予想外に、修士論文の作成は令和元年のうちにできた。テーマは今までの専攻と全然違って、企業統治(corporate governance)のことだった。日本銀行に入れなかった私は日本のマクロ経済の論文を執筆する気が全く湧いてこない。データのキャリブレーション(calibration)という高度なテクニックを用いて現実的な消費税増税の限界値を推定したくても元指導教員のO先生(財政学の有力学者)に否定されて諦めた。悩んだ末、単位履修も重ね、企業統治に目を向けた。10月まで企業と会計の話にド素人だった自分は短期間でそのテーマについて論文を書けたけど、さすがに自分もその価値を疑う。
方法論は学部時代の卒論とあまり違いがなく、ありきたりの実証分析だ。データとモデルを決めて有意義な結果さえ得れば、もはや論文作成の半分以上が終わる。そして、先行研究を探して理論と結びつけ、文章化すればきれいな論文ができあがる。
データ→モデル→結果→先行研究→執筆
極めてシンプルな、標準化した作業である。もちろん、実務上にデータの選びとモデルのチューニングなど、様々な課題があるけど。端的に言えば、別に大学の講義を受けなくても高校生でもできるではないかと思う。
具体的に今回の論文作成にあたって、私は上場企業30社以上、総計230年度分の有価証券報告書から必要となるデータを抽出した。モデルが昨今お流行りの機械学習の手法を採用した。他人(sklearn)が作った道具を借りてカスタマイズしただけだった。データでもモデルでも、いずれ自分の想像ではなく、かき集めたものに過ぎない。素材を揃えば誰でもできるから、単純労働のように思える。このようにすることで本当に「新しい知見」を生むのかと、私は迷っていた。
私の疑問に対してO先生は肯定的な答えをくれた。O先生は「新しい知見」を生産関数として捉えて、以下の方程式を提示した。
新しい知見=運×生産性(センス)×単純労働
ただし、投入要素の単純労働は
単純労働=先行研究の把握×分析技術の習得×データ獲得
として考えられるという。つまり、新しい知見を生むために、単純労働も不可欠な作業であった。決定的な要素はむしろ運だという。そして、高度なテクニックより、「誰でもできる」単純労働作業の中から新しい知見を得たほうが評価されるらしい。
同時に、O先生は去年のノーベル経済学賞の受賞者の研究を例として紹介してくれた。アビジット・バナジー氏(Abhijit Banerjee)、エステール・デュフロ氏(Esther Duflo)、マイケル・クレマー氏(Michael Kremer)という3人の研究者は貧困問題に対して実証分析を行ったが、一向にファンシーなテクニックを使わなかった。研究方法は従来のランダム化比較試験(RCT)だし、モデルもごく普通の重回帰分析である。データもモデルも、「誰でもできる」ものだったのに、見事な研究結果を編み出した。
結論、素材を揃えば「誰でもできる」単純労働でも「新しい知見」を生むのだ。テクニックより知ろうとしているもの=クエスチョンのほうがよほど大事である。O先生とのわずか一往復の連絡で私の悩みは解決された。これからも迷わず、地道に研究を続ける。