時間が欲しい!

「やった、今日の分の仕事は9時半に終わられた!」と妙に盛り上がってウイスキーをグラスに入れる今頃。

いつの間にか、数時間の自由時間を得ただけでワクワクするようになったし、7時間睡眠が贅沢になってしまった。この間ずっと3時間睡眠が続いている。最初は苦しかったけど、やがてなれてしまい、3時間だけ寝ても翌日にそれなりに元気に動ける。人間という生物は恐るべし!

10年前に受験戦争に参入した時の自分は絶対こーゆー無限に3時間睡眠の生活を求めていなかったのでしょ。かといって、その時に戻させてもらうと、じゃあ受験戦争をやめるかというと、多分やめないね。世界線に逆らえないのだ!

私の中では時間配分について概ね3つの優先順位を付けている。仕事第一、勉強第二、遊び第三とのこと。現に仕事だけでも賄うに時間が足りなさそう。勉強や読書に十分な時間を割けなくてとても悲しい。前回思い切って遊んだ記憶はもう思い出せない。何のために生きているかわからなくなっている!

別に会社が悪いと思わない。私は最高なコスパの職場に居る。諸悪の根源はまずテレワーク、お前だ。1Kの家に居ると集中できないに決まっているし、同僚から中途半端な指示しか得られない。もうテレワークいっぱいいっぱいだ。早く毎日会社に行きたい!

さて、お酒を飲んでいるけど、そろそろ勉強しにいく。ただでさえ時間がないのに、価値のない命を削らないと話にならない。そうは言っても、残り半分の人生を全うできるよう、今日も頑張るぞい!

青春、私にもあったね、あの蒼い惑星

拝啓。最近少しづつ暖かくなってきましたね。
春もそう遠くないでしょう。

今日の夕方に小雨が降っていた。
私は早めに仕事を上がって映画館に向かいました。
そうです。今日はARIAの新作の上映日です。

世も令和の時代になり、ARIAは随分古く見えたせいでしょうか、
今回の新作についてまったくの予想外でした。
雨にも関わらず、わざわざ見にくる方は大勢居ました。
私を含めて皆さんは誰彼もアラサーのようでした。
きちんとしたスーツを着ている営業マンらしき人から
Tシャツ姿のヲタクの方まで様々な方は集まってきました。
皆さんもきっと私と同じ、若い時にARIAに魅了されたに違いません。
そう思って全員素敵に見えました。ARIA好きな人に悪い人が居ませんもの。

2015年の新作The AVVENIREをキープして観なかったためでしょうか、
知らないキャラがいっぱい居ました。
原作の2世代構図から3世代に展開しました。
大人になった灯里、愛華とアリスの三人組を馴染むまで少し時間がかかりました。
成長したとしても、現実世界に居る私たちよりは大分遅めで羨ましいです。
ネオ・ヴェネツィアはまったく変わっていません。
煩悩らしい煩悩のない素晴らしい世界です。
懐かしいリズムが響いて思わず泣きそうになっていました。
アリスが大人になる不安に巡る話でした。
それは自分も常々悩むことなので、共感せざるを得ませんでした。
アテナさんの答えを聞いて、完全に納得していないものの、なぜかスッキリしました。

映画を観ながら、私は気づきました、青春というものは私にもあったではありませんか。
青春は受験戦争と両親に潰されたと思い込んで、大事な友との時間を忘れてしまいました。
ARIAはまさに私の青春にとって大事な一部です。
新作を観てまるで旧友と久々お会いできたような気がしました。
私の青春は決して潰されたわけではなく、確かにあの蒼い惑星で素敵な時間を過ごしました。
今日はそれを思い出すことができました。

皆さんは成長して元気に明日を迎えていることを知って安心しました。
いつか別れる時がくるかもしれませんが、
それまではもう少し時間を共有していただきたいです。

昨年、限界を感じた3つの出来事

都営地下鉄リュック置き忘れ事件

確かに3月の上旬ぐらい、どういう経緯で都営新宿線に乗っていたかもはや記憶にないけど、帰宅中にリュックが消えたことに気づいた。パスモを携帯ケースに入れているから、無事に改札から出られた。前年iPhone XRを落とした経験を繰り返さないように、まもなく終電にも関わらず、意地で乗っていた車両を追跡して終点の本八幡駅まで行ってしまった。ちょうど終電が終わった頃だから、駅員に話を聞けなかった。終電も終わったし、なかなか都内に戻れない中、千葉で焦りながら放浪していた。リュックに財布を入れたので、とりあえずクレジットカードを止めた。最終的にリュックが駅員に確保されて、翌日の朝にお忘れ物センターからもらったが、そこまで精神状態がほぼ崩壊したせいで、あの夜千葉でいろいろあった。

睡眠薬効かない事件

夏頃、得体の知れない不眠に襲われていた時期があった。1時間、2時間しか寝れない夜が増え、とうとう一睡もできず、出社する羽目になった。それもそれで限界だ思ったが、もはや限界を超えた経験をしてしまった。徹夜して出社し、またバレないように工夫するととにかくすぐでも死にたくなる。怖すぎてその日の夕方に内科に駆け込んで先生に睡眠薬を処方させた。この睡眠薬を緊急脱出ボタンとして期待していた。数日後、また徹夜しそうな夜が訪れた。仕方がなく、睡眠薬を投下して安眠しようとしたら、一向に眠れなかった。睡眠薬を飲んで徹夜すると、翌日の出社を乗り越えられるはずもないと思ってますます落ち着かなくなった。まるで拳銃で自殺を試みて一発目で重傷を負っても死ねなかった人のように、私はパニックに襲われながらやけに睡眠薬の投与量を増やしていた。最終的に2、3時間程度寝れたけど、緊急脱出ボタンを叩いても脱出できない絶望感は今でもゾッとする。

急性アルコール救急車事件

秋、誕生日あたりに起こった出来事だった。背景に関して英語版ブログで詳しく語ったので、ここで割愛されでいただく。その場を収めて鍵をかけた瞬間、そのまま床に倒れた。全身の痛みが激しく、吐きたくてもなかなか出なかった。横にしたら逆に体に激痛が走るので、疲れて寝れない。トイレに向けて無理矢理自分に吐かせた。のどに指を突っ込むという古典的なやり方だった。吐くたびに刃物に刺さられる感じがした。しかも刺す側も自分自身だから、洋画でたまにあるキャラクター自ら腕を切断する気分と似ているかもしれない。この時点はすでにまともに話せることができなくなった。知ってる言語全部混ぜて使っていたらしい。たくさん吐いたのに、体調が改善するどころか、むしろ悪化しそうで意識が飛んでいく。意識を失う寸前、思い切って119番を掛けた。119番と7119番のオペレーターたちはマニュアル通りにしか対応しなかった。仮にもっとひどい状況があったらどうしようと思いながら、意識を保って救急車を呼んだ。救急隊員たちはすごく優しくてとても感動した。「国内に親族が居る?」「居ない」、「誰か呼べる人居る?」「居ない」。

外国製品を買いすぎて罪悪感を覚えてしまった話

最近久々新しいイヤホンを買った。ドイツ老舗ゼンハイザーのIE40proというエントリーモデルだった。ヨドバシカメラで2時間をかけて色々試して選んだし、イヤホン自身に文句がない。IE40proの他、ソニーの業務用イヤホンEX800STも検討していた。試聴できなかったことや、IE40proより2倍高い(といって1万円)わりに音質が大して変わらないから判断して見送った。コスパで考えれば極めて合理的な選択をしたと思うが、かなり後悔している。

少し高いかもしれないが、より優れる国産品があるのに、外国製品を選んだ自分はみっともなく覚えてきた。この1件に限らず、最近どんどん日本ブランドから離れているような気がする。スマホ、タブレットとパソコンは次から次にAppleに切り替えただけではなく、洋服も海外の某ブランドにハマりつつある。食材でさえ、イタリアからの輸入品がかなりの割合を占めてしている。この間、車の購入を検討する時にも、フィアットかベンツ、国産メーカーを最初から外してしまい、車好きな友達に何度もディスされていた。

実際昔は国産メーカーを優先に選ぶようとするマイルールを設けていた時期がある。スマホやパソコンなど一部多少使いにくくても、我慢していた。そのルールを諦めたきっかけは、iPhoneを使う神主がたくさんいることを知ったのは1つ、そして就活からのストレスだった。日本人でもさほど国産品にこだわっていないのに、変に貢献しようとする自分がバカバカしく見えると思った。

iPhoneとかパソコンとか、国産メーカーの中にそれに相当する代替品がないから仕方がないとして、最近自分の態度は明らかに行き過ぎた。普通の日本人であれば、自分のお金だから、国産品だろうか、輸入品だろうか、どこに使うかその人の自由である。私の場合はどこがいけなかったのかというと、自分の立場を理解していないところなのだ。特に有能ではない、居場所もない、かろうじて日本から身を置く場所を頂いたよそ者として、最初からそういう虫のいい話を言う立場を有しない。そもそも、例え自分がもらった給料でも、自分のお金ではなく、日本という共同体が授けてくれた恩恵だ。

これから態度を正すべく、お買い物をする時はもちろん、日本社会に貢献することを忘れずに意識しながら生きていく。

2回目のデートでホテルに誘うというカルチャーショック

「デートの後、帰りたい子を帰らせている?」

先日、会社で他部署のお姉さんにこのように聞かれた。「最近デートしてる年下の子って1回目のデートでもやってもいいと言った」彼女は続く。元々先輩と3人でデートのお店選びの話をしていたが、いつの間にか行為の話に進んでしまった。

先輩も調子に乗ってむかしの武勇伝を語りはじめた。デートしていた女性を漏れなく1回目のデートか2回目のデートでホテルに誘っていたという。一度行為をしたら冷めたこともあるから、それで連絡しなくなったこともあるらしい。

会社の休憩時間で、同僚と恋愛話や軽い性的な話をして割と楽しんでいたが、今回は流石に深入りしすぎて不快感を覚えた。軽い口調をしているお姉さんも大概だけど、何気なく「やり捨て」をしていた先輩に対して尊敬できない。何より、今まで自分のデートがバカバカしく思えてきた。

私は付き合う前に、相手と行為しようとしたくないのだ。告白して承諾されて初めてこの女性に対して情欲が湧き上がる。その前に、どんなにタイプの人でも無理だった。2軒目に突入して2人とも泥酔しても終電ギリギリに解散したことも少なくなかった。彼らの話を聞いて、今までデートがいい感じでも振られたりする原因は、そのタイミングでホテルに連れて行かなかったせいかもしれない。

軽く知り合ったばかりの人と行為できることは大人になった証なのか?行為を隔離して相手の好み、お店と話のネタばかり考えていた自分はどうしても未熟に見える。自分の紳士さをアピールするつもりだったのに、もしかして相手に「つまらない男」や「未熟な人」と見られたと考えるとなんとも言えない気持ちになる。

「全員を帰らせていますよ」
と私は気持ちを押し殺して微笑みながら答えた。

一方的に父親と和解してみた

定年を控えている父親のためでも、自分の未来のためでも、私は恨みを帳消しして一方的に父親に和解すると宣言した。それが黙認されて数年ぶりに父親と連絡を取れた。

私はあまり父親とまともに会話した記憶がない。話しても喧嘩になることが多かった。シングルマザー的な家庭で育ったと言ってもいいぐらい、父親からの良い影響が薄い。ネガティブなところばかりだった。

父親は高卒だけど、高校時代に全然勉強してなかった。若い時に彼の母親(私のお祖母さん)の自殺の件もあるし、性格がかなり激しい人だった。一方、責任を負うことが嫌だし、自己中心的だ。

絶えない暴力をされていたとしても、正直にいうとその時代にとって別にそこまで珍しいことではない。自分が病院に運ばれたほど父親がやらかしたのは一回だけだったし、浮気がバレて私のせいにしたのは大人になってよく考えてみると変だったけど。父親をどうしても許せなかったのは大学入試後の処遇だ。

向こうの人は大学入試を異様に大事にしている。大学に受かるまで勉強が人生の唯一の目的だと捉えられる。中高で苦しんだ分、進学できたら厚く労われる。よく喧嘩する両親、いつでもどこでもふってくる暴力、そういった高圧的な生活は成績が悪いのが原因だと解釈していた。良い大学に入れば、父親に認められて普通の親子になれると信じ込んでいた。

晴れてそこそこ人に言える地方公立大学に合格したが、父親への期待が裏切られた。大学に受かってから、家の雰囲気はむしろ重くなった。約束していたノートパソコン予算が1/3にカットされたり、「日本語勉強禁止」や「恋愛禁止」を言い渡されたりして、とても嫌な予感をしていた。とうとう、トップ大学に受かれなかった理由で深夜まで殴られた。その夏に大規模な暴力だけ3回あった。体の痛みより、信じていたモノの崩壊が致命的だった。

後で分かったが、まともな大学に受かったこそ父親にとって期待外れであって、どうすればいいか分からなくてとりあえず殴ろうとしたらしい。昔も別に自分が本当に悪いことをしたから殴られたわけではなく、どうもストレス発散として使われていた。せめて全力を注いだ大学入試という一大イベントで親らしい言動をしてほしかった。

大学入試のあの夏以降、躊躇せずに唯一の救いとしての日本に傾倒した他、かなり攻撃的になった。報復するために、親戚に喧嘩を売って大家族を解体しようとしたり、改姓したりしていた。急に奇声をあげたこともあるし、実家への鬼電も日課だった。7年も過ぎた今、そのような過激言動がだんだん鎮まってきたが、父親への恨みは相変わらず亡霊のように常に頭の中で徘徊していた。

このような父親だが、唯一不可解な行動がある。それは、お金のことに関して学費や生活費などをケチったことないところだ。公立大学時代はもちろん、来日してからも安定的に仕送りを送ってもらっていた。そのお陰で、学生時代に一度もお金に困ったことないし、むしろ快適だった。振り返れば小さい時、大事な電子辞書が父親に壊された時も、翌日に黙ってお金を渡された。自分のことを軽んじてきたと思ったが、その病的な振る舞いを父親がうまくコントロールできないかもしれない。

人生の後半戦、全部遅かった

28歳の誕生日を控えて、これほど歳を取りたくない気持ちは今までなかった。28歳になった瞬間、私は人生の後半戦に突入するが、その20数年間を全う自信でさえがなくなっている。人生に構造的欠陥があることは日々はっきりしている。どこがだめだというと、生きていく意味を見いだせないことだ。生き方が下手だというか、世間のいう楽しいことは私にとって大半がつまらないように思ってしまう。

社会人生活は実につまらなかった。可能性がないというより、簡単に以降の20年間を読めるのだ。他人よりさらに数年間の準備期間がかかったのに、結局蓋を開けてみると少し初任給が高くなり、かつどうでもいい肩書きを手に入れたに過ぎない。真剣に計算すると、生涯収入がむしろ下がったかもしれない。そんなみっともない「ビジネス」をやってしまうと、自己嫌悪になって仕方がない。本当にそれなりの高収入を得たか、でかい仕事をやらせてもらったらまたもう少し自信を持ってやっていけたと思う。結局、私に誰かの役に立てる能がないだろう。才能というものは個人の努力に関係ないのだ。

自分の思考回路、人生のメカニズムは非常に歪んでいるに違いない。原因がどうであれ、手段は完全に目的になってしまった。一体何をしたいか正直にうまく言えない。周りの人みたいに普通に楽しく生きていきたいが、どうしてもできなかった。何より共感できないし、ついていけない。もともと難しい性格の上、長い間に社会と切り離されて独自のライフスタイルが形成したせいかもしれない。今更いろいろ追体験し、それを直そうとしても、なかなか思うままにならない。RPGの中盤に入ってまたLv5のキャラをLv50のモンスターに対決させても仕方がないではないか。

どうすればいいか分からない。分かったとしても遅かった。私はすでに過去を直そうとする愚行をやめた。大学院時代にドイツに逃げることを考えていた。最近アメリカに移住することも思い浮かんだことある。いずれ単に現実逃避にすぎない。むりやり実行したところで、短い新鮮さが過ぎるとすぐ落ち込むだろう。そもそもこの歳になって果たしてまた「人材」に見られるかですら怪しい。

残り20年強の人生を頑張って全いたいが、今の自分にとってそれが難しく思える。ふとシーシュポスの神話を思いつく。今の自分はまさに大きな石を山頂に運び、その石が再び麓に落ちた光景を見ている。

終わらない「準備期間」、やってこない「普通」の生活

来月とうとう28歳の誕生日を迎えます。紛れなくアラサーになったにも関わらず、私の人生はまだ「準備期間」にあります。信じられますか、肉体のピークが過ぎて下り坂に入ったのにまだ将来のために何かを準備しようとしています。今まで散々無理をしてきたのに、人生の回収期なかなか見えてこないですし、別に社会の役に立ったわけでもありません。社会の寄生虫というより単に空回りしているではないでしょうか。

支配者の更迭

就職とともに、長い間に執拗に私の人生を細かくコントロールしてきた両親が手を引こうとしています。最初はまだ仕事の態度や生活の様式に口を出していましたが、やがて経済的な制裁ができなくなったことを認め、徐々に静まりました。ついに自分の人生を取り戻し、曲がっている人生を直そうと思ったら、今度別の支配者が現れました。それは会社です。

エスカレートする長時間労働

コロナ入社ですから、元々他の社員と同じほとんど在宅勤務の形になるはずですが、私は危機感を覚えて上司に出社の要望をしました。まさか、今になると出社が当たり前になってしまい、たまに在宅勤務を申請してもまるで迷惑をかけているような顔をされるようになりました。

業務が徐々に増えて残業をしなければならない時も出てきました。しかし、残業しても残業代は絶対出ません。確かに基本給が他社より高いですが、このように長時間労働になるとそのバリューが消えて大して高くない給料になってしまいました。

周りの同僚は誰彼もいつも夜遅くまで働いています。業務の交代が終わったら私もいずれそれぐらい働かなければならなくなります。入社10年以上、上級レベルの給料を支払われている彼らと違って、私は3年間の新人期間に縛られて低い給料しかもらえません。このように考えるとすごく損している気分になります。

消えていくプライベート時間

両親の支配から脱却した私はたくさんの課題を抱えています。それらの課題を攻略するためにすでに手一杯なのに、仕事のためにプライベート時間が大幅に圧縮されてそれどころではなくなりました。

何にも興味が湧かなくなりました。とりあえずハマれそうなものが見つかれません。退勤して帰宅したらベッドに倒れ込んでぼーっとするしか何もしたくありません。せっかく作った新しい趣味も廃れつつあります。

土日でしたら家事も忙しいですし、残った仕事を処理しなければならない時も多いです。もしくは仕事上必要な資格を勉強するとかです。

輝く将来の約束、再び

「いい大学に入ってから」、「いい会社に入ってから」、両親はつねに輝く将来を約束して私に普通の生活をやめさせていました。友達との時間も、好きだったゲームも、体験したかった全てを諦めて学生時代に辛抱すれば、必ず欲しいものを手に入れられると思っていました。まるでいい大学といい会社に入れなければ生きていく権利がないように、一択しか選ばせられなかったのです。

「…をすれば、3年後面白いキャリアを築けるよ」、「最初から〇〇に配属されてみんな羨んでるよ」入社してから上司や同僚に言われる言葉、かすかに聞き覚えがありました。子供の時から延々と両親に言われていた輝く将来と瓜二つです。

また待たなければなのですか。両親が約束してくれた自由や輝く将来は一体どこにあるのでしょう。10年間頑張って、さらに3年間辛抱して、31歳から自分が過ごしたい生活をしようというんですか。

渋谷に馴染めなくなった件

たかだか半年、私は渋谷に馴染めなくなった。

渋谷区から離れてちょうど6ヶ月が経ったところだ。お買い物に銀座と日本橋がもう十分すぎるし、コロナの件もあるから、この半年間ほとんど渋谷に行っていなかった。映画を観るために、久々夜の渋谷に行った。駅に着いて迷わず駅からハチ公像にたどり着けて少し自慢したが、駅から出た瞬間、その雰囲気に抵抗感を覚えた。

とにかく若者がいっぱい居た。皆さんのファッションはおしゃれというより若々しくて輝く見えた。それに対して、自分はいかに保守的な衣装を着ていることに気づいた。恥ずかしかった。コンプレックスでも持ったかと思うが、決して魅力的に思わない。むしろ危ない、汚い、つまらないと素直に思う。

渋谷に行かなくなったのがわずか半年間、まして卒業して社会人になったのも半年に過ぎない。こんな強烈な変化は起こり得るのか。冷静に分析すると、いくつかの原因を考えてみた。

①周りの人は年上=30代以上の人しかいなくて、若者の接点が皆無になったことから、最近の流行りがわからなくなったし、若者も慣れなくなった。

②最初から渋谷に馴染んだことがなかったが、たまたま渋谷区に住んでいて、少し渋谷の大学にも通っていたから、渋谷に馴染んでいたと信じ込んだ。

いずれにせよ、もう渋谷という街を楽しめなくなったような気がする。どうも私は渋谷を卒業した。良くも悪くも、私は青春を飛ばして大人になったようだ。

もしも大学院時代をやり直せるなら

卒業してからもうすぐ半年になる。試用期間も終わり、フル給料を貰う正社員になった。大学院時代を振り返れば、完全なる「敗戦」を回避できたものの、どうも西ドイツの気分がする。不完全燃焼感を払拭できていない。もしも大学院時代をもう一度やり直せるならどうすればもっと良い結末になれるか、ということを整理してみたい。

前提
正直にいうと、2012年留学案が破綻した時点でもうだいぶ無理があった。両親に全否定されたその日、19歳だった私はまだその意味を完全に理解していなかった。寄宿制予備校での1年間、そして異郷に追放された3年間に、受験勉強と向き合うしか何もできなかった4年間でした。大学院に入ったのは6年後、25歳の私はようやく人並みの生活に戻れた。しかし、就活を除き、自由な時間はせいぜい1年間強しかなかった。このわずかな時間で失われた5、6年間の人生を全部追いつくのは到底不可能だった。この事実を受け入れるとして、他に何か改善できるところがないだろうかと考えてみたい。

就活を最初から真剣に
私は就活を軽蔑していた。日本の就活文化が詳しくなかったが、自分のスペックに変に自信があった。トップランクの学歴、英語を話せる、世間が求める典型的な人材ではないか。応募すれば内定を貰えるではないかと真面目に思った。インターンおよびコンサルの早期選考でほとんど面接に入れなくても状況を疑わなかった。

他人に責任を押し付けるように聞こえるが、やはり先輩や周りの同級生など、相談できる人が居なかったのも大きな原因だった。先輩に聞いても、ロクな返事がなかった。とにかく情報が乏しかった。一方、就活塾というものを早めに知ったが、費用が高い理由で応募しようとしなかった。結局、一番自分の足を引っ張ったのは自信過剰だった。

研究は入学前の夏休みから
以前も言及したことがあるが、私は修士号を無事に取得できたけど、まともな修士論文を書けなかった。研究というのは、別に何々講義を履修しなければできないものではない。研究しながら、必要とされる知識やスキルを磨けば良い話だ。入学前からも、完全に問題なくできたはずだったが、私はそのようにしなかった。

課外活動をもっと広く
大学院時代に、私は1つのサークルしか参加しなかった。それでも珍しく、同級生に学部生メインのサークル活動に関わっていた人はほぼ居なかった。6年間以上の受験生活を送って、私は人と接する感覚を失った。というより、1人を慣れて逆に人と関わるのが面倒くさく思えた。

社会復帰のためにサークル活動を自分に無理をさせた。2年弱の活動で見学としてかなり勉強になったが、グループに全然馴染まなかった。「このサークルに合わないではないか」という発想すらなく、ひたすら「経験がないからしょうがない」と結論をつけて自分側のせいにしていた。1つのサークル一点張りではなく、校内に囚われずにさまざまなサークルを巡ったらさらなる成長ができたかもしれない。

理想を抑え、現実に目を向け
長年の抑圧から、日本によって解放されただけではなく、さらに国の最高学府に入学させられた私の愛日心はもはや頂点を超えていた。これからの人生は、できればダイレクトに国に捧げ、日の丸を背負う仕事に就きたいと思い込んでいた。計画されていたCPA試験を棚に上げ、日銀を始め、外国籍の者でも入社できる政府系機関ばかりにしか目をつけなかった。

当然ながら、一国の政府系機関は外国人を採用するはずもなく、国籍制限を設けなくても特段の事情(異様に優秀など?)がない限り、外国人を採用しないと思われる。政府系金融の日本貿易保険の説明会で「外国人が居ないこと」があたかも良さのように言われたし、その場で人事の方にも確認できた。日の丸を背負う機会は、私に最初から存在しなかった。

前に進むしかない
どんなに後悔しても、大学院時代は戻ってこない。私はいつも通りに誰も待たずに人生の次の段階に進む。2023年、ちょうど30歳の頃に日本国籍の取得作業に入る。3年間だけの社会経験とキャリアを積めばようやく一人前になれるだろう。学生時代と比べてかなり可能性が限られるようになったが、まだまだ選択肢が残っている。現状を満足するか、失った「領土」を奪還するか、あるいは新天地を開拓するか、自省しながらこれからの3年間でじっくり考えていきたい。