語学随筆 ハングル雑感

ハングルを勉強し始めてから1ヶ月以上が経ちました。モチベーションはあまり高くないですが、一応毎日多少は勉強して頑張ってきました。実際、ハングルを自由に読んだり書いたりできますし。文法的に、ハングルは本当に簡単です。日本語と一緒じゃないですか。韓国人にとっては問題発言かも知れません。まるでハングルは日本の方言みたいな感じがします。友人がこう言う例文をしえてくれました。

朝鮮民主主義人民共和國은偉大한首領金日成同志와偉大한領導者金正日同志의思想과領導를具現한主體의社會主義祖國이다
vs
朝鮮民主主義人民共和國は偉大なる首領金日成同志と偉大なる領導者金正日同志の思想と領導を具現した主體の社會主義祖國である。(@tam_pok_tsu

見た通り、書き言葉はそっくりです。日本語を話せる方ならば、数時間でハングルを読めるようになると言っても過言ではありません。面倒なのは、発音のほうです。まず、同じ子音と言っても、文章の冒頭に置くか中に置くかにより、発音が違います。そして、日本語或はチャイナ南部の言葉を喋るひとには、「ㄹ(l)」という子音がぱっちむとして来た場合、連続して話したら、かなりしんどくなるかも知れません。なぜなら、日本語にはそう言う発音がほぼないですから。一番面倒なのは、ハングルの表記と実際の読み方が違う場合が多いということです。もしかしたら、日本の旧仮名遣いと似てるかも知れません。旧仮名遣いは、一応読めますが、真面目に勉強したことがありません。けれど、その旧仮名遣いも表記は実際の読み方と違っていました。

まあ、簡単とは言え、テキストから離れたら、あまりロクなハングルを喋れません。練習と経験の両方とも足りませんから。このままいけば、2、3ヶ月後には実用的になるでしょう。最後に、ちょっとした小話ですが、現時点で最も話せそうな会話は教材の第一課「私は日本人です(저는 일본 사람입니다.)」です。これさえ使えれば、韓国人に日本人の振りができるでしょう。(笑)

学食

学食、即ち学校の食堂である。
私は学食で食事するのが好きだ。別にそんなおいしい訳ではないが、安いだからだ。買って座って頂き、食べ終えたら皿を返却口に置けば終わる。とても便利だと思う。同じ金額でも、メニューの選択によって違う料理が食べられる。最も気に入ったメニューを決めたら、あまり変更したくない。例えば、1年半前から、小豆あんの饅頭が気に入ってハマった。毎日、朝と夜、同じ窓口で同じメニューを注文する。最近、窓口のおばさんたちはなんと私の顔を覚えてしまうようだ。私がまだ口を開けてないのに、向こうはもう定番のメニューを用意してくれていることがしばしばだ。実は小豆あんの饅頭より、小豆あん入りの餅や大福のほうが好きなのだ。実家の辺りには、大福と似てるお菓子があって、子供から好んで食べてきた。まあ、カロリーが高いということはデメリットだとおもうけど。

困ったことに、私のメニューは他人にとってあまり食事にならないようで、「今夜はこれだけ?」と知り合いに会うと、よくこのように聞かれる。家が貧乏な生徒よりまずい物を食べていると思われる組合せなので、多分「こいつ変だ」と思われているだろう。

生徒たちの中には、学食が嫌いな人もかなり居るそうだ。学食より出前のほうが好きらしい。学食の料理がまずいと言うより、単に寮から離れたくないからかも知れない。それに、それらの出前は大体学校の隣の小さい飲食店から取り寄せたものなのだ。どう考えても、学校が管轄している学食のほうが衛生状態がいいにきまっているだろう。

チャイナのネット事情

私の両親が若かった時代には、例え日本製の高感度のラジオを使っても、海外のラジオチャンネルは上手く受信できませんでした。時代が変わって現在、もし貴方がいきなり大陸に来たら、ホテルのWIFIに接続しても、普段使っていたネットサービスの八割くらいが使えなくなることに気付くでしょう。アンドロイドのプレイストアさえ入れません。ヤフーが開けますが、非常識くらいにラグが発生します。

これらの現象はなぜ起こるのでしょう?

皆さんは既にご存知かも知れません。そう、昔も今でも、チャイナには目に見えない壁が存在しています。過去の10年間、ペキンの反対勢力のサイトから、フェースブックやツイッターなど、国際的に有名なサイトが相次いでチャイナ住民の視野から消えてしまいました。あのかけがえのないグーグル社すら、追い出されました。

個人にとっても、ビジネスにとっても、非常に迷惑だと思います。GMAILを使っている会社は、世界中に数え切れないほどありますね。GMAILから送られたメールはチャイナのサーバーに届きません。大学の研究者も、時々世界最先端の論文を探そうとしても、探すためのツールがなくなりました。

勿論、「壁」を超える方法もあります。けれど、非常に不安定で、時には1つのサイトや動画を見るために、単に壁を超える方法を調整するだけで30分、時には数時間を要してしまいました。精神的にしんどいと思います。日本の皆さんにとって、ユーチューブを観るのは、結構普通な事でしょう。然し、チャイナには贅沢なことなのです。私は快適にユーチューブを観るため、台灣、日本、アメリカなど世界中にスムーズ中継してくれるサーバーを試し、ようやく観ることがでます。海外で、単にクリックしてできることが、チャイナではそんなに面倒になるとは本当に煩わしいことだと思います。携帯も、今皆さんは、アイフォーンのほか、アンドロイドのを使っているでしょう。グーグルが封鎖されたことにより、アンドロイドの固有機能がほぼ全滅しました。一部のアプリがグーグルと繋がらないと、バッテリーをどんどん消費するようになってしまい、削除しか方法がありません。

別に、ペキンへの「悪口」を見たいわけではないのに、ただ普通に世界と繋がりたいだけなのに、ペキンはやり過ぎだと思いませんか?とは言え、チャイナ住民の大半がもうこのような壁がある世界に慣れたようで、不満を言う人はあまりいないようです。むしろ、たまたま壁に穴が空いたとき、億という単位のチャイナ住民たちがSNSで海外のユーザーに迷惑をかけていた、というユースも見たことがあります。こう見れば、壁の存在が逆に檻みたいに海外の人たちを守っているように見えます。

「豊かさ」

百年前と比べると、先進国ではなくても、人々は豊かな生活を送られるようになりました。産業革命と資本主義のお陰で、食べ物くらいなら今もう心配せずに思う存分食べられます。かえって、カロリーを過剰摂取して太りすぎることが問題になっています。勿論、アフリカとか中東などの一部の地域では栄養不足により被害を被っていますが。

でも、これで本当にいいのでしょうか?

私は、高校時代には、共産思想を批判し、資本主義と民主主義に憧れていました。大学に入り、様々な経済専門知識を学びながら、私の考えは変わってきています。資本主義は確かに、人々の生活を豊かにしました。然し、それは「過剰生産」によって作り上げられた豊かさなのです。飲食店でバイトをしたとき、毎日、残飯が言葉で表せないほど多く捨てられていました。そのうち、一口二口しか食べられていなかった物も少なくありませんでした。一軒の飲食店だけでそのように無駄にして捨てていたら、世の中では1日にどれくらい膨大な食べ物を無駄にしているのでしょうか。
学食でよく「節約しよう」というポスターを目にします。毎回見るたびに、資本主義の社会、個人の節約が何のためになっているのかを考えさせられます。役に立たないでしょう。なぜなら、売れない食料は、食べ物に困るところに送られるわけではなく、ゴミ処分場に送られます。

それは、ミクロ経済の些細な1例に過ぎません。そのような浪費は、いつでもどこでも起こっています。マクロ面でみると、もっと酷いです。政府は、経済を成長させるために、無駄なことばかりしています。例えば、無闇に同じ道路を作り変えて、節約型社会を促進せず、浪費型社会に進んでいます。客観的に考えれば、資本主義は本当にまずい主義だと思います。共産主義も、いいとこがあるのではないですか。けれど、それのデメリットが多すぎて、あまり良いと言えないと思います。
何か、解決策が有るのですかね。

物のない冷蔵庫

大学に入る前、自室に小型冷蔵庫を置いて、夏に冷たい飲み物を飲むことをしたいと思っていました。今年の夏、ついに決心して、小型冷蔵庫を買いました。けれど、自由に冷たい飲み物を飲み放題という夢が叶いませんでした。なぜなら、飲み物を買う余裕がなかったからです。冷蔵庫を買うのが精一杯だったのです。今日、私は仕方なくこの飲み物のない冷蔵庫を売りました、買った時の値段の3分の1弱で。

「物のない冷蔵庫」はまるで今までの人生の縮図です。
専門書をいっぱい買って勉強し、出願しても、結局試験を受ける余裕はありません。
せっかくゲーム機を買っても、結局カセットとか、ソフトを買う余裕がありません。
日本語と英語を日々練習して、いくつの資格を手に入れたのに、結局日常的に話せる相手がいません。
せっかくネットで友達を作ったのに、結局現実で会うチャンスがなくなって、本物の友達になれませんでした。
色んなバイトをして頑張って働いたのに、時給100円しか貰えなかって、最悪の場合全く貰えななかったこともありました。
などなど、色んな「物のない冷蔵庫」があります。

きっと何かが間違っています。
でもどうすればこれらの泣きたくなるようなことを避けられるでしょう?
あっ、そうだ、最近から「冷蔵庫」を買わなければいいのではないですか。
えっ、それは諦めるという訳ですか?
確かに筋は通りますね。
ですが、諦めないということもありますよ。
じゃあ、その「諦めない」ことが最後に「物のない冷蔵庫」になってしまったらどうしよう?
それは…

旧友

勉強のとき、私は癒し系の音楽を聞くのが好きです。今日、私は天門さんの曲を聞きました。彼はよく新海誠監督と組んで、新海監督のアニメの曲を担当してきました。彼らは多くの作品を生み出すタイプではなく、質に拘っています。「秒速5センチ」と「雲の向こう」、この2つの作品は私に大きな影響を与えました。

私は偶然、ある高校時代の旧友と連絡を取りました。彼と私は共通点も多く、親友のはずでした。なぜんら、話ts日立は同じ年の同じ日に同じ街で生まれ、同じ高校に入って、天門さんと新海監督の作品に対する思いも同じだったからです。性格さえも似て、まるで兄弟みたいでした。毎回天門さんの曲を聞くたびに、アニメの思いに加えて、彼のことも思い浮かべます。

私は留年になり、彼は卒業しました。彼も本人の意志ではないが、やむを得ず上海から離れ、他の街の大学に行きました。別れる前に、彼は私に「生物学者になりたい。」と言いました。けれど、4年後、私たちが再会したとき、「もう大学卒業できない」と言われました。詳しく聞いたら、かれは 大学に入った2年後、学業を諦めたそうです。それからピアノを勉強して、元々幼い頃からギターをやっていたので進歩も速く、今はピアノの先生をしているそうです。彼は学校の隣にあるピアノ教室を経営していると言っていました。こうなると、「彼が再び上海に戻れるかどうか分からない」ということになるのではないですか。

正直に言えば、彼のことでがっかりして、悲しい気持ちになりました。まず現実的に、そう言う普通なピアノの手腕で、良い生活をおくることは出来ないでしょう。そして、何でかれは自分の夢を捨てたのでしょうか。みんな頑張って、前へ走って、例え方向が違っても立派な人になればいいではないですか。残念ながら、私は止めません。止めたくないだけではなく、止められないのです。私は最初の夢を目指して、東の眩しい日の丸に導かれて、前へ進みます。毎回天門さんの曲を聞いて、彼のことを思い出しましたが、嘆いても仕方がありません。

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バイト再開

最近、落ち着いたから、再びバイトをするようになりました。実は、2年生のとき、私は家庭教師や、日本人の生徒にチャイ語を教える仕事もしていたことがあります。けれど、頭脳労働とは言え、相当な責任があり、そして給料も多くはありませんでした。やはり、私は自分では学べるが、他人には説明するのが苦手なタイプだと分かりました。だから、あまりいい先生になれない気がします。そこで、今回は飲食店のバイトを選びました。

お金が目当てなのは確かに動機の1つですが、「日本へ行くための訓練」という意味もあります。そして、実際働いてみたら、正直に言えばとてもしんどいです。いつも日本のことを見つめてきた私にとっては、あり得ないことが沢山ありました。チャイ人のやり方は、なんというか、「臭いものには蓋」ということだと思います。裏を知ってしまった私は、大きなショックを受けました。とは言え、私もいい人間ではありません。「本当に使えない」、これが自分の仕事に対する評価であります。身の回りの人たちに、常に私の面倒を見てもらっています。チャイ人のことを気に入らなかったのは、もしかしたら、単に文化の違いかも知れません。そして、料理師は、中卒の方が多いです。普段あまり会うチャンスがない人たちです。彼らの話を聞いたり、生活の習慣を観察したりすると、意外に面白いと思います。まとめて言えば、忙しい時は忙しいけれど、暇な時もけっこうあって、その時間を利用して、英単語を暗記するつもりです。あっ、日本ではそれはいけないことでしょう、仕事中なのに、内職をして。でも、ここは違います。他の皆さんは全員勝手に携帯をいじっていますから。

そう言えば、私は本当に年を取りました。いつの間にから、周りの人たちの多くが年下になりました。2回留年の経歴は、まるでバツを付いたようです。明日23歳になりますが、まだ子供っぽくて、みっともないです。何より、人生の本番はまだ始まらず、長い「過渡期」の中にいます。でも、何でもかんでも頑張り続けます。新しく立てた計画は順調に進めば、日本へいくのが早まります。とにかく、目の前のことを取り組みます。バイトの給料は、やはり母のために使いましょう。母もいつも「過渡期」で待てば待つほど、結局人生の最後の段階を迎えるようになりそうです。その前に、できるだけ、母の時間も救ってあげたいです。

ハングルを勉強し始めました

私は最近、韓国語を勉強し始めました。そして、単に教材を入手しただけではなく、本格的に半月ほど勉強してきました。ハングルは既に読めるようになりました。何で今更ハングルに関する日誌を書くのか?三日坊主になりたくないからです。実際、韓国語を勉強するのは、これで二回目なのです。かつて、韓国語を含めてドイツ語と広東語を勉強したことがありました。残念ながら、続きませんでした。けれど、その時「私は真剣にドイツ語を勉強してるよ。」と知り合いに言ってしまったため、恥ずかしかったです。今回は、周りの人たちに話さないつもりです。

ハングルを勉強し始めた動機は、韓国が好きだからではありません。まず、前回の旅で、日本には韓国人が大勢居るということが分かりました。そして我が亜細亜圏にとって、朝鮮は不可欠な一部であります。何より、半世紀の間、朝鮮全土は日本の一部でした。その国とその民族を知る必要があります。今後のためにも、これから恐らく、東アジアの融合は進まるでしょう。日本の大手企業も次々と韓国とチャイナに進出するでしょう。皆のことを理解できる私は、職場で役に立つかもしれません。もう1つの言葉を理解すれば、もう1つの視野も手に入れられます。最近は日本語ばかり使うせいで、逆に視野は狭くなりました。

とは言え、日本語は大切で、母語候補と言っていたのに、それはどうしよう?実は、今回日本人向けのハングル教材を使っています。日本語は実質的に母語待遇を与えられました。「まず母語の本や教科書を読むべき」という話がよく言われてきましたが、私はそう思わないです。言葉は使えば使うほど進歩すると思います。

最後、逸話ですが、日本人のお兄さんは私を韓国人と間違えたことがあって、今回韓国語の先生にも、「朝鮮人」と思われてしまいました。何ででしょう。全然韓国人と似てないのに。

「平成27年本土作戦」まとめ(作戦失敗)

一、経緯と結果

3年次編入試験を通じて2年の人生を奪還するため、3月から本計画が実施されていた。

早稲田商学部(放棄)

大阪大経済学部(放棄)

九州大経済学部(落ち

神戸大経済学部(出願したのみ

元々三ヶ月の期間に、4校を挑戦するつもりだったが、学校と家族から迫られて、実際受けたのは九州大学だけ。

日本の専門書、受験料及び交通費、査証料など今までのない大金を投入した。

残念ながら、九月以降、完全に形骸化になった。そして、今日九州大の試験が落ちより「作戦失敗」と認める。

二、問題点

ア、学校との交渉は不十分

前期交渉のとき、担当の先生に誤魔化され、「休学の場合は留年か否か」という争点について曖昧な答えしかくれなかった。事後やむを得ず「休学なら留年決まる」と言われて、既に計画を調整する余裕がなくなった。ただの「ごめんね」と言われて、この事を済まさせた。

最初から強引な態度で交渉するべきだ。

イ、試験準備は不足

自慢な英語と日本語を通じて、九州大学くらいきっと行けるという妄想を抱いて数学と経済学などの専門科の復習をだらけた。簡単に早稲田と阪大の可能性を捨ててしまった。そして、だらけたこそ、神戸大へ行くか行かないかという点に迷っていた。

油断は禁物だ。

ウ、家族からのサポートを失った

学校との交渉が破裂した後、家族はもうあまり私を支えてくれなくなった。なぜなら、90日の査証は20万円以上の大金を払って得たもので、これはもう勿体無くなって、両親に嫌われた。一応、九州へ行ってきたが、面接の結果次第、責任を問われて、悲しい結果になった。

家族との関係を見直すべきだ。

エ、計画そのもの最初からあまり通じない

最も自信を持っていた九州大学も、落ちてしまった。面接のとき、実は先生たちははっきりに

私は外国人で、作文も下手だし、日本人と一緒に勉強することは頑張りすぎるだ。

大学院なら大丈夫だけど。

という風に言われました。

他の志望校も、受かる可能性が高くないだろう。

そもそも、人生というモノは一度もミスを犯せないのだ。私は自分が幼い時犯した過ちを修正するために、もう8年の人生をかかった。それでも無理だ。早くても10年が必要らしい。

三、獲得モノ

ア、一応日本へ行ってきた。

イ、日本の大学の入試の流れを体験した。

ウ、日本社会との相性が良いことが判った。

エ、自分の日本語は大丈夫だ。

オ、2年ぶり、大失敗の味を味わった。

四、これから

ア、高校時代にもう2回留年したので、編入試験を再挑戦する資本がなくなった。来月23歳になって、もう一回の留年は納得できない。

イ、まず、昔の大学院を目指す線に戻るしかない。GPAを確保しつつ、英語と日本語をより一層強化する。

ウ、未来2年間、チャイナ内陸部に流亡し続けても生きれる方法を考えだす。

 

平成27年10月30日

合格でもなくても、新たな始まり

3月に作った「平成27年本土作戦計画」は完全に形骸化しました。元々予定していた、3ヶ月間で日本本土を巡って、試験を受ける計画は水の泡になりました。結局、大金を払って手に入れた90日査証は無駄になり、実際に受けたのは九州大学だけでした。その結果発表は今月の30日です。面接は上手く行かなったですが、自慢の英語力とTOEFLスコアがあるので、まだ諦めません。

今まで、大体試験を受ける前に結果をぴったり予想できていたので、試験前に今後のプランを書いていました。今回だけ、書けないというか、書きたくないというか。書く気が起こりません。頭の中に、2つの計画を用意しましたが。最近、胸が本当にドキドキしています。期待の芽がむくむくと出て、いつもより落ち着かないです。

「卒業したら来てください」名古屋大の先生はそのような返事をくれました。

「大学院ならば…」九大の先生はそう言ってくれました。

きっと私は自分を騙くらかしているでしょう。(笑

トントン拍子に進めば、絶対順調に行けるのに、私はなぜそんなに急いでいるのでしょうか?

1つは勿論、「ニッポン」というモノに現を抜かしています。

もう1つは、来月、23歳になるからです。失った時間を取り戻したいのです。

どんな結果が出ても、その日からは新たな始まりです。胃が痛くなる事ばかりですが、生きていきます。