「がんばり屋だから優秀」(ネタバレ有り)

12月3日金曜日、私は予定時間ギリギリまで上司の指示に対応できて会社から出て銀座方面に向かった。銀座はすでに私の「庭」ではなくなり、馴染んだ町並みを眺めてかすかな寂しさを感じた。でも、今日に限ってそれはどうでもいい話だ。

今日はARIA新プロジェクトの最終編「The BENEDIZIONE」が公開する日だ。前回「The CREPUSCOLO」の時と違って、私は公開1ヶ月前からこれを意識して初公開の日に見ようと決めた。カレンダーに公開日を入れたものの、舞台挨拶の予約日を間違えて見逃した。

前作を観たものの、やはり新世代3人組に馴染まない。名前ですら覚えてなく、キャラだけうろ覚えしている。でもそれでいい、特に嫌な感じがしない。「中堅管理職」になった灯里、愛華とアリスの三人組(ワンオペのARIA Companyを担った灯里さんは実質社長なんだけど)にも少し違和感を覚えた。しかし、ネオ・ヴェネツィアという世界の雰囲気は全然変わっていない。原作から20年間も経ったというのに、これほど巧妙に世界観を保てる作品は稀だ。

今回の最終章は個人的に一番響くエピソードだった。いつもの「ARIAを観て心を洗う」と違って現実的なディスカッションがあった。姫屋の晃・藍華を中心に家柄、才能と努力の葛藤を描いた。第一世代3人組の中で唯一の「凡人」の晃さんだから、もちろん努力が肯定された。晃さんが自分の昇格試験を回想するシーンが一番印象的だった。試験の後、クイーンに「あなたは優秀なのにがんばり屋さん」を言われた晃さんは「がんばり屋だから優秀なんです」と答えた。

「がんばり屋だから優秀」、心に響く言葉だ。現役のARIAファンはおそらく若くてもそこそこ歳を取っているから、かなり刺されると思う。社会に出て、いや、学生時代にもすでに感じたはずだ。世間には才能や家柄に恵まれる人はたくさんいることだ。そういった人たちと比べて、何をしようとする時どうしても苦労する。時に、凡人にとって唯一の道である努力でさえ否定する酷い人も居る(家柄や才能を持つ者もそれなりに努力するのに)。

社交辞令の時が多いと思うけど、私も学生時代から周りに「優秀」とか「頭がいい」とかを言われる。私に言わせてもらえば、本音として全然そう思わないし、言われたら逆に穴に逃げたくなる。その「優秀」の裏にまさに「努力」の他ならない。誰もいない校舎でひたすら単語帳を暗記したり、休日のサービス残業や自己研鑽、そのほとんどは力業である。「がんばり屋だから優秀なんです」、晃さんは私の気持ちを代弁してくれた。

今回のARIA新作は自体はもはや奇跡的と言っていいほどのものだから、ARIAは本当に完結してしまったかもしれない。新世代の視聴者に媚びず、昔の価値観を維持するにビジネスとして成り立つのが難しいし、物語自体も限界に達しつつある。キャラクターたちの世代交代が行われているが、新世代を中心に何か劇的な展開ができるのか、世界観を壊さない限りに至難の業だろう。

エンディングロールにTVアニメのワンシーンが流れていた。在りし日の幸せを眺めて、私は「終わらないで(離れないで)」の言葉で胸いっぱいになった。時間の流れは私の意思に関わらず過ぎていき、やがてシアターが明るくなって退場を迫られた。私は別れの寂しさを抑えながら、駅に向かってつれを迎えていった。

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博士号取得構想、アカデミアまでの道のり①

渡米直前に出席調整のために指導教員だったO先生と相談したところ、修士論文か就活か、1つを選んでくださいと言い渡された。就活に集中したほうがいいよとO先生が付け加えた。それで私はアカデミアに未練を残した。

社会人になっても、引き続き修士論文の作成を続けたいとO先生に言い残した。にもかかわらず、入社2年目半ばの今でも全然手を付けていないし、仕事だけで精一杯だ。在野研究も検討していたが、課題さまざまだ。何より、短期目標の欠如やコミュニティへの障壁によってとてもモチベーションを維持できるようにない。

熟考した結果、社会人生活を維持しながら大学に戻るという結論に辿り着いた。勉強を中心とされた学部と修士課程と違って、博士課程は研究力を問うから単位履修が付随的だ。そのためにスケジュールの厳しい社会人にとっても正規履修が不可能ではない。出身大学院の東大公共も、隣の東大経済もいずれ社会人選抜を設けているし、社会人6年間履修制度も用意されている。

実際目指している大学院はこの2つだけになる。そう、私は引き続き経済学を専攻していく。研究テーマは本業の医療業界に寄せるかもしれない。もちろん他の専門にも興味がある。例えばせっかくだから、理か工の学位を取りたいし、少し感覚が身についている情報系も面白そうだ。しかし、現実はそれを許さない。例え理想通りに入学できても果たして経済学博士を取れるかですら確信がないのに、完全に違う分野でゼロからスタートするだけの力が残っていない。(もちろん理工に転換するといきなり博士課程にいくわけではない)

目標は「適宜な博士号」を取ることだ。ルーツを持っている学校で、従来の分野を専攻して続けたほうが目標を実現する可能性が高いと考える。さらに言えば、最終的に東大公共の博士課程に入る公算が大きい。東大経済に関して駒場出身の経済学部生、その一貫とした経歴を持つ人がお好みで、そうでない人に厳しいイメージを受けている。両大学院のどちらに身を置いてもアクセスできるリソース、経済学図書館や教授陣など、さほど大差ないから、特にこだわっていない。

Apple MusicとAACに降参する

AACとHi-Resを区別できない私は、Apple Musicに降伏する。

よほど高級な設備を使い、適宜な環境でない限り、AACよりCDやHi-Resなどといったロスレスのほうが音質よく聞けたら、それは脳内補完であり、勘違いに過ぎない。私は長い間にこの事実から目を背けていた。

年始にワイヤレスイヤホンから有線に戻ってから、DAPとロスレスに関する脳内論争が絶えずに続いてきた。仕様上音質が限られているワイヤレスと違って、有線イヤホンで聞けば、Apple Musicが提供する256kbpsのAACは物足りなくなる可能性がでたからだ。

一方、実際ヨドバシでWalkmanを試聴してiPhoneと比べても僅差しか感じられなかった(詳細はこちら)。冷静に分析した上でWalkmanに別れを告げても、その未練は未だにかすかに残っている。

せめてiPhoneでロスレスを聞こうと努力してみた。自分がAACとHi-Resをはっきりに区別できると信じ込んでいた。例えば、最近よくシン・エヴァのBGMを聞いている。全部ではないけど、その一部のHi-Resバージョンも「冒頭10分40秒コマ」というタイトルで配信されている。中の4曲目「EM20 CH alterna edition 0706」、アレンジが少し違うかもしれないが、劇場版サントラの3曲目「euro nerv」とほぼ同じ曲なのに、音質が全然違う。前者が明らかにクリアで、音も少し大きい。それに対して、後者が曇るように聞こえて音質の悪さは明らかだ。

その違いについてずっとHi-Resの本領発揮として捉えてきたが、どうも違った。結論から言えば、その違いはおそらくマスタリングの段階でできたもので、決して再生側のフォーマットによって起こった現象ではない。試しにAppleの公式ツールを用いてそのHi-Resバージョンの曲をApple Digital Mastersに変換して聞いたら、そのクリア感は少しでも褪せていないことがわかった。Apple Digital Mastersではなくても、普通のAACに変換しても変わりがなかった。

逆に、CD音質の「euro nerv」を聞いてもそのまま曇っているのだった。この瞬間、私は確信した。昨今のオーディオ再生デバイスにとって、音質の決め手はむしろ録音やマスタリングなど、生産側にある。再生側=消費者側ができることはせいぜい適宜なイヤホンを用意するぐらいだ。オーディマニアに流されず、256kbpsのAACを堅持してきたApple社は実に実務的である。

音楽を大事に(=ロスレスで)保存することはもちろん今でも必要だと思うが、Apple Musicなどの圧縮音源をむやみに拒んできた自分はバカバカしく思えた。区別できなければ、便利な方で聞けば良い。手持ちのアンプももはや不要ではないかと処分を検討している。

赤門➔柏キャンパスチャレンジをやってみた

「やっちまった」

流山市の公園で息抜きしていた時、思わずそうつぶやいた。柏キャンパスまで後数キロしか残っていないが、体力とメンタル、いずれ限界に近づいた。自転車のままに家に帰ることはとっくに途中から諦めて、とりあえず目的地まで頑張るしか考えていなかった。

経緯

「赤門➔柏キャンパスチャレンジ」というのは自分がつけた名前だ。きっかけは神社研究会のとりとりさんが大学院への進学とともに本郷から柏に引っ越しするために、自転車で柏に行ったことだ。とてもチャレンジングで、自分でもやってみたいとその時から気になってきた。

赤門から柏キャンパスまで、Googleマップで自転車ルートの標準ルートは片道34.1kmに及ぶ。見積もりの甘さで有名な自分(自称)だが、正直ロードバイクで34.1kmを走るに心配しなかったけど、往復の現実さを疑っていた。先にカーシェアを使って自転車を柏キャンパスまで運んで、自転車で帰宅という形にしようなど、色んな案を考えていた。しかしながら、また無謀に計画を切り出した。

深夜での出発は結果的によかった。10kmを走ってすでに判断力が著しく低下していた。事故りそうなので、予め用意したソニーの環境音を拾ってくれる運動専用イヤホンも始終かけなかった。交通量の空いている深夜でなければ、なかなか厳しかったと思う。日差しの妨害も免れた。

険しい江戸川沿い

都内にいた時にまだ誰もいない今際の国のアリスみたいな東京を味わえて趣があったが、江戸川沿岸に入ると環境が一気に単調になった。単調というよりかなり厳しい走行環境だった。まず街灯ですらなかった。やむを得ずに自転車LEDライトの輝度を最大にしてバッテリーが死ぬ前に市街地に戻ることを目指していた。川沿いは変に冷えていた。ランニングと違って、サイクリングは緩やかにエネルギーを消費する運動だ。体があまり発熱せず、つねに冷房に直撃されるような状態だった。そして、なるべく道の真ん中に走っていたのに、無限に蜘蛛の糸に引っかかっていた。蜘蛛さんはどれだけ広い範囲に糸を出しているか、深く考えてみるとゾッとした。

一番やばかったのは街灯がないことでも、蜘蛛の糸でもなく、川沿いの一部の区間は道が舗装されていなかったのだ。ルートを変えたくても直近の分岐点からすでに遠くなった。とりあえず砂利道がすぐ終わってくれるようと祈りながら前に進んだ。当然すぐには終わらず、むしろ結構な距離があった。Googleさんにこういう険しい道を走らせられてもはや罰ゲームと言える。途中我慢できず自転車に乗って少し走ってみたが、石が飛び上がって大して走れず、結構自転車を痛めたから大人しく手で自転車を押して歩いていた。

“Kashiwa is a sad place”

「Kashiwa is a sad place」は東大クラスターの中で伝承された自虐ネタだ。柏キャンパスの立地の悪さへの皮肉である。Twitterで環境がすでに改善されているとの声も聞いたことあるが、やはり柏キャンパスは田舎にあることが当面変わりないだろう。しかし、たくさんの田んぼを通り抜けて柏キャンパスに近づくほど、街感が出てくる。最後の区間ではもはや文京の住宅街のように思えた。

柏キャンパス自体はとてもきれいな、立派なキャンパスだと思う。ビルの大きさ、道の広さと言ったら、本郷が到底それに敵わない。文系と違って、理工の研究に実験や設備などが要るのだ。都会から離れた広い土地でキャンパスを建てるにむしろ必然的ではないかだろうか。

本郷と違って、柏キャンパスに壁がないので特に入構が制限されていない様子だった。機会があれば、もっとじっくり回りたかった。

二度とやりたくない

話をチャレンジに戻すが、結論、私はもう二度とこういう無謀なチャレンジをやりたくない。危険だし、疲れるし、お金もかかる。一度だけでもう満喫した。すでに察しがついているかもしれないが、最終的にカーシェアのお陰で無事に家に帰れた。つまり免許を持っていなければ、今回は大惨事になりかねない。また、都心と違って、そもそも柏にステーションがないかもしれないし、事実、今回クルマを確保できたのは柏キャンパスから4.5kmも離れた流山おおたかの森駅だったのだ。事前調査なんて全然しなかった。

東京夜行

免許を取得した当日の夜から、ほぼ毎晩都心でドライブしている。家の周辺、皇居や霞が関あたりがとても走りやすい。深夜になってようやく退勤した官僚たちと休憩を取っているタクシー以外ほぼ貸し切り状態だから、免許取り立ての自分にとって比較的に理想な練習場だ。

時に調子に乗って銀座の裏道も走ったが、予想より歩行者が多くて判断ミスで横断歩道で立ち往生を経験したらそのあたりを敬遠しがちになった。また、上野方面にひたすら直行して気づいたらすでに千葉の山奥に行ってしまったこともある。

首都高速で走るのが一番素晴らしかった。深夜だから道が空いていて、思いっきりスピードを出せるし、夜景に感動した。両側のビル群、その点々とした灯りは星のように見えた。どこか、映画のワンシーンを連想させる光景だった。

元々都会出身の私は東京のことが好きではなかった。昼間の東京はつまらなくて仕方がない。しかし、いざ夜になり、人気が去って初めて東京の魅力を感じる。夜こそ、東京の真価を楽しめるではないかと私は常々思う。

間違いなく、私は運転が好きなのだ。このペースでペーパードライバーになることはないだろう。長い間に免許を取れなくてやはり残念だった。もしも人並みに20歳あたりに免許を取得できたら、人生の展開がかなり違ったかもしれない。

青春、私にもあったね、あの蒼い惑星

拝啓。最近少しづつ暖かくなってきましたね。
春もそう遠くないでしょう。

今日の夕方に小雨が降っていた。
私は早めに仕事を上がって映画館に向かいました。
そうです。今日はARIAの新作の上映日です。

世も令和の時代になり、ARIAは随分古く見えたせいでしょうか、
今回の新作についてまったくの予想外でした。
雨にも関わらず、わざわざ見にくる方は大勢居ました。
私を含めて皆さんは誰彼もアラサーのようでした。
きちんとしたスーツを着ている営業マンらしき人から
Tシャツ姿のヲタクの方まで様々な方は集まってきました。
皆さんもきっと私と同じ、若い時にARIAに魅了されたに違いません。
そう思って全員素敵に見えました。ARIA好きな人に悪い人が居ませんもの。

2015年の新作The AVVENIREをキープして観なかったためでしょうか、
知らないキャラがいっぱい居ました。
原作の2世代構図から3世代に展開しました。
大人になった灯里、愛華とアリスの三人組を馴染むまで少し時間がかかりました。
成長したとしても、現実世界に居る私たちよりは大分遅めで羨ましいです。
ネオ・ヴェネツィアはまったく変わっていません。
煩悩らしい煩悩のない素晴らしい世界です。
懐かしいリズムが響いて思わず泣きそうになっていました。
アリスが大人になる不安に巡る話でした。
それは自分も常々悩むことなので、共感せざるを得ませんでした。
アテナさんの答えを聞いて、完全に納得していないものの、なぜかスッキリしました。

映画を観ながら、私は気づきました、青春というものは私にもあったではありませんか。
青春は受験戦争と両親に潰されたと思い込んで、大事な友との時間を忘れてしまいました。
ARIAはまさに私の青春にとって大事な一部です。
新作を観てまるで旧友と久々お会いできたような気がしました。
私の青春は決して潰されたわけではなく、確かにあの蒼い惑星で素敵な時間を過ごしました。
今日はそれを思い出すことができました。

皆さんは成長して元気に明日を迎えていることを知って安心しました。
いつか別れる時がくるかもしれませんが、
それまではもう少し時間を共有していただきたいです。

趣味改革、ゲーム退場へ

1ヶ月間に熟慮した結果、ゲームという趣味を退場させてもらうことに決めた。先行措置として、PS4の売却から始まる予定で、Switchにの処置はもう少し様子を見て判断したい。おそらく両方とも手放すだろう。

とにかく時間が欲しい
社会人になったからではなく、実は大学院時代にすでに時間の不足さが顕在化しつつあった。余裕がない時期に、やりたくてもできないという従来の課題から、やりたいし、できることが沢山なのに、時間がないという難問に変わった。これを対処するために、1ヶ月前から趣味を再編しようと考えはじめた。

役に立たないゲーム
正直、個人的にあまりゲームをやるメリットを感じられない。ADVであれば、まだそれなりのストーリーを楽しめるけど、他のゲームにハマっても単に暇つぶしに過ぎない。ゲームを遊び、たくさんの時間を費やしても虚無しか得られない。長時間にやると疲れて、むしろストレスがたまる。ストーリーだけ楽しめたくても、もっとコスパの良い選択肢があるのだ。それは読書、本を読むことである。

趣味として好まれないゲーム
婚活・恋愛でそれなりに活動してきて、ゲームを趣味として上げてマイナスとして捉えられることが多いと思う。若い女性向けのディズニーランドのように、ゲームが男性色の濃い趣味ではないかと考えている。ゲーム好きな女性が居ないわけではないが、極めて少数で倍率高いお相手だ。

ゲームに割いた時間とお金は、それぞれ資格勉強と新しい趣味に充てられる。次の趣味は女性受けの良いアウトドアのものにしたい。基盤を変えず、現状打破することに限界を覚えている。今回の趣味改革だけではなく、さらに過激な聖域なき人生改革も迫られているような気がする。

大阪滞在

自粛ムードの最中に、私は東京を離れて大阪への旅を出た。もちろん、観光のためではなく、会社の研修を受けるためだ。Twitterで「疎開」と称しているけど、この都会から都会への旅はさすがに「疎開」とは言えないと思う。

うちの会社はそういう同時に「大阪本社」と「東京本社」を設置しているパターンだ。会社の2つのルーツ、いずれも大阪発祥だから、それは今回大阪に行くわけだ。研修というより、まるで一種の儀式(ritual)のように見える。

この会社で活躍すればいずれ大阪勤務が避けられない。むしろ、今の東京勤務も自分のわがままの結果であり、「現状として東京本社で働く」と度々言われていた。本社で働くことが通常出世コースの兆しとして捉えられるが、私はあまり東京から離れたくない。

大阪は方言があるし、なにより日本の中心ではない。標準語を身につけ、なまりを一所懸命削ろうとしている自分にとって、とても日本語の方言をマスターできる気がしない。方言を知らない日本人ですら疎外感を覚えるのに、外国出身の自分には余計なハードルだ。

向こうの国に政治中心がペキン、経済中心がシャンハイという明確な役割分担があるに対して、日本の政治中心も経済中心もいずれ東京なのだ。中心に居るのは、チャンスに恵まれることを意味している。少しでも転職したい意思があれば、最初から大阪ではなく、東京に身を置くべきだと考えている。

Apple Musicに乗り換えた後気づいたこと

数日前、Spotifyを解約して、Apple Musicへの乗り換えに踏み切った。AppleのストリーミングサービスはSpotifyより大きなライブラリを持っているだけではなく、そのシステムとの一体感も魅力的だ。iPhoneの標準音楽プレイヤーに最初からApple Music機能を内蔵してきた。それを使わなければ逆に目立つから、ある意味でAppleの営業戦略は成功している。Apple Musicに入会することで気分がスッキリした。

思わなかったのは、なんとApple Musicの音楽は既存のローカルライブラリと連携するところだ。自分が持っている音楽とApple Musicの音楽は同じプレイリストに入れることができる。音質として、iTunesで販売されている曲と同じように、256kbpsのAACだ。ストリーミングの枠を超えて、定額レンタルとも言えよう。

Appleのエコシステムにどんどん吸い込まれるような気がする。iCloudとOnedriveを併用しても、iCloudのウェットは日々大きくなっている。Apple TV+がNetflixとAmazonの仲間入りができて、三つ巴の状態になった。そもそも今年に入ってさまざまな理由でiPhoneだけで、4台も買った。

Appleのラインナップにまだ使っていないのはMacBookとWatchだけだ。Watchに当面興味がないとして、MacBookの導入はもはや時間の問題だ。16インチのMacBookに長年に渡ってユーザーを困らせてきたキーボード問題は解決された。それより小さいモデルも同じいソリューションを使う見込みである。その小さいモデルを導入するかもしれない。

数ヶ月前までまだソニーファンと自称していた事実は今の自分から見てもとても信じられない。もっと早くソニーファンをやめればよかったと今でも後悔している。Appleの製品は高いけど、長く持てるし、中古の価値も抜群だ。Appleに切り換えったら逆にお財布に優しい。

新iPad Proを導入

11月の上旬、発売早々私はお祭り気分で新iPad Proを買った。iPadを買ったのは初めてではなく、今回で2回目だ。高校時代、試験のお祝いとして第3世代のiPadを入手したことがある。第3世代iPadは初めてRetinaディスプレイを採用したモデルで、当時はかなり先端的だった。今回の新iPad Proも今までのデザインを一新して、昔の人々が想像していた未来のタブレットのように見える。

使い道として、私は主に論文を読むための電子書籍リーダーとして運用していこうと想定していた。しかし、海外のレビューではこのiPadをノートパソコンとして利用しようとしていることが多かった。ベンチマックでのテストによると、今期iPadの性能は主要のノートパソコンを上回っているという。にわかに信じがたいことだが、どうも事実のようだ。私はiPadでノートを取るつもりがなかったので、Apple Pencilを買わなかった。ケースもキーボードもAppleの純正品を買わなかった。

結論からいうと、今回のiPadはとても優秀だが、まだノートパソコンの変わりにはならない。FaceIDでロックを解除ができるのはとても便利だ。そして何よりも、ディスプレイのリフレッシュレートは通常液晶の2倍の120Hzに達している。ヌルヌル感は半端なく、画面を観ているだけで病みつきになりそうだ。今回Appleが独自のLightningポートを諦め、主流のUSBC型の端子をiPadに装着したことも素直に評価する。携帯などのデバイスを充電したり、カメラと繋いでそのまま写真ファイルを導入したりすることができるようになった。場所を問わずにiPadでプロ的な写真編集や現象などの作業は可能だ。

しかし、iPadがあればノートパソコンは不要だということは絶対にない。むしろ、ノートパソコンがなければ困る。まず、iOSにまともなファイル管理システムがないし、そもそも自由にファイルを移したりすることはできない。前述通り、USB端子があるが、USBメモリを刺してもOSに認識されない。パソコンのソフトと比べると、やはりiOSのソフトはまだまだ弱い。今渡しはまさにこの記事をiPadのWordで作成している。iOSのWordに基本的なワープロ機能しか入っていない。キーボードを利用しているが、打ち応えが極めて快適とは言えず、ギリギリ使い物になったような感じがする。パソコン並のプロ写真編集ソフトがあって、写真処理自体は快適だが、現象後の管理やバックアップなどまた問題になる。やはり通常のパソコンは必須だ。

ノートパソコンではなく、タブレットとしてiPadを運用するならば不満はない。補助の位置付けでノートパソコンと一緒に持ち歩くと、いつでも気軽に2画面の作業環境を展開できる。勉強においても撮影などの趣味においても大変助かった。