれ一般常識で乗り越えた。勉強したとはいえ、演習を怠ったせいで物理の手応えがかなり悪かった。今回無事に一発で全科目を合格できて幸運だった。

さてさて、高卒を取り戻したから、残っているのは大卒のみ、パズルの最後のピースだ。高認試験の後でも、私は一時学部をやり直すことを諦めて出身校に連絡しようとした。向こうは昔と全然変わらず、つねに私の想像を超えている。複数の部署に電話したが、電話に出る人もいなかった。まるでフィクションで、最初から実在しないようだった。

夜間か通信か

社会人としてちゃんと勉強できる大学についていろいろ調べておいた。とくに夜間大学が魅力的で、転勤が決まるまで実はすでに埼玉大学経済学部に決めていた。埼玉大学と10分以上の長電話をし、高校卒業証明書の件を交渉できた。卒業証書の原本を見せれば特例として出願させてもらえた。

大阪転勤が決まり、埼玉大学への出願が中断せざるを得なかった。関西地方は一見首都圏と大差ないかもしれないが、実は大学の数は遥かに少ない。その中でさらに夜間学部まで絞るとわずかしか存在しない。そのわずかな大学のアクセスも便利とはいえず、例えば確かに滋賀大学も夜間学部を設けるが、大阪市内からその最寄駅の彦根駅まで片道1時間以上もかかる。

関東と関西往復する生活、将来的に海外転任の可能性もあるからもはや通信大学という一択である。具体的に、唯一限りなく通常の大学と同レベルの教育・資源にアクセスできる慶應通信しか考えられない。慶應通信の選考は志望理由と720字程度の書評しかないが、卒業の難しさに知られている。それこそ、学歴の品位を保てたと思う。キャンパスも現住所から数駅程度で、アクセスがいい。

欲張り

実は、経済学で東大博士号を取る以外にも、他に勉強したいことがあるのだ。とくにMITの通信プログラム「MicroMasters Program in Statistics and Data Science」に強い興味を持っている。より実務的、先端的な知識だから、これからいずれ業務で応用できそうだ。

しかし、学費に少し困ったものだ。慶應通信は20万円で、MITも15万円がかかる。現に1つだけ選んでもその分の学費の捻出は容易ではないのだ。

「がんばり屋だから優秀」(ネタバレ有り)

12月3日金曜日、私は予定時間ギリギリまで上司の指示に対応できて会社から出て銀座方面に向かった。銀座はすでに私の「庭」ではなくなり、馴染んだ町並みを眺めてかすかな寂しさを感じた。でも、今日に限ってそれはどうでもいい話だ。

今日はARIA新プロジェクトの最終編「The BENEDIZIONE」が公開する日だ。前回「The CREPUSCOLO」の時と違って、私は公開1ヶ月前からこれを意識して初公開の日に見ようと決めた。カレンダーに公開日を入れたものの、舞台挨拶の予約日を間違えて見逃した。

前作を観たものの、やはり新世代3人組に馴染まない。名前ですら覚えてなく、キャラだけうろ覚えしている。でもそれでいい、特に嫌な感じがしない。「中堅管理職」になった灯里、愛華とアリスの三人組(ワンオペのARIA Companyを担った灯里さんは実質社長なんだけど)にも少し違和感を覚えた。しかし、ネオ・ヴェネツィアという世界の雰囲気は全然変わっていない。原作から20年間も経ったというのに、これほど巧妙に世界観を保てる作品は稀だ。

今回の最終章は個人的に一番響くエピソードだった。いつもの「ARIAを観て心を洗う」と違って現実的なディスカッションがあった。姫屋の晃・藍華を中心に家柄、才能と努力の葛藤を描いた。第一世代3人組の中で唯一の「凡人」の晃さんだから、もちろん努力が肯定された。晃さんが自分の昇格試験を回想するシーンが一番印象的だった。試験の後、クイーンに「あなたは優秀なのにがんばり屋さん」を言われた晃さんは「がんばり屋だから優秀なんです」と答えた。

「がんばり屋だから優秀」、心に響く言葉だ。現役のARIAファンはおそらく若くてもそこそこ歳を取っているから、かなり刺されると思う。社会に出て、いや、学生時代にもすでに感じたはずだ。世間には才能や家柄に恵まれる人はたくさんいることだ。そういった人たちと比べて、何をしようとする時どうしても苦労する。時に、凡人にとって唯一の道である努力でさえ否定する酷い人も居る(家柄や才能を持つ者もそれなりに努力するのに)。

社交辞令の時が多いと思うけど、私も学生時代から周りに「優秀」とか「頭がいい」とかを言われる。私に言わせてもらえば、本音として全然そう思わないし、言われたら逆に穴に逃げたくなる。その「優秀」の裏にまさに「努力」の他ならない。誰もいない校舎でひたすら単語帳を暗記したり、休日のサービス残業や自己研鑽、そのほとんどは力業である。「がんばり屋だから優秀なんです」、晃さんは私の気持ちを代弁してくれた。

今回のARIA新作は自体はもはや奇跡的と言っていいほどのものだから、ARIAは本当に完結してしまったかもしれない。新世代の視聴者に媚びず、昔の価値観を維持するにビジネスとして成り立つのが難しいし、物語自体も限界に達しつつある。キャラクターたちの世代交代が行われているが、新世代を中心に何か劇的な展開ができるのか、世界観を壊さない限りに至難の業だろう。

エンディングロールにTVアニメのワンシーンが流れていた。在りし日の幸せを眺めて、私は「終わらないで(離れないで)」の言葉で胸いっぱいになった。時間の流れは私の意思に関わらず過ぎていき、やがてシアターが明るくなって退場を迫られた。私は別れの寂しさを抑えながら、駅に向かってつれを迎えていった。

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高認試験受験所感

生活基盤はすでに応募した時と比べてだいぶ違って、とても「趣味」の範囲から出られない高認試験を受けるところではなかった。負けず嫌いな自分に敵わず、渋々朝早く試験会場に向かって結果的によかったと思う。

いろいろ訳あって高校の学習を全うできなかった少年・少女たちを救済する意味合いの強い試験だから、出題の量も難易度も総じて甘かった。日常で使う日本語=国語や、大学まで触れていた数学、政治・経済系科目はもちろん、「科学と人間生活」も一般常識だけでなんとかなりそうな試験だった。その中で物理基礎だけが結構タフなイメージであって、1ヶ月前に教科書を一周しただけの自分は苦戦を強いられて、合格できないかもしれない。

試験の本質

少なからず試験の本質を悟ってきたような気がする。結論から言えば、試験は受験した時点の学力しか測れず、それ以上でもそれ以下でもない。文系出身だったが、私は理系が大好きだったし、物理の成績も一貫してよかった。上記の教科書の一周以外、高校以来物理に触れてなくて公式などがとっくにさっぱり忘れていた。昔の大学受験の時の成績とか、資格とかで自慢する人を結構見かけるが、今まで過去の栄光に囚われて前に進まないことにならないに謹んで自慢したい気持ちを控えてきた。今日は再び、別の角度でその無意味さを認識できた。

優れる義務教育

気になっていることとして、国語の試験で学生同士のディスカッション系が多くて就活のグループディスカッション(GD)を彷彿させられた。就活にGDがあったのは、元々義務教育からそういう内容を教わった(もしくは体験させられた)からではないかと勝手に推測している。つれから聞いた日本の高校の話を鑑みてその可能性が低くない。結局、以前不思議に思えていた日本人の凄さ、普遍的に強い生活力と集団活動力はあくまで学校で習得したとこで、特にその本人と両親の意識が高いために限らないみたい。

高認試験の意味

私にとって高認試験は大学に戻るに役に立つし、日本社会とのつながりを強める面でみても決して無駄ではないと思う。今更日本の義務教育を追体験することができないが、高認試験を通じてその一部のかけらを窺えた。外国人に向ける日本語能力試験を超えて、実際日本人と同様に国語の成績を持つことで、これからいざという時に説得力も増すでしょう。高認試験に興味を持つ外国出身者がいても、実際わざわざ受験までする人はそうそう居ないはずだから、私は日本社会の結構ディープなところまでたどり着いているような気がする。

新大阪活動報告①報告すべき件なし

内示から2ヶ月間が過ぎたが、今のところは上司に予告された通り、とても暇である。一時出社した時期もあったが、在宅勤務であればほぼ有給休暇に等しい。新入社員に逆戻りしたと言っても過言ではない気分だが、2年弱の社会人をやって1年以上平気に「放置」されてきた。しかし、毎月決して低くない給料を支給されるから、不思議に思って仕方がない。

経済学出身のせいだろうか、私はつねに無意識に物ごとを経済学的損得勘定で考えてしまう。考えてみてください。修士まで18年間以上の教育を受けてきて、そのほとんどが国公立でつまり税金で賄われていたわけだが、来月29歳もなる私はろくにその分の価値を社会に還元できていない。しかも、卒業以来私は給料分だけの仕事をしていない。若ければまだしも、昭和10年の平均余命にするともはや半分の人生が終わっていることだ。

税金、親からの投資と個人の努力によって得られた知識、スキルと思考力は宝の持ち腐れにされている。新卒の大学生よりアドバンテージと言えるところはせいぜい歳を取って落ち着いているしかない。一定期間において安定的なパフォーマンスを発揮できる機械と違って、そういった知識やスキルは肉体とともに劣っていくのだ。知識とスキルは使わなければいずれ忘れ去られる。多様な刺激を受けなければ、考え方も狭くなったりして変な方向に偏りかねない。

この不合理さこそ日々私を苦しめる根のもとである。なかなか承認欲求・自己実現欲求に満たせない位置に置かれている。「これから」、「誰でもそうしてきた」を言われても、人生の半分、肉体のピークが過ぎているのに、一体いつから「コスト」に見合う生産的活動ができるのだろう。

悩ましい新型MacBook

待ち望んできた次世代M1シリーズMacBookはついにリリースされたが、躊躇なく予約することができなかった。かといってきっぱり見送るわけでもない。

新しいパソコンが必要な理由

9月から始まった大阪転勤によって、関西・関東間の移動は頻繁になった。「住所不定」の生活で、従来のMac Miniを中心にした配置は明らかに現状に満たせなくなった。いつでもどこでも同じワークフローができるように、気軽に携帯できるワークステーションが欲しい。

iPadは9割の作業をある程度カバーできるが、ほとんどの分野で得意とは言えず、効率が低い。加えて、今持っているiPadは64GBモデルだから、メインマシンとしてのポテンシャルがない。

物足りない現行無印M1

去年の11月にリリースされたM1搭載のMacBook Air/Proは性能的に素晴らしいパソコンに違いなく、新型のM1 Pro/Maxより劣っているが、ノートパソコン全体で見れば依然として優れている。価格もお手頃で、公式整備品は10万円弱で手に入れることができる。

唯一致命的な欠点として、無印M1のMacBookは同時に2つの外付けモニターに繋げることはできないのだ。デュアルモニターで作業することに馴染んでいる自分にとって、ここはどうしても譲れない。そして、無印M1はすでに旧製品になりつつあるため、このタイミングで手を出すとどうしても損する気持ちがある。

完璧な新型MacBook

今回の新型MacBookはもはや完璧なノートパソコンではないかと思う。性能について私はとくに気にしていない。ワープロ、ライトルームやプログラミングなど、そういった日常的利用には無印M1でもすでに持て余す。リフレッシュしたデザイン、狭いベゼルや復活した諸端子、そしてデュアルモニターへの対応、いずれも無印M1の短所であって改善された。

値段と悩み

確かにM1 Pro/Maxの性能をフル活用できる業界の方には、今回の新型MacBookはむしろ格安な類だを思われるかもしれないが、諸々込みで30万円弱の値段は一般人には手が届きにくい。リリースの前にすでにある程度覚悟していた。10万円前後で新型を買うつもりがさらさらなかったが、せいぜい18万前後、20万円を超えないと見積もった。

結果、エントリーモデルだけで軽く20万円を超えて、とても深く考えずに手を出すことではなかった。家族と相談して、本当に必要であれば買ってもいいというグリーンライトを出してくれた。実は結婚の前倒しで、5年間の貯金が一気に消えたぐらい家計が壊滅した。オリコローンを活用すれば、とくに家計をこれ以上圧迫しないが、パソコンに30万円も使った事実が変わらない。家計に余裕がない中で、こんな独りよがりの行動は人としてよくないと思う。

渋谷時代の終わり

なかなか予想できなかったが、やはり私の渋谷時代は終わったと思う。住む場所に限らず、キャリアから家族まで、ライフスタイルは隅から隅まで大きく変わっている。人生の1つのターニングポイントを迎えていると言えよう。

この時期は私の最後の学生時代であり、受験勉強に限らずに幅広い活動が恵まれた青春の終電である。おおよそ4年間の日月にこれから人生の過ごし方が決定された。この4年間において全ての経験と出会いが大事であり、無駄にした時間や特段後悔になりうることはほとんどなかった。

この渋谷時代の終わり方について、いくつかのシナリオを想定していた。渋谷の大学に通うつれの卒業をきっかけに新しい時代を迎えるか、新入社員のグレードから普通社員に昇格するタイミングで青春とお別れを告げるかと考えていた。皮肉にも、その決定権は結局私になかった。

笹塚

複数の引越しを経験してから振り返ってみれば、笹塚のアパートは少しボロいが立地と設備がよくてとても住みやすかった。私は長い間に東京に興味がなく、九州を中心に活動しようとしたから、東京に関して渋谷以外は全くイメージが付かなかった。拠点を検討したとき、朦朧として渋谷区を限定にした。

最寄りの京王線を使って1駅で新宿に着く。ビックロやTOHOシネマズはほぼ家の近くにある感覚だった。コロナ以前定期的に映画館に通う自分として大変助かった。渋谷に行くために明大前で井の頭線に乗り換えるが、そんなに苦に思えない。駒場だったら、井の頭線に乗ってもいいし、自転車で行くことも少なくなかった。すでにつれに譲ったチャリに今も当時駒場の駐輪シールが貼っている。

笹塚周辺のコンビニで1年間弱働いていた。当時は4軒のコンビニに応募したが、一発でこのコンビニに決めた。青森出身の店長のやや珍しい訛りに親切さを覚えたし、「後ほど電話」ではなく、その場で採用を決めてくれた。仕事をこなせばとくにやり方を押し付けないことや、お客も他のバイトも地元の住民がほとんどだったから、滅多にトラブルがなくてマイペースの自分でも馴染んでいた。

神社研究会

当時の私は今より信仰心が深く、神道と神社に傾倒していた。神主になることも目指した。普通の人には理解しがたいかもしれないが、人は極端な環境に置かれて限界に追い込まれると現世より「上」の世界に救いを求めることになる。私はその状態で神社研究会に入った。

もちろん、神社研究会はあくまで神道のテーマを文化的、学術的に扱っている団体で、在籍していた時に宗教的な活動は一切なかった。どちらかというと、旅行サークルより近いではないかと思う。想定したビジョンと少し違うが、日本式サークル活動を体験・勉強するためにそれなりに活動していた。

学園祭(駒場祭・五月祭)、コミケ出展と合宿、いずれも私にとってアニメにしか存在しないはずのイベントはリアルでハイレベルで体験できた。非日本人かつ非駒場出身、加えて社交的でもない、異類だった私を容認し、面倒を見てくれたメンバーたちに今でも感謝と申し訳ない気持ちを持っている。あの時はもっと積極的に活動できれば、もっと自然に振る舞って馴染めば、と思ったことはなくもないが、やはり当時の自分にとうてい難しいことだと思う。

Y神社

Y神社との関わりは完全に運命の流れだった。Y神社があって、今の生活があると言ってもいい。私のつれ、大事な友達たちはいずれY神社の関係者だった。そのセンシティブな政治的属性に覆われる裏に、至って普通の神社だった。むしろ、一般の神社より世俗化されており、大企業のように感じた。

神社での勤務、特に徹夜に伴う大晦日はとくに別のアルバイトより楽にならないはずなのに、全然嫌にならない。むしろ、普段のストレスまで癒やされているような気がした。とにかく参拝者も、従業員も全員優しくて、疲れることがあってもイライラする人がいなかった。皆さんと一緒に食堂で駅伝を観ながら、おせちを食べる時間はとても懐かしい。

社会人になってタイミングよく友達と御霊祭に行く時、私は半分冗談で「オレの前世は絶対大陸で戦死した日本兵だ」と言った。現実的に考えると、ずっと独りぼっちだった自分はY神社という空間・集団に隔てなく受け入れられ、周りとの一体感が高まったのは安らぎを感じた理由かもしれない。

日本橋

社会人になり、通勤の便利さから、しぶしぶ笹塚から日本橋に引っ越した。絶対いつか笹塚に帰るのだと思いつつ、ほとんどすぐ都心ライフに「負けた」。住宅街の安いアパートから都心の高級マンションに一気に上がって多かれ少なかれ気分が浮いていた。これに関して私は素直に認める。東大に受かった直後に感じた「全能感」を超えて空虚ですら覚えた。

職場も徒歩圏内にあるため、私の活動範囲は急激に狭まった。ちゃんとしたスーパーがないが、特殊なマルエツ、成城石井と高島屋があるから、たいていのものが揃っていた。夜遊びが増えて、頻繁に女性を銀座の店に誘ったりしていた。こんな地に足がつかない生活は半年程度続いていた。

つれとの同棲生活が始まったごろから、私の浮いていたこころは徐々に静まってきた。コロナもあって夜遊びをやめて銀座にはもう滅多に行かない。その代わりに日本橋により馴染んだ。八重洲方面に何の店がだいたいどこにあるかを言えるようになったし、昔ながらの店にもよく顔を出すようになった。こんな平凡な日常を送る最中に急に大阪への辞令が出た。

終止符

悩みと苦しみもあったが、私の「渋谷時代」は楽しかった。人生のステップアップは人より若干遅れて、苦しんだ時期も長かったけど、「終電」とはいえ、このレベルの青春を楽しめてペイできていると思う。

運命の歯車はまた回り始めて、浮いていた体が地面に叩きつけられた。会社と家族といった絆ができて、これからの人生はどこに向かっているかもはや自分で決めることではなくなった。

人生初のIKEA、ついでに家具屋もやる「遊園地」

先日初めてIKEAを体験した。IKEAに関してもちろん小さい時から名前とCMぐらい知っている。実際行く機会がなかったし、通販サイトで家具類を漁ったことあるが、特に欲しいものがなかった。

IKEAに興味皆無の私が、つれの家族に誘われて行くことにした。結論から言えば、今回の体験で私のIKEAに対する印象は「興味ない」から「少し嫌い」に劣化した。

ショールームという本題

掲題で私はIKEAのことを「遊園地」と呼んだのは、IKEAがショールームをメインテーマにしているからだ。IKEAの商品を用いてコーディネートした無数のショールーム、様々なシーンと使用例を見せてくれる。

ショールーム自体に文句ないが、ショールームを通り抜けないと実際のお買い物エリア「セルフサービス」にたどり着けないのが気がかりだった。純粋に商品を仕入れて売る小売より、遊園地みたいに体験を売るサービス業に近い。悪意というか、IKEAのマーケット意図を露骨に感じられてしまった。

リサーチをコミットした上で予め買いたい商品を決めるのは自分の慣れてきたやり方だ。加えてその日に入場制限が発動されるぐらい混み合っていた。落ち着いてショールームを楽しめず、IKEAのビジネスモデルに戸惑ってストレスを感じた。

いまいちなクォリティ

1日中IKEAを回って、せっかく決まった商品だったが、なんと組み立て作業の最中にネジ1本が足りないことを発覚した。

作業を始めたら最後まで終わらせないと気が済まないというやや発達障害的な性格の自分にまたとんでもないチャレンジだった。

翌日に車でもう一度IKEAに行って、その返品カウンターでネジの備品をもらえたが、家具のパーツが散らかるリビングやネジ1本のためにまたIKEAに行かされることはいずれ私に大きなストレスを与えた。

やっぱりニトリが最高

皆さんで一緒にニトリに行ったその日の夕方、私の提案でニトリにも少し訪れた。馴染んできた陳列、適宜な人口密度に恵まれてIKEAでたまった不安が緩和されていた。

結局IKEAで見つからなかった家具はわずか1時間で確保できた。大好きな調理器具も思う存分に選べた。そもそもIKEAのデザインは狭い日本の家にあっていないのは私の持論だ。欲しいものは全部一回りサイズが大きくて、物理的に置けないのだった。