保護中: 京都への旅

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標準語と方言

博多弁とか、関西弁とか、どこかの方言を身に付けようとした時があった。その背景は、自分が上京して東京に定住するようになるとは思わなかったのである。地方に住めば、そこの方言を喋った方が溶け込みやすいと単純に思っていた。しかし、どうも事情はそんなに単純ではないみたいなのだ。幸いというべきだろうか。短期間に滞在していた福岡の他、長い間に住んでいた島根県の街が西日本にあるにも関わらず、東京と同じアクセントで話されている地域だった。今まで方言に囲まれた時はなかった。

最初違和感を覚えたのは、関西出身の知り合いはみんな私に関西弁を喋らないということだ。「話してみてよ、聞きたいから」と願っても話してくれなかった。そして、その中の1人が私に告白した。「元々関西の訛りが強かったので、周りの人に笑われたり、バカにされたりする経験があって、思い切って訛りを直した」と言われた。その話を聞いて少し驚いた。それ以降、知り合いに方言を話せようとしなくなった。上京して、今度は逆に大阪に住んでいた関東の人は私にこう語った。大阪に住んでいた時下手な関西弁を喋ったら、「やめろ」と地元の人に止めさせられたことがあるという。これで、日本人の方言への考えを概ねに掴んだと思う。

外国出身者として、きれいに標準語を喋るのは至難の技である。方言を上手に身に付ける可能性は果たしてあるかどうかをさえ懐疑する(方言うまい外国人という噂が偶に耳にするが)。何より、関東に住む以上、私は標準語しか勉強しないようと決めた。「日本語アクセント辞典」を買い、まるでアナウンサーとか声優とかに挑戦するような構えを取った。辞典の説明から「カ゜」というような鼻濁音の存在を知った。西日本では鼻濁音を話す人はほとんど居ないという。更に、鼻濁音を話せない日本人も普通に居るらしい。ネットの動画を真似てカ行鼻濁音を話してみたら上手くできた。とても嬉しかった。気付かなかったから分からないけれど、実際普段から既に無意識で「カ゜」を話しているかもしれない。こうして、標準語に対する理解が深まると共に、国への帰属意識も段々増やしてきた。やはり何のゆかりもない地方の方言より、国の標準語をマスターした方がその人には大事なのではないか。

メリル・リンチ内部座談会の感想

先日(7日)、日本橋駅周辺に日本法人を置くメリル・リンチの内部イベントに参加してみた。正直に言うと、そのきっかけは胡散臭いものだった。情報源はうちの先輩なのだが、その先輩も早稲田の人に頼まれたらしいのだ。でも、担当の社員さんは慶應出身だった。全く関係がない繋がりだった。とは言え、ググってみたら一応まともな会社であることを分かったので行ってみることにした。

現場に到着したら、緊張してしまって、ネクタイを上手く結べず、慌てて何度も結び直していた。いつもは距離を置いている中国人でも良いから、知り合いと合流したかった。しかし、知り合いらしき者は1人でも見当たらなかった。LINEで一緒に応募した中国人の知り合いに声を掛けたら、彼は明日の会への参加だった。だから、始終私は1人のままだった。正直に言うと、若干寂しかった。

知り合いが居なかったとは言え、同じ学校の人は圧倒的に多かった。そもそも、出席した人は東大と慶應の人しか無かった。会社側は明確に言及していないが、特定の学校だけを対象に採用活動を行っていることは明らかだ。専門なんてあまり問われないし。実際先輩社員に聞いても、語学以外、勉強した知識を活かしたことがほとんどないと言われた。やはり、大学がフィルターのように機能しただけではあるまいかと私は思う。この事実に気付き、底辺高校から這い上がってきた私は怯えて震えた。恐らく業界として、全体的にこのような感じなのかもしれない。転職してきた先輩の話によると、この会社は東大の卒業生が多いが、JPモルガンには慶應の方が多いという。

最近まで、私の投資銀行へ対するイメージはほとんど「マージンコール」という映画から受けた物なので、理系・数学に得意な人が投資銀行に求められると思った。しかし、投資銀行でも様々な部門があるため、必ずしも理系科目が得意ではなければならない訳ではない。寧ろ、会社全体で見ると、文系の方が多い。例えば、司会の社員さんは法学部出身だった。数学にそんなに得意ではない私でも投資銀行で活躍できる可能性があることを知った途端、私は投資銀行に傾倒した。理由は極めて簡単だ。激務でありながら、給料は普通の新卒の2倍以上になる。案件ボーナスによると3倍、4倍を貰える年もある。先輩曰く、「入社して金銭感覚が麻痺してしまった」。これほど稼ぐなら本当に突然リストラされても文句がない。リストラどころか、その前に転職してしまうケースの方が普通らしい。色んな意味でなんと恐ろしい業界なのだ。

唯一強調されたスキルはチームワークに対する協調性だった。ところが、絶望的なことに私は今までチームワークが上手くできた経験は一度もないので、大変困る。学部時代、中国人と組んで共同課題をする時、決まって誰かと喧嘩して破局を迎えた。日本でバイトする時も、全ての職場に於いて周りに溶け込めず、上司や先輩の人に言い返したりしていた。このような、致命的な人格欠陥が人事に知られたら恐らくどこにも雇われないかもしれない。では、どうすれば良いだろうか。取り敢えず、明るい協調性高い人(=陽キャラ)を装うことにしたい。入社してからまた解決策を練ろうと思う。

帰る時、私は現場で出会ったただ1人の中国人に話を掛けた(皆さんは名札を付けていた)。軽く挨拶したら、「あなたは中国出身でしょう?」を言われた。珍しく中国人に見破られた。私はニヤニヤしながら「そうそう、日本語が訛っていますね」と自白した。聞いてみたら、彼はバリバリな学部生だった。とても有能な人に違いないと思うが、自分の所属大学院を話した途端、相手されなくなった。私を後にして、何も言わずにエレベータに向かった。雰囲気が冷たかった。私が中国出身なのに日本名を乗ってズルいと思われたからか。大学院を利用して学歴ロンダするご都合な人だと思われたからか。それともただ彼の性格(キャラ)なのか。もしかしたら、私と同じように中国人が嫌いかもしれない。このつまらないことについて悩みながら帰路についた。

パソコンの話

私は幼稚園のころに初めてWindows 3.1が搭載するNEC製のノートパソコンを使ってから20年間、ずっとPCを使い続けてきた。一度もApple社のMacを所有したりしない。高校時代の一時期にiPhoneとiPadを使っていたが、ある時からAndroidの携帯やタブレットに乗り換えた。そして、去年の年末、十数年ぶりに再びNEC製のノートパソコンを購入した。

この新しく購入したノートパソコンは例えようもないくらい使いやすかった。コンパクトの割に、性能が高い。なのに、電池が信じられないように長持ちで一度充電すれば朝から晩まで余裕で作業できる。しかもファンレスのデザインなので、携帯のように、何の音もしない。これは昔から考えたら想像も着かない事だった。

しかし、私は戸惑い始めた。「この選択は本当に正しかったのか」と心が動揺し始めたのだ。背景として、今の学校はMacを標準端末にしているということがある。文化財として指定される古い校舎の学生ホールに一色にiMacが並んでいる。国立の大学なのに国産メーカーを提携せず、外国メーカーを標準にしたのが私にはまず不思議だ。一方、周りの同期たちも、1人1台の勢いでiPadとApple Pencilの組み合わせを導入し続けている。勿論、MacBookを所有する人も少なくない。

正確にいうと、確かに一部の専門ソフトを利用する為に、Macを使わなればならない時がある。そういった時に、私は学校の端末を使うか、またリモートデスクトップという便利なツールを使うのだ。年を取って新しい物を受け入れにくくなったせいだろうか、使い慣れないMacに全然好感が湧かない。けれども、iPadとMacBookに囲まれている私は強い同調圧力を覚えた。だから、「あの時、Mac Bookを買えばよかったのに」という後悔がふと心に浮かんでくる時がある。

MacBookを導入しても、必ず今のNECより使いやすいと思わないが、周りの人と違うことにやはり多少不安がある。新しいパソコンを買ったばかりだし、今すぐ捨ててMacBookを買うわけにはいかない。気になっても仕方がない。

学部時代の知り合いのこと

先日、久しぶりに学部のチャットグループを開いたら大変なことになっていました。なんと、学部時代の知り合いの父さんが交通事故に遭って重体になったのです。その為に膨大な医療費が必要のことで、そのグループで元委員長さんは募金を呼びかけていました。私はこれを見て、その知り合いへ数万円を振り込みました。結構お世話になっていた人だったので、もし今私が社会人だったら数十万円を出すのが義理だと思ったからです。

彼は地方の農家出身です。日本と違って中国では格差が激しいので、農家の人は都会の人より経済的に本当に貧しいのです。でも彼は成績優秀で、その大学に入ることができ、勉強を大変頑張っていました。そして、彼は大きな夢を持っていました。卒業したら就職せずに、大学院に入っていつかイギリスの名門大学に行くという夢でした。残念ながら、いつも真面目だった彼ですが、大学院に受かりませんでした。

学部前期の私は決して成績が良い訳ではありませんでした。微分積分、線形代数や確率論など、そういった理系の科目は苦手でした。1人で宿題をしても、どうしても問題を解けなかったのです。そんな時、私はいつも遠慮なく彼に聞いていました。そうやって私の単位を救ってくれただけではなく、日本に来てからも、証明書の発行と郵送や奨学金の情報など、何度も手を貸してくれました。私はその時から既に中国人とは距離を置き、付き合わないようにしていましたが、彼は例外でした。

真面目、成績優秀だった彼が夢を叶えられなかっただけではなく、更にこんな酷い目に遭ってしまいました。彼の境遇を知り、私は複雑な気持ちになりました。「頑張れば報われる」というのはもしかしてそうそう無いかも知れません。頑張っただけで思い通りに前へ進めてきた私は如何に神様に守られているかどういうことに気付きました。これから過度に欲張らず、感謝の気持ちを持って暮らしていきたいです。

いきなりの就活ムード

大学院に入ってまだ1か月ほどなのに、いきなり就活ムードになってしまいました。駒場でダラダラしていた時期を含めても、今の学校との付き合いは僅か半年に過ぎません。それにも関わらず、これからの進路を考えなければならなくなりました。

きっかけは同期の1人の中国人留学生です。彼は4月末の時点で就活を始めたと周りに公言しました。私は、「単なる意識高い系の騒ぎだ」と思い、良い気持ちはしませんでした。でも、GW明けにある日本人の知り合いに「外資コンサルの募集はもうすぐ始まる。年内に内定をもらうのも可能だ。お前らは気をつけよう。」と言われました。とても信じられないので、すぐパソコンで色々調べてみました。するとそれは本当でした。大手監査法人のPwCはマイページの登録を解禁しました。モルガン・スタンレーのインターン説明会も近いうちに開かれます。

この事実を受けて、私の気持ちは急変しました。今まで考えていたこと、周りの同期と仲良くするとか、学校からの帰り道で映画を観るとか、どれもがとても小さくくだらないことのように思えてきました。だって、私の準備はまだ全然できていません。相変わらず中途半端な日本語を喋っていますし。切札としてこっそり米国公認会計士試験を勉強していますが、全く進歩していません。公認会計士のところか、まだ簿記3級のところに留まっています。今のように思い始めると、焦ってきました。経団連に所属しない外資たちは早い段階で内定を出すという噂が、ずっと前から耳にしました。しかし、いきなり目の前のことになって、平気で受け入れる訳がありません。

冷静に考えると、やはり大学院は学部とは違うと思います。学生とは言え、準社会人のように位置付けられているようです。修士課程でしたら在籍期間は2年間しかないですし。学部生のように暢気に過ごすことができません。留年、不登校、浪人、追放、留学、院試、様々な困難を乗り越えてついに一息ついて普通の学校生活を送れると思ったらまた戦わなければならなくなりました。それはそうです。もうこんな年になりましたし。一度失ったモノは既に取り戻せない感じがしました。今まで通りに希望を未来に掛けるしかありません。

Lang-8を止めました

私はLang-8をよく使っていました。今まで4年間で、ちょっとしたモノばかりですが、通算10万字以上の日本語投稿を書いて、添削して頂きました。この10万字の積み上げこそ、私の宝です。いつも人には「10年間日本語を勉強してきた」と主張していますが、実際本格的に日本語を勉強し始めたのは最近の数年間のことに過ぎません。その10万字の作文経験のお陰で、私の日本語力は飛躍的に上達しました。

こんなに勉強者にとって役に立つサイトですが、運営会社はこれを社長の趣味のサイトだと見なしているそうです。利益を生み出せないせいでしょうか。運営会社はLang-8をひっそり閉めようとしています。「コストダウン」という名目でサイトの登録機能を1年間以上に差止めています。新入会員が居なくなったLang-8コミュニティは日々活気を失っています。新機能の追加はともかく、現状維持さえできなくなりました。サイトのメンテンナスが放置されて、ページを開けない日も増えました。「そろそろ離れようか」という想いが度々心に浮かんできます。

Lang-8は「相互添削」が基本ですから、一方的に添削して貰うだけではなく、こちらからも人の投稿を添削します。私の場合でしたら、「中国語」の文章を添削するのです。しかし、私はもう中国語の添削をしたくありません。今年に入り、中国語を話したくないという意思はなお一層固まりました。事実、学校では中国語をほとんど喋ったことがありません。日本語が苦手な中国人留学生と英語で話したり、新しく出会った人たちに「ハーフ」だと勘違いされたりしました。それに、正直にいうと、この二、三年間あまり中国語を使っていないので、人の中国語を添削して、誤っているところは分かっても正しい表現を思い出せないことが多くなりました。

こういう経緯で、私はLang-8を止めました。ですが、定期的に日本語で作文することは止めません。日本語は私のライフラインでもあり、武器でもあり、アイデンティティでもあるのですから。そして、1人で勝手に書いても効率が無くて1仕方がありません。添削の件についてはまた別途でなんとかしたいと思っています。

インフルに罹った

数日前、私は学校の保健センターで「B型インフルエンザ」と診断された。日本に来てから、これほど激しい病気に罹ったのは初めてだった。連日に渡っての高熱、激しい頭痛などどれも久しぶりの体験だ。

ちょうどGWに入る節目で、バイトはもう無理だったが、学校生活への影響は最低限まで抑えられた。一方、せっかくの連休なのに、家で横になって幻覚を見ながら過ごすしかないのは鬱陶しかった。果たして、このタイミングで倒れたのは良いことといえるだろうか。

病院に行かなれけばならなくなったから、普段日本人気分で暮らしてきた私にとってふと自分が外国人であることに気付いた。なぜなら、日本の病院に行ったことがなかったから分からなかった。大人しく「東大 留学生 病気」というキーワードで病気に罹った時の流れを検索してみた。

念の為に、保険証を持って電車に乗ったらちょうど天井に週刊誌のCMがあった。「留学生に食い尽くされる国民保険」という旨の文章があって、それを見てしまってまた鬱陶しくなった。「ロクでもない外国人らと共倒れするのは嫌、早く日本人になりたい」と変にどうでもいいことに苦しんだ。

発症から6日目、病気はついに治まっているようだ。よく考えればこれは5年ぶりの経験かもしれない。学部1年の時にも、地元に馴染めなくて激しい高熱で病院まで運ばれたことがある。今まであまりマスクを掛けなかった、今度から混雑した所に行く際、マスクを掛けようと思う。

「帰国」

今日、代理店にパスポートを撮りに行った。ビザは無事に発行してくれたことを分かった。夜、空港に向かって日本に帰る旅に出た。全てのことは予定通りに進んでいる。

今回発行してくれたビザは2年3ヶ月の留学ビザだけれど、卒業すれば自動的に半年分が延長される。さらに、まともな起業に就職すれば、一気に5年間の滞在資格を貰える。次が、帰化したいかどうかになる。ということで、実質的にビザの件で困ることは起こらないだろう。

しかし、今回の旅には気掛かりがあった。以前と違って、今回は家族と離れると悲しい気分になっている。期限なしに家族と暮らせる日々はもう来ないという事実はあまりにも重い。今までの人生は私が未来の為に戦ってきて、母も私の為に苦労してきた。そのせいで、一生にどこかに遊んで行ったり、普通の生活をしたりしなかった。気が付けば20代後半に突入した。母も老いてきた。

何度も言ったように私は心の底から日本のことを愛している事に違いない。しかし、家族のことも愛している。それぞれに思いが違うことに今初めて気が付いた。この2つの気持ちをどう両立するか。いや、そもそも本当に両立できるのか。今の私にはまだ分からない。

「母も早くビザを取って日本に遊びに来なよ」と空港の前で母と別れた時に願った。空港に入った途端、日本人の方に日本語で声を掛けられた。久しぶりに日本語を交わして嬉しくて緊張した。