出身校の証明書を取れなくなった話

高校と大学の成績・卒業証明書を取れなくなった。すでに社会人になって本来ならばさほど問題にならないはずだった。新卒入社当時は最終学歴の卒業証明書の提出を求められたが、転職の場合はほとんどの会社はそういうことをしないだろう。

大学に戻りたい私にとって、証明書を取れないのはダメージが大きい。大学の証明書を持ってなかったら、編入学・学士入学から修士課程までいずれも応募できなくなる。加えて高校の証明書がないと、もはや高卒ですら認められず、大学への道がすべて閉ざされたと言えよう。

それでも博士号を目指していれば、応募資格自体が問題ないが、今の自分にとってとてもいきなり博士課程に応募できる学術的素養を持っていると思わない。その前に、できれば修士レベルの論文を2,3本を発表した状態になってから本番に入りたい。いわゆる「学術のリハビリ」と私が名付ける。

図書やデータベースへのアクセスや論文の指導など、適宜な研究環境を確保するために、大学に在籍することは必要なのだ。残っている選択肢はあまりないから、文科省に打診した上でとりあえず高認試験を受けることにする。

高校の状況

高校はすでに2年前に閉校し、問い合わせ先ですらなくなった。一方、向こうの高校はあまり成績証明書を出さないから、例え閉校してなくても別に戦力なれると思わない。

大学の状況

向こうの大学は基本的に実際教務の窓口に行かないと受け付けられない制度になっている。日本の大学ように、手紙さえ出せば気軽に証明書を発行してくれる発想がない。以前主に同期や、後輩を雇って証明書を代行してくれていたが、今では報酬を払いたくてもやってくれる人に出会えない。そして、最近コロナ関係で大学の入構や自治体をまたがる長距離移動が難しい。事実上証明書を取る手段を失っている。

本件の影響

日本の教育制度は完璧なので、地道にやればいずれ目的地にたどり着ける。しかし、証明書を出せないだけで博士課程に入学するまで年単位の時間ロスを否めない。研究生➔博士課程と、学士入学・別修士課程➔博士課程といった正攻法ができなくなった。

余談

この大学のために2回も回り道をしなければならない羽目になって正直に怒るけど、結構年数が経ってもはやテンションが上がらなくなっている。大学時代と大学院時代、いずれ理想的に過ごせなかった。今悩んでいるすべての課題は高3の時、両親の決断まで遡ることができる。反省を重ねてもその時に自分としてすでに最善を果たしたという結論に至る。

簿記2級、大人への階段と熱狂の終わり

金融庁に内定した同級生のMさんと同じ時期から簿記検定を取り組んできた。一発で2級を挑戦する私と違って、Mさんはまず3ヶ月間をかけて3級を取り、そして2級に応募した流れだった。その後、Mさんは順調に2級に合格したか、うかつにデートに誘ってお互いの関係を破綻させたから私にわからない。おそらく予定通りに受かったと思う。

一方、私はようやく2級に合格したのはそれから約2年後のつい最近なのだ。しかも、簿記検定の制度が変わり、かなりやりやすくなったネット形式での合格で、昔の合格率2割弱の意地悪な統一試験と比べられるものではない。

簿記2級は今までの受験体験の中で厳しい部類に入る。さらに言えば、個人的に簿記検定は就活の次の挫折経験だ。正しい姿勢を構えて一定の練習を地道にこなさなければまず受からないと断言してもいいだろう。

実は簿記検定を受けること自体は、遠くなっていく学部時代にすでに構想していた。当時は結局「英語会計」を選び、思えば無駄に近い時間を費やしてしまった。来日してから度々簿記2級に応募しても、20〜30点程度の合格ライン半分以下の結果しか得られなかった。

何がダメだったかというと、確かに会計にあまり興味がないところも大きいが、やはり受験姿勢がまずかったと思う。以前免許に落ちた時に触れた通り、私は難関資格以外のものを軽蔑的な態度を取る傲慢な人だった。今までの簿記受験も、毎回試験日の1ヶ月前から準備を始めても、その1ヶ月間だけの時間にも全力を出していなかった。雑に受験して落ちて「誰でも受かれる試験が落ちた」と考えてイライラする負の連鎖は続いていた。

免許取得のショックで私は深く反省して姿勢を正そうとしていた。資格受験への偏見をなくすマイルールも作った。それ以来免許やITパスポートの受験は一向にスムーズになってどうも問題の根源を解決できた。4月末から簿記勉強再スタートさせ、6月の統一試験を受けて合格できなかったが、とりあえず3級を目指すことにした。不合格だったが、従来と違って手応えがあって、どこが不足したか気づくことができた。

3級の論点は少ないから、ある意味で出題がパターン化した2級より難しいところがあって2回受けてついに合格できた。今回の2級受験は結果的に合格できたが、一部の論点にまだ弱いところがあって、運がよくてやり過ごせただけだと思う。

会計の基礎を持っても、再スタートから合格まで3ヶ月間がかかった。冒頭挙げたMさんの勉強計画の合理さを痛感する。ゼロからスタートの場合、1つの目安としてやはり6ヶ月間を想定したほうが無難かもしれない。

ダイエットから8年目、ウエストが増えた

大学に入ってすぐダイエットして、痩せてから8年目だが、今までさらに痩せたことがあっても再び太ったことは一度もない。最近初めて反発の兆候が現れてしまった。体重が変わっていないが、ウエストサイズは明らかに増えている。

半袖シャツのシーズになって、下着が薄くなったはずだけど、ベルトの締めがきつくなったような気がする。最初は気のせいかと自分に聞かせて最近になるとさらにきつくなって、穴1個分を広げなければならない時もあった。やがてつれに確認してもらった。「確かに1cmか、1.5cmぐらい増えたかも、以前よりぷよぷよになった」を言われて、太り始めたことが確実になった。

体重自体があまり変わっていないと考える。半年間の体重記録を観てみたら、測定の状況によって1.5kg程度の変動がよくあることだ。そのために、脂肪が増えた分だけ筋肉が減ったのであろう。理由についていくつか心当たりがある。

運動不足

最近の半年間、全然運動していない。仕事が忙しかったのは主因だ。元々毎日3時間睡眠の自転車操業的なオペレーションだから、運動に割く時間と体力がなかった。とくに筋トレは純粋なダイエットよりやりづらいから、やらなければならないと思いつつ、7年間さほど取り組まなかった。

4月に免許を取ってから完全に電車に乗らなくなった。家から出ないか、出かけたらクルマに乗る生活だった。下手したら基礎代謝程度のカロリーしか消費できていない。

形骸化した飲食管理

この7年間は厳しい飲食管理で体重を維持できていた。いわば力技であって、一種の自転車操業と言っても良いであろう。そこで破綻が生じた。学生時代の時にまだいいのですが、今仕事していると、お腹を空かせるにはいけない。お菓子を食べないが、ついつい主食を多めに食べてしまうことがある。

そして、普段カフェオレが大好物で、水はほとんど飲まず、自作のカフェオレばかり飲んできた。コーヒー自体のカロリーはとても低くて無視してもいいのだが、牛乳のカロリーが高い。その分のカロリーから目をそらし、全然カウントしていなかった。

対策

このまま放っておけば、直に本格的に太り始めると思う。対策が必要だが、従来の方法はすでに通用しない。まず仕事している以上、減食、拒食ができない。長距離ランニングに依存せず、筋トレを中心に運動を再開していきたい。ちょうどつれも筋トレに興味津々だから、一緒にすることになっている。ランニングを補助的な役割を担わせて、条件が許容する時に行おうと考えている。

ワークフロー改革

社会人1年目の時に、コロナによる混乱や会社の育成計画にも問題があって、仕事の量はさほど多くなかった。業務時間を使って読書したり、内職したりすることもできて、給料をもらいながら、あまり学生時代と変わらないライフスタイルを維持できていた。

しかし、1年目の終わり頃にコロナ下の体制が落ち着いてきてつに私に次から次へ業務をアサインしてきた。一人暮らしも終わって、生活環境が極めて短期間で急激に変わっている。従来のワークフローはますます通用できなくなってきた。4月からいつくかの改革を進めて少し効果を得られてきた。

■お金がない VS 時間がない

問題の原因は特に新しいものではない。社会人は学生より時間が少ないとのことだ。「真面目な大学生も忙しいよ」と主張する方も多いし、私もそのうちの1人だった。でも実際自ら経験したら、その「忙しさ」はやはり同じ概念ではないと思う。

まず学生の時間は断片的であり、勉強、部活やアルバイトなど、多彩な活動の集合体だ。一方、社会人の時間は比較的に集約されている。活動内容がシンプルで、仕事とプライベートという2語でまとめられる。

学生の時間は社会人より自分がコントロールできる割合が多い。唯一の拘束時間とした講義やゼミも内職可能だし、フルタイムではない。研究と勉強になると、比較的にマイペースで取り組める。アルバイトとサークルは機動的に調整できるから、「しばらく休みたい」、「しない」という選択肢がある。

社会人の一番生産的な時間帯はまず会社に捧げる。一人暮らしだったらまだ余裕があるかもしれないが、その残りわずかなプライベート時間も家族のために使わなければならない。本当に自由に支配できる時間は学生時代より大幅に減る。

学生の時に経済的に豊かではないからどうしても時間よりお金のほうがネックに見える。社会人になってから人生の本質はもはや限られている壮年期に支配できるわずかな時間をどのように有効に配分する「ゲーム」になる。

■「形式主義」の退場

すでに退官した島根時代の指導教員のB先生に「譲れない一線を設けてそれ以外全部譲ってれ」という旨の言葉を言われたことある。私は昔ながら、趣のあるライフスタイルに憧れ、最新のものを受け入れたがらないきらいがある。一番代表的な例はオーディオへのこだわりだった。スマホで音楽を聞くことを忌避し、意地でWalkmanを使う時期があった。実際ほとんど違いがないのに、そうした方が「由緒正しい」と思い込んでいた。これから徐々にこの「形式主義」を退場してもらう。

●万年筆とメモ帳を捨て、iPad中心のワークスタイルに

社会人1年目に、私は主に3本の万年筆とB5サイズのメモ帳で会議に臨んでいた。真剣にメモをしている新入社員を演出できても、その実態が酷かった。まずスムーズに会議のペースにおいつけたことはほとんどなかった。そこそこ要点を書いたとしても、殴り書きしたものだから、自分でも読めない時がある。あまりにも意味を感じられなくて、今年度から完全にiPadに移行した。

キーボードは「Smart Keyboard Folio」を使っている。打ちやすくて音があまり立たない。「Magic Keyboard」のほうがもっと打ちやすく、トラックパッドも付いているが、「Folio」みたいに360度開くことができないため、実務上Apple Pencilでメモを取ることができないと考えたほうが無難だ。

ノートアプリはOneNoteをメインに使っている。各デバイスでリアルタイムに同期してくれて助かる。会議や打ち合わせのメモは基本的にiPadで打つことになった。OneNoteはノート機能だけではなく、付箋機能も付いている。Todolistとか直近の注意事項とか、締切を含めて特に気を配るところをそこに書く。単にカレンダーに入れてもまとめて見れなくて全体像を掴みにくい。ただ、Macでは付箋を閲覧できないのは唯一の残念だった。

iPadのWordとPower Pointは機能が不完全ながら、ある程度の実用性が備えられている。応急措置として素早くレポートや発表スライドを作成することは可能だ。作成できたら、Gmailなどのメールアプリで社内アドレスに送ればそのまま使っても良いし、パソコンで少し様式を整えても良いでしょう。

●スマホ作業を許容

これに関してTwitterでもつぶやいたことがあるが、基本的に小学校から20年間ずっとパソコンで作業してきた自分のような価値観が古い人にとってスマホで長文を打つことにどうしても違和感を覚える。しかし、昨今スマホだけでレポートなり、卒論なり、平気に数万字を打てる大学生がたくさんいる。

たくさんの人ができていることは、自分ができるはずがない。スキルというより、先入観や思考の慣性によって縛られていると思う(と思いたい)。試しにスマホで長文を打ってみたけど、たしかにパソコンやiPadなど、ちゃんとしたキーボードで打つより効率が悪いが、そこまで苦労でも言えない。電車に乗る時間など、適宜な作業環境がない時にその時間を無駄せずにマイナーな作業をしたり、ブログを書いたりするぐらいなら十分に生産性を出せる。

前に記載したiPadのOneNoteのすべての機能はiPhoneも使える。極端な例だが、品川駅で歩きながら、片手のiPhoneでZOOMに参加して、もう片手で一生懸命OneNoteにメモを打つ経験があって、スマホ作業の有効性は実務で検証できた。

●ファイルは業務別で格納

パソコンのファイル整理について私は最初そんなに大事にしなかった。雑に「ドキュメント」フォルダーに投げるか、せいぜい担当者別に分けるくらいだった。記憶がまだ鮮明な時ならば、いつでも必要なファイルを引き出せるが、2週間でも経てばおそらく忘れてしまう。先輩が居ればもう一度聞くとなんとかなりそうだけど、1人である業務を担当するようになったら間違いなく話にならなくなる。

先輩がいつか予告なく異動されてすべて経験した業務が自分1人でやらなければならないという最悪な事態を備えて今年度から「業務別」でファイルを管理するようにした。具体的な例として以下のようなフォルダーを作ることだ。

01.ルーチン業務、02.〇〇部門業務、03.✕✕チーム業務…
(番号を付けて名前でソートすれば好きな順番で並べてくれる)

これによってその業務に関するファイルは全部一箇所に収納されるから、忘れてしまっても必要な時にそれらのファイルを眺めながらメモもチェックすれば記憶が蘇ってくる。

●作業にストップウォッチ

あらゆる作業にストップウォッチを付けている。ある作業にどれぐらい時間を掛けたかというより、やる気のオン・オフスイッチとしての役割が大事なような気がする。ちなみに、作業時間の可視化によって自分が集中できる時間は思ったよりずっと短かった。1日頑張ったかと思ったら実働時間はせいぜい5時間程度だった。それでも、Twitterを覗いたりして、そういったプチサボりもカウントされている。とはいえ、海外の記事によると、1日仕事に集中できる時間は平均3時間程度だから、合わせて5時間に集中できたらそれはもう生産的かもしれない。

使っている時間管理アプリはaTimeLoggerと国産のStudyplusだ。aTimeLoggerは細かくタスクをカスタマイズできて、データのエクスポートもできる。主に仕事で使っている。最大な懸念点は、運営側がすでにこのアプリから手を引いているらしい。これからメンテナンスされるか怪しい。Studyplusは勉強に特化した管理アプリで、主に中高生がターゲットみたい。仕様上勉強に限らず、色んなシーンで使えるけど、当面資格勉強のために使っている。Studyplusのことを教えてくれたのはTwitterのれんさ球菌さん(@streptocoooccus)だった。

Apple MusicとAACに降参する

AACとHi-Resを区別できない私は、Apple Musicに降伏する。

よほど高級な設備を使い、適宜な環境でない限り、AACよりCDやHi-Resなどといったロスレスのほうが音質よく聞けたら、それは脳内補完であり、勘違いに過ぎない。私は長い間にこの事実から目を背けていた。

年始にワイヤレスイヤホンから有線に戻ってから、DAPとロスレスに関する脳内論争が絶えずに続いてきた。仕様上音質が限られているワイヤレスと違って、有線イヤホンで聞けば、Apple Musicが提供する256kbpsのAACは物足りなくなる可能性がでたからだ。

一方、実際ヨドバシでWalkmanを試聴してiPhoneと比べても僅差しか感じられなかった(詳細はこちら)。冷静に分析した上でWalkmanに別れを告げても、その未練は未だにかすかに残っている。

せめてiPhoneでロスレスを聞こうと努力してみた。自分がAACとHi-Resをはっきりに区別できると信じ込んでいた。例えば、最近よくシン・エヴァのBGMを聞いている。全部ではないけど、その一部のHi-Resバージョンも「冒頭10分40秒コマ」というタイトルで配信されている。中の4曲目「EM20 CH alterna edition 0706」、アレンジが少し違うかもしれないが、劇場版サントラの3曲目「euro nerv」とほぼ同じ曲なのに、音質が全然違う。前者が明らかにクリアで、音も少し大きい。それに対して、後者が曇るように聞こえて音質の悪さは明らかだ。

その違いについてずっとHi-Resの本領発揮として捉えてきたが、どうも違った。結論から言えば、その違いはおそらくマスタリングの段階でできたもので、決して再生側のフォーマットによって起こった現象ではない。試しにAppleの公式ツールを用いてそのHi-Resバージョンの曲をApple Digital Mastersに変換して聞いたら、そのクリア感は少しでも褪せていないことがわかった。Apple Digital Mastersではなくても、普通のAACに変換しても変わりがなかった。

逆に、CD音質の「euro nerv」を聞いてもそのまま曇っているのだった。この瞬間、私は確信した。昨今のオーディオ再生デバイスにとって、音質の決め手はむしろ録音やマスタリングなど、生産側にある。再生側=消費者側ができることはせいぜい適宜なイヤホンを用意するぐらいだ。オーディマニアに流されず、256kbpsのAACを堅持してきたApple社は実に実務的である。

音楽を大事に(=ロスレスで)保存することはもちろん今でも必要だと思うが、Apple Musicなどの圧縮音源をむやみに拒んできた自分はバカバカしく思えた。区別できなければ、便利な方で聞けば良い。手持ちのアンプももはや不要ではないかと処分を検討している。

赤門➔柏キャンパスチャレンジをやってみた

「やっちまった」

流山市の公園で息抜きしていた時、思わずそうつぶやいた。柏キャンパスまで後数キロしか残っていないが、体力とメンタル、いずれ限界に近づいた。自転車のままに家に帰ることはとっくに途中から諦めて、とりあえず目的地まで頑張るしか考えていなかった。

経緯

「赤門➔柏キャンパスチャレンジ」というのは自分がつけた名前だ。きっかけは神社研究会のとりとりさんが大学院への進学とともに本郷から柏に引っ越しするために、自転車で柏に行ったことだ。とてもチャレンジングで、自分でもやってみたいとその時から気になってきた。

赤門から柏キャンパスまで、Googleマップで自転車ルートの標準ルートは片道34.1kmに及ぶ。見積もりの甘さで有名な自分(自称)だが、正直ロードバイクで34.1kmを走るに心配しなかったけど、往復の現実さを疑っていた。先にカーシェアを使って自転車を柏キャンパスまで運んで、自転車で帰宅という形にしようなど、色んな案を考えていた。しかしながら、また無謀に計画を切り出した。

深夜での出発は結果的によかった。10kmを走ってすでに判断力が著しく低下していた。事故りそうなので、予め用意したソニーの環境音を拾ってくれる運動専用イヤホンも始終かけなかった。交通量の空いている深夜でなければ、なかなか厳しかったと思う。日差しの妨害も免れた。

険しい江戸川沿い

都内にいた時にまだ誰もいない今際の国のアリスみたいな東京を味わえて趣があったが、江戸川沿岸に入ると環境が一気に単調になった。単調というよりかなり厳しい走行環境だった。まず街灯ですらなかった。やむを得ずに自転車LEDライトの輝度を最大にしてバッテリーが死ぬ前に市街地に戻ることを目指していた。川沿いは変に冷えていた。ランニングと違って、サイクリングは緩やかにエネルギーを消費する運動だ。体があまり発熱せず、つねに冷房に直撃されるような状態だった。そして、なるべく道の真ん中に走っていたのに、無限に蜘蛛の糸に引っかかっていた。蜘蛛さんはどれだけ広い範囲に糸を出しているか、深く考えてみるとゾッとした。

一番やばかったのは街灯がないことでも、蜘蛛の糸でもなく、川沿いの一部の区間は道が舗装されていなかったのだ。ルートを変えたくても直近の分岐点からすでに遠くなった。とりあえず砂利道がすぐ終わってくれるようと祈りながら前に進んだ。当然すぐには終わらず、むしろ結構な距離があった。Googleさんにこういう険しい道を走らせられてもはや罰ゲームと言える。途中我慢できず自転車に乗って少し走ってみたが、石が飛び上がって大して走れず、結構自転車を痛めたから大人しく手で自転車を押して歩いていた。

“Kashiwa is a sad place”

「Kashiwa is a sad place」は東大クラスターの中で伝承された自虐ネタだ。柏キャンパスの立地の悪さへの皮肉である。Twitterで環境がすでに改善されているとの声も聞いたことあるが、やはり柏キャンパスは田舎にあることが当面変わりないだろう。しかし、たくさんの田んぼを通り抜けて柏キャンパスに近づくほど、街感が出てくる。最後の区間ではもはや文京の住宅街のように思えた。

柏キャンパス自体はとてもきれいな、立派なキャンパスだと思う。ビルの大きさ、道の広さと言ったら、本郷が到底それに敵わない。文系と違って、理工の研究に実験や設備などが要るのだ。都会から離れた広い土地でキャンパスを建てるにむしろ必然的ではないかだろうか。

本郷と違って、柏キャンパスに壁がないので特に入構が制限されていない様子だった。機会があれば、もっとじっくり回りたかった。

二度とやりたくない

話をチャレンジに戻すが、結論、私はもう二度とこういう無謀なチャレンジをやりたくない。危険だし、疲れるし、お金もかかる。一度だけでもう満喫した。すでに察しがついているかもしれないが、最終的にカーシェアのお陰で無事に家に帰れた。つまり免許を持っていなければ、今回は大惨事になりかねない。また、都心と違って、そもそも柏にステーションがないかもしれないし、事実、今回クルマを確保できたのは柏キャンパスから4.5kmも離れた流山おおたかの森駅だったのだ。事前調査なんて全然しなかった。

ショカコーラの導入

市販のカフェイン錠や栄養ドリンクに頼って日々を乗り越えているが、カフェイン耐性が形成されたせいか、満足できる効果を得られていない。最近試しにショカコーラ(Scho-Ka-Kola)を買ってみた。

ショカコーラは1936年あたりにドイツで開発されたカフェイン入りのチョコレートだ。戦前のドイツ軍で支給されていた。今市販されているショカコーラは当時とあまり変わらないを言われるが、当時品を試食した海外YouTuberの話によると味が大分違うらしい。

引用 Armour force / Panssaroitu voima

ショカコーラの1缶(100g)にカフェイン290mgが入っており、言うほど入ってなかった。参照としてリポビタンDは一本50mg、レッドブルは一本80mgのカフェインを含んでいる。カロリーについて1缶537kcalだが、16ピースがあるので、1ピースあたり約33kcalで少しずつならばカロリーを気にせず食べられる。

食べた感想、チョコレートとしてあまり美味しくない。固くてまるでロウソクを噛んでいる感じがする。甘さと苦さ両方弱めてまさに無味無臭なのだ。そして、機能性と言えば素晴らしかった。

先日事情があって睡眠薬を飲んで寝ていた。7時間ぐらい寝れたのに、朝起きたら疲れが少しでも取れなかった。そこで朝ご飯の代わりに、ショカコーラを1缶まるごとに投入してみた。最初は何の違和感もなく、ただ朝ご飯でチョコレートを食べただけだったが、会社に着いた時に異変に気づいた。心拍数が下がらなかった。こころが落ち着いていたが、どうも体が落ち着かなかった。静かに座っても心拍数が90を超えて少し不気味だったが、お陰でそこそこの生産性を果たせてとりあえず午前中の仕事を乗り越えられた。

普段一気に200mg以上のカフェインを取ることは決して少なくない。とくにカフェイン錠の場合、200mgがせいぜい2錠だから何の躊躇もなく取ってきた。しかし、これほど顕著な効果を滅多に体験したことない。もしかしてカフェイン以外の有効成分が働いたかもしれない。

結論、ショカコーラを常備品として導入することになった。カロリーフリーの錠剤や栄養ドリンクと違って、結局カロリーが高いチョコレートだからいつでも使えるわけではない。一番最適なシーンは、食事を取れず、疲れも限界の定時から帰宅までの残業時ではないかと思う。

東京夜行

免許を取得した当日の夜から、ほぼ毎晩都心でドライブしている。家の周辺、皇居や霞が関あたりがとても走りやすい。深夜になってようやく退勤した官僚たちと休憩を取っているタクシー以外ほぼ貸し切り状態だから、免許取り立ての自分にとって比較的に理想な練習場だ。

時に調子に乗って銀座の裏道も走ったが、予想より歩行者が多くて判断ミスで横断歩道で立ち往生を経験したらそのあたりを敬遠しがちになった。また、上野方面にひたすら直行して気づいたらすでに千葉の山奥に行ってしまったこともある。

首都高速で走るのが一番素晴らしかった。深夜だから道が空いていて、思いっきりスピードを出せるし、夜景に感動した。両側のビル群、その点々とした灯りは星のように見えた。どこか、映画のワンシーンを連想させる光景だった。

元々都会出身の私は東京のことが好きではなかった。昼間の東京はつまらなくて仕方がない。しかし、いざ夜になり、人気が去って初めて東京の魅力を感じる。夜こそ、東京の真価を楽しめるではないかと私は常々思う。

間違いなく、私は運転が好きなのだ。このペースでペーパードライバーになることはないだろう。長い間に免許を取れなくてやはり残念だった。もしも人並みに20歳あたりに免許を取得できたら、人生の展開がかなり違ったかもしれない。

自動車免許技能試験の不合格と反省

普段の路上教習から私の運転スタイルは一貫して荒く、同乗者にとって決して快適な体験にならないが、交通ルールを概ねに守ってきた。まさか本免試験で信号を勘違いしてしまって一発で落ちた。

今日は最初から不吉だった。つれと揃って寝坊して遅刻したところだったし、何より天気予報に反して自動車学校についてから徐々に雨が降りはじめて、試験の時にもはや豪雨に進化した。雨での教習をむしろ楽しみとして捉えてきたが、今日は少し違ったような気がした。小寒い気温、素早く動くワイパー、ブレーキの効きがおかしいし、曲がるときにタイヤも音を立てる。少し嫌だった。

早く普段の練習と同じように済ませて家に帰りたい。そこで思わぬことが起こってしまった。交差点、矢印信号、右折。直進の矢印しか光っていないのに、魔が差して右折の停車線に進もうとした。教官がブレーキを踏んで私の行動を止めた。ほぼその時点で私はすでに不可になった。当時の自分として、それを知らずに残った試験内容を進行できたが、もし知っていれば途中でやめたかもしれない。

技能試験の不可で、スケジュールを一気に狂わせた。元々翌日に学科試験を受けるために有休を取ったのだ。しかも補修も強いられているし、卒業のところか、むしろ過去数回の教習を無駄にしてしまった。ただでさえ時間がないのに、また無意味に時間を台無しにした。

どうやって上司に説明して有休を調整するか、限られている有休を免許のために何日も使うか、来週末の予定をどう調整するなど、とてもその場で整理できなかった。とりあえず職員と交渉してみた。若干情緒が激高していたかもしれないが、忙しいから時間がないことを説明してダメージを最小に収めようとした。当然ルールに抗えず、補修して改めて受験することになった。

変な成功体験と傲慢

私は心の底から免許を軽視してきた。自動車免許に限らず、倍率の低い資格や誰でもできそうなことをバカにしがちだ。これは私の育った環境に影響されてついた癖なのだ。進路を左右しない試験や勉強に努力する値にしないというのは両親の方針の一つだった。定期試験で良い点を取ったらもちろん評価されない。教養科目でいい成績と取ったらむしろ批判されて、場合によって暴力を振る舞われる可能性もある。しかし、本当に難しい試験に受かったら、両親が一応私のことを1人の人間として認めてくれる。

誰でもできる試験や資格を受けない。受ければ難しいほうだと難関資格ばかり受けてきた。これで変な思考回路と成功体験が形成されてしまった。仮免許が落ちた時に、すでに一度この問題を洗い出して対策しようとした。例えば、「資格の難易度に関わらず、一律な態度で対応する」というマイルールを創設した。実際の効果はどうかを聞かれると、少し微妙だった。確かに前より態度が改善された。自動車学校に行く度のイライラさが減った。しかし、全力で免許試験に時間をかけるかというと、少し抵抗感を覚えて真剣に対応したくない。

継続不可能なライフスタイル

社会人になってから一層忙しくなった。趣味など、リフラッシュに割ける時間がまずない。睡眠を削ってカフェインに頼って生きている。毎日3時間しか睡眠を取らない時期さえあった。ほぼ自転車操業状態にあり、少し油断したらすぐ追いつかないことになってしまいそうだ。だから、今回の不可によるスケジュールの乱れこそが真のダメージなのだ。

補修も再受験も来週に伸ばせばいいじゃない?来週のスケジュールはすでに詰まっている。再来週は?再来週も予定が入っているのだ。2週間以降に伸ばしてもいいけど、その分だけのストレスを抱えたくない。多忙になった理由、仕事が主因とはいえ、私は複数の資格受験を同時に行っていることも致命的だった。さらに大規模な婚活もしていたし、過去の1年間に、本当に落ち着いて休める時間がそうそうなかった。

マインドセット・ライフスタイル改善急ぐ

課題と原因を特定するには難しいけど、すぐに改善きるかというと簡単ではない。いずれにせよ、長年で形成された思考回路だし、まして思春期からの影響だから、根治する術がないかもしれない。両親が原因で学生時代に受けられなかった自動車免許、今もまたその両親の思想で失敗を繰り返している。いずれにせよ、免許との一件を済ませば、多少前に進めるだろう。

そして、3月が終わる。

魔の3月がついに終わりを迎えている。ただでさえ時間がないけど、今月なんと3回ほど映画館に足を運んだ。一緒に鬼滅を観に行く人が居ないから、鬼滅を観れなかったと愚痴ったことがある。そんな訳があるはずもなく、さほど鬼滅に興味がないからに決まっている。観に行かなければならない作品があったのだ。

ARIA

ARIAは私が最初からハマっていたアニメの1つだ。ARIAの新作はまだ出ていることに全然気付かなかった。シン・エヴァのスケジュールを調べたくて、TOHOシネマズのサイトで偶然見つけたのだ。ARIAはそういう人を選ぶ作品だと思う。物語として冷静に考えると少しつまらないと思われてしまうかもしれない。しかし、ARIAで描かれた世界は本当に完璧すぎて憧れが止まらない。登場人物たちはほどよい悩みを抱えていて、バランスを取れた素敵な日常を見せてくれる。基本的に全員優しい人で、人間関係の瓦礫は存在しないし、少し頑張ればすぐ報われる状態にある。天国、常世国より一番近いイメージかもしれない。

中学の時にちょうどアニメ系のテレビ番組がARIAを紹介して、それを観て私は一目惚れした。漫画も全巻買って、いつも一冊ほど携行していた。学校でいじめられた時、ないし授業中に先生に叱られる時、私はそれらを無視してポケットからARIAを出して何食わぬ顔でそれを読み始める。周りが全員敵だった時代に、ARIAがあって乗り越えられたかもしれない。

エヴァンゲリオン

信じられないかもしれないが、エヴァは向こうの国で放送されていた。幼い私は強制的に新世紀エヴァを繰り返して見せられていた。私はロボ物に興味がなかった。ガンダムに一ミリも興味が沸かないし、未だにそれの魅力を理解できていない。しかし、エヴァが違う。どこが違うか、ロボの要素以外全部違う。設定、技法、フォント、カット、アングルないし音楽、全部すごい。特に旧劇がやばいぐらいすごかった。ネルフ本部の攻防、アスカの覚醒と結末、サードインパクト、強烈な展開は私に衝撃を与えた。新劇が作られたが、旧劇を超えるレベルに到底到達できないと私の一貫した持論だ。事実上超えなかったと思う。Qが一番ひどかった。初めてQを観た時に絶望感すら覚えた。幸いシン・エヴァが円満に区切りを付けることができた。

どう考えても私はエヴァファンではない。しかし、新劇の終わりとともに、自分の人生も区切られてしまったように感じる。もうこれ以上の展開が望めない。庵野監督が引退したら、いつか適当な人の手でまたリメークなり、続編なり作られるかもしれないが、それも新たな感動を期待できない。

ガールズ&パンツァー

ガルパンはそういう一度そういうフザけた設定を受け入れれば、大分楽しめる作品なのだ。乙女のたしなみ、戦車道。最初は少し抵抗感を覚えた。全力でおっさん趣味をかわいい女の子たちに押し付けてやらせて、控えめに言っても最高だった。社会に捨てられた非モテ男性を意識して発案したのではないかと思える。ついでに元々ありきたりの地方の町、大洗の知名度を一気に世界に広げて一時的なブームとはいえ、大洗に膨大な経済効果を作った。劇場版で潮時でもよかったけど、最終章の出場に無理矢理感があるものの、設定上特に違和感ないからそれもそれでいいと思った。

ガルパン、とくに劇場版が私の来日直前の作品だ。来日間もない頃、東京移住の事前調査も兼ねて関東にきた時に大洗に行ってみた。ガルパン要素というより、海辺の鳥居のほうがよかったと思う。