来世を待たず、今すぐ日本人になりたい

先日、法務局に帰化申請の書類を提出してきた。相談担当のおじいさんは書類を一枚一枚チェックし、整理するに1時間もかかった。少し足りない書類もあったが、郵送で提出することで無事に受理された。刑事裁判の有罪率が99%に至ると同じように、帰化申請の許可率も9割台に上る。許可されそうにない人の申請が受理されない仕組みだから、受理されている以上、これから特段何かのトラブルが起きない限り、私は日本人になるのだろう。

中3の夏に日本人になろうと決めてから何度も帰化申請のことを想像してワクワクしていたが、いざ本番になって異様に冷静だった。宣誓書を読み上げる時にも事務的だった。ジョージ・クルーニーが出演した映画「マイレージ、マイライフ」、主人公が目標の「1000万マイル」を達成して航空会社に祝われた時の雰囲気によく似ている。ただ、帰化の動機書を書くために、ネットで紹介されているテンプレートに囚われず、A4一枚という限られている分量で可能な限りに本音をまとめた。

これからの流れとして、数ヶ月後に本番の面接に呼ばれて、それを経てさらに数ヶ月を待てば審査結果が出るらしい。永住許可の時に特例的に短期間で許可されたが、やはり帰化の場合はどうしても1年ほどを待たなければならないみたい。何より、日本生まれの特別永住者でさえ、審査期間が半年ほどかかるから、元々日本とゆかりがない自分はさすがにそれを超えることができないだろう。

日本国籍を取ったとしても、生活はあまり変わらないかもしれない。普段から日本名で生活しているし、職場の同僚に度々帰国子女に勘違いされる。すでに1人の日本人として振る舞って、外国人に日本のことを紹介したり、レポートを書く時に「わが国」=日本を使ったりしている。強いていえば、日本のパスポートをもらえて海外旅行が便利になるぐらいだ。しかし、私は今でも長期有効なアメリカビザを持っているし、台湾以外ほとんどの国のビザを申請すればすぐ取れるので、さほど致命的な支障になっていない。

心の底から愛する国がこの世にある自分は極めて幸運だと思う。どんなに辛い時でも、日本に行けばなんとかなるを信じて数多くの困難を耐えてきた。実際日本に来て、自分の幸せと居場所を見つけた。人生の底に落ちいていた私は神様と約束をした。自分を地獄から救い出し、日本に居させる代わりに、私がこれからの人生をこの国のために捧げること。日本経済が傾いて、給料目当てで他国に移住することは絶対にないし、例え深刻な自然災害で東京が住めなくなったとしても私は皆さんと一緒に新しい首都に移動する。万が一戦争があったらもちろん日本のために戦場に向かう。

国籍法第7条に巡り、担当者の法解釈で帰化申請が1年ほど遅れた話

本来ならば今のところはすでに日本国籍を取得したかもしれないが、担当者の法解釈で1年ほど遅れている。外国人が日本国籍を取得するに、いくつかの条件をクリアしなければならない。今回問題になったのは、その中の「住所用件」だ。

根拠法は国籍法第5条1「引き続き五年以上日本に住所を有すること。」である。

日本国民になろうとする外国人は連続的に日本で5年以上住民票を持たなければならない意味だ。ちなみに、留学生ビザの期間はフルにカウントされず、卒業後3年以上の就労歴が求められるという不文律がある。つまり学部から修士まで日本の大学に通ったとしても、4+2+3と9年も必要になる。さらに例外として、留学生ビザで日本に10年以上滞在すれば、就労歴が1年に緩和される。かなりややこしい運用だ。

以上はあくまで一般的な外国人に対する用件で、元日本人や日本人の子どもなど、日本人の「身内」には特例措置がある。「簡易帰化」と呼ばれる。例えば日本人の配偶者であれば、5年を待たずに、結婚した時点で3年以上日本に滞在したか、結婚してから3年が経って1年以上日本に滞在したことになる。

根拠法はこちらだ。国籍法第7条「日本国民の配偶者たる外国人で引き続き三年以上日本に住所又は居所を有し、かつ、現に日本に住所を有するものについては、法務大臣は、その者が第五条第一項第一号及び第二号の条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。日本国民の配偶者たる外国人で婚姻の日から三年を経過し、かつ、引き続き一年以上日本に住所を有するものについても、同様とする。

去年の1月、当時横浜に住んでいた自分は横浜地方法務局に帰化の相談を申し込んだ。その時点ですでに社会人も2年ぐらいやって、連続的に日本に滞在する期間は余裕で3年を超えたし、日本人の配偶者として簡易帰化を申し込もうとした。結果、横浜の担当者に断られた。

横浜の担当者の言い分は、「留学ビザの期間はそもそもカウントしない」らしい。結果的に「就労ビザに切り替えた日から3年を待たなければならない」を言い渡された。そのように言われた瞬間、不審に思ったものの、相手が権威だから、そのまま鵜呑みにした。そして、当時はすでに永住資格を取得したものの、途上国出身というコンプレックスと立場を払拭できず、とても「帰化のために結婚した」を言われたくないため、この結果を受けてむしろホッとした。

先月、就労歴はとうとう3年を経とうとしているから、少々早めだが、東京法務局に帰化の相談を申し込んだ。まず相談して、予め資料を全部用意して、3年の用件を満たした4月以降に帰化申請をするという考えだったが、「3年以上日本に住んできたし、もう日本人と結婚しているからすぐ申請していいよ」とあっさり話が進んだ。

どうも横浜の担当者と東京の担当者は国籍法第7条への解釈が違うみたい。というよりも、「留学ビザ」の滞在期間の取り扱いが違うと言ったほうが正しいかもしれない。留学期間を完全に無視する横浜の担当者に対して、東京の担当者はちゃんと留学期間をカウントする。元々不文律だから、実務レベルで担当者・局によって若干違っても仕方がないが、どうも横浜の担当者の言い分が少しナンセンスだと思う。

もし留学期間は本当にカウントされなければ、留学生たちは日本に帰化するに日本で3年ではなく、5年以上を働くことになる。しかし、就労歴3年という用件はどちらも変わらない。就労歴3年は「この人は社会で本当に(1人で)食っていけるか」とのテスト期間だから、そもそも配偶者として来日した人は、往々にして正社員にならずとも、3年滞在すれば帰化できるし、そこで留学ビザを区別(差別)する意味がないはずだ。

帰化申請が遅れて正直にいうと実害がないに等しいが、20代のうちに日本人になれなかったのは残念だった。法令の勉強が甘かったし、違和感を覚えた時に声を高く言えなかったのも自分の責任だ。具体的な法令、事例を横浜の担当者に伝えられたら、結果が変わったかもしれない。

時間は金なり、金より貴し

小さい時、成績いい人、何かすごいことができた人の話を聞いた時、その人の頭がいいからできたかなと思っていた。しかし、今の自分に言わせると、学歴、資格と成績ぐらいのものは、できるかできないかという問題に関してその人の賢さというより、どれぐらい時間を費やしたのほうが結果を決めてしまうと考えている。一部真の天才、いわゆる「ギフテッド」の人を除けば、賢さは大して変わらない。同じスタートライン、同じ勉強法で取り組むと、費やした時間の違いが差を付ける。

社会人になってから、有効に支配できる時間がどんどん減っている。学生時代みたいな、その気になればなんでもできる万能感が消え去った。とくに結婚以来、家族のために使う時間ができたのに、家族に合わせて早めに寝なければならないため、可処分時間の総量が減った。睡眠時間を簡単に削れなくなった。学生時代より自由に使える時間は多く見積もっても2〜3割程度かと思う。賞を取った人がスピーチでまず家族に感謝する気持ちも分かってきた。それはそうだ。家族がサポートしてくれない限り、作業に没頭できず、賞を取るほどの大作ができない。

状況は絶望的ではない。仕事、家族と自分の時間は全部全うする余地はまだ残っている。ダイエットの摂取を減らして消費を増やす繰り返しと少し似ているが、いかに可処分時間を創出し、その時間を無駄にしないのはポイントだ。

出社で自由な時間を創出

可処分時間を創出するために、必然的に労働時間か、家族サービスのたの時間を減らすしか方法がない。ここでまず労働時間に着目して語ってみたい。私は自制心が弱い人なので、在宅勤務の時にどうも業務だけに集中できず、業務外のことをやってしまう。家事などの生産的活動はまだしも、ときにゆっくり映画を観てしまうこともある。結局仕事もやらなければんらないから、だらだらして意味のない長時間労働につながっている。しかも、このように自分のせいで長時間労働になった場合、やはり残業代を請求しづらい。

出社すれば、業務に集中することは可能になる。まず映画を観ることがないし、ついつい家事をやることもない。確かにしょっちゅうトイレかスターバックスに逃げ込むのだが、総じていうと効率的に業務内容にコミットできる。在宅勤務と比べて、明らかに出社のほうがメリハリをつけやすい。出社のメリットは決して効率がいいだけではない。このテーマに関して改めて別の記事にもう一度詳しく触れたい。

Twitterを規制

Twitter、ないしあらゆるSNSを規制することは時間の確保で避けて通れないテーマだ。いつでもどこでも、ついにTwitterを観てしまい、ただでさえ足りない時間をさらに無駄にしてしまう最大の原因となる。2011年初期からTwitterを利用してきた私にとって随分古いトピックになっている。事実、私はTwitterからの離脱を何度も試みた。無論、Twitterをやめる度に一時的な成功を納められても、いずれも失敗に終わった。

Twitterを通じて様々な人に出会い、学生時代の人間関係を維持する道具でもある。気になる人の近況とつぶやきをフォローしたり、世間のトレンドをアップデートしたりすることに価値があるが、必要以上に時間を溶かしてしまうことも事実だから、Twitterにメスを入れるしかない。昔の失敗経験と合わせて考えると、今更完全にTwitterをやめることはもはやできないと思う。安直にアカウントを削除して後ほど後悔するより、うまく利用時間を制限するのが正しい道かもしれない。

最初は、平日にiPhoneをやめてガラケーを使おうと考えていたが、確かにTwitterをブロックするに役に立つけど、LINEもできず、おサイフケータイも付いていない今どきのガラケーだけ使うと、それもそれで生活上に不便が増えて、本末転倒なような気がする。今取っている手段はシンプルだ、iPhoneからTwitterアプリをアンインストールすること。信じられないことに、それだけで私はもうだいぶTwitterを見なくなった。iPadやパソコンを使わない限り、そもそもTwitterを開こうと思わない。

時間は金より貴し

12月のある日、私は自宅からタクシーを拾って法務局に行った。法務局は駅から離れた九段南にあり、九段下駅から降りても、竹橋駅から降りても結構歩く。電車に乗る場合、打ち合わせの時間にちょうど間に合うかどうかのタイミングに、思い切ってタクシーを選んだ。タクシー代は1,800円かかったが、予定より10分前に法務局に到着できた。法務局の打ち合わせは予想より長引いて今度会社での用事に間に合わなくなった。再びタクシーを利用して、2,000円で会社まで走ってもらった。一日4千円弱のタクシー代を使ったが、お陰で大きな支障がなく2つの用件に間に合えて、むしろこれほどお得なものがないかとありがたく思った。

近づいてきた30歳

気付いたら30歳の誕生日まで1ヶ月が切った。最後の20代をどのように過ごすかに関して特に気にしていないし、通常通りの生活を過ごしている。30歳を迎える心の準備はすでにできている。

若さを失うことに一番不安だったのは27歳前後だった。健診で初めて不具合が出てきて、老いる肉体を実感してしまってパニックに落ちいた。私にとって、本当にやりたいことをようやく始められる頃というのに、肉体のピークが過ぎてしまった事実をとても受け入れられなかった。

「自己中心的」な生き方

社会人になって間もない時の投稿にも触れたが、30代において「自己中心的」な生き方を貫いていきたい。これに関して2年以上経った今でも変わりなく、自己肯定感が確実に増している。妻や一部親しい友達をインナーサークルとして、親戚、友人とその他知り合いと人間関係を維持しつつ、割り切ってあまり意味ない人や事に手間を掛けないようにしている。

悔いのないキャリア

この歳になると、キャリアパスもほぼ決まってしまって、大きな変化はすでに望めない。幸い今の職場はとてもポテンシャルのあるステージだ。ずば抜けて日本一の環境ではないかもしれないが、れっきとした一流である。30代の約10年間、私はこのステージであらゆるリソースを活用して、限界までキャリアにコミットしていきたい。これは今後、30代の人生において最重要事項であり、生活の前提条件でもある。

自己実現に繋がる趣味

キャリアを全うすることができても、おそらく自己実現が叶わない。結局、今の仕事も自分の本当にやりたいことではないから、やりがいを感じられても、それだけでは物足りない。本当にやりたいことは複数があるが、時間と労力が極めて限られている。その中の1〜2個をピックアップして実現していきたい。まず一番やりたいことはやはり博士号の取得だ。キャリアアップについておそらく実現できても本当に10年ぐらいかかるかもしれない。

「この年齢で貯金100万円無いことの危機感」

先日、同年代の友達と少し貯金の話をした。タイトルはその友達の発言だ。友達はすごく立派で、長い間に失業したにも関わらず、正社員に復帰したらすぐ100万円も貯めた。素直に認めるが、もうすぐ30歳の身として未だに「自力」で100万円の貯金を作れたことがない。辛うじて20数万円を貯められたことがあるぐらいだった。

実際貯金自体は100万円以上を持っているし、金融資産もわずかながらある。資金源は主に2つある。まずは実家からの仕送りと支援だ。学費や生活費、新生活支度金などとして支給されて、その余った分を貯金している。これに関して原則、最後の最後まで崩さないようにしている。いわゆる「緊急予備資金」である。

もう1つは住宅ローンの残金だ。今年住宅ローンを組んで諸費用を差し引いてもそれなりの額が残っている。繰り上げ返済にはインパクトが小さく、何もせずに残しておいた。これもまた一種の「緊急予備資金」である。およそ住宅ローンの一年分に相当するから、万が一の時に1年間住宅ローンのことを心配しなくても済む。

日常生活において、私はさほど「節約」を意識していないが、決して浪費家でもない。極端的にお金を貯められていないのは本当に自分のせいだけではないと信じたい。今までの人生にお金を貯められそうなタイミングがなかった。事実、実家の支援に頼る学生の時期が非常に長くて、卒業したらすぐ妻と同棲して結婚、加えて単身赴任も強いられていた。社会人になってから2年半のうちに、自由自在の独身時期はわずか半年程度だった。

このようになると、22歳社会人デビューの教科書的事例と比べるともはや話にならないから、その辺りに関してすでに気にしていない。そもそも住宅ローンというのは自分に家賃を払っているようなもので、このままでも別段貯金しなくても「資産」が増える。とはいえ、貯金できていない現状に私も危機感を覚えている。

問題は将来の子育てだ。人間は本当に不思議なものだ。高校生の時に私は子供が嫌いで、ディンクスを目指していた。しかし25歳が過ぎると年々子育てのことを意識するようになり、最近とうとう具体的なイメージまで湧いてきた。子育てといえば、部屋の問題と教育の問題が一番頭に浮かんでくる。

今の部屋では全然子供を育てられない。第一、部屋の数が足りない。書斎があるものの、子供部屋にするほど広くない。子供を持つ前に、より広い物件に引っ越すことが確定している。都心で狭めのマンションで我慢するか、渋谷区のちょっと広めのマンションで妥協するか、それとも思い切って都心から離れてベッドタウンで豪邸を建てるか、全然決められないが、たくさんのお金が必要なのは変わらない。

教育の問題、言うまでもない。妻も私もそれなりに学歴を持っているから、子供の教育と学歴を気にしないはずもない。学歴を持っても大して何もできていない自分だが、もちろん学歴がすべてだと思わないが、学歴を夢への近道として捉えていて、充実な人生にエッセンシャルな存在だと思う。確かに偏差値の低い中高に居ても、名門大学に合格できた人もたくさんいる。私だって、いわゆるFラン出身だった。しかし、そういうケースに個人の努力、何より運に高度に左右されており、再現性ほとんどない。逆に言えば、良い中高に居たとしても必ず名門大学に進学できるに限らないが、最初から可能な限りにベストな環境を子供に用意するのは親としての義務だと思う。

お金がかかるのは部屋と教育だけではない。子供たちの生活固定費や海外旅行などの文化的行事など、たくさんのお金が必要だ。キャリアを頑張って生涯年収のボーダーを広げる他、ある程度の節約を実践したい。これは日常生活の所々をケチようとするわけではなく、不必要な出費を控えることだ。とくに耐久消費財の買い替えを見直すのだ。例えばまだまだ使い勝手が良ければスマホの機種を変更しない。そして、むやみに新たな趣味に投資せず、すでに初期投資が済んだ趣味を深めること。

自分探しの旅、疲弊と事故

車で西日本を一周するのは前から計画していたが、なかなか実行に移せなかかった。これから大阪の家を引き払って東京に帰ったら下手したらもう一生やらなくなるかもしれないと思って先週の金曜日の夜に旅を敢行した。

旅の計画はシンプルだ。大阪から北に向けて日本海側の町に向かい、そして山陰を経由して折り返し地点の北九州を目指す。最後は北九州から広島、岡山、いわゆる山陽を経由して大阪に戻るという構想だった。結果的に出雲で交通事故を起こし、早めに旅を切り上げて尾道に向かって、翌日大阪に戻った流れだった。途中余裕があったら、馴染んでいたいくつかのスポットを回ろうとした。

島根に住んでいた時に、東京までは飛行機で移動していたから、今回の旅で鳥取に進出して足跡を1つにつなげた。交通機関で旅行すれば、どうしても「ワープ」しているように思うが、自ら車を走ってみたことで国土の広さを実感できた。短い旅でも日本国土の「細長い」特徴を味わえた。

旅行の意味とは?

山陰の日本海を見えて久々ワクワクしたが、今回の旅は総じていえばつまらなかったし、疲れた。時間の無駄まで思わないが、もう2度とやりたくない。山陰以外、どこに行っても景色が同じで、駐車場の広いコンビニ、ガソリンスタンドと自動車販売店の繰り返しだった。鳥取のローソンに置いている商品は当然、東京のローソンと大差ない。強いていえば、中国地方に「ポプラ」というブランドのコンビニがあって、近年ローソンに侵食されても、ローソン店内で「ポプ弁」という形として生き残っている。

知り合いの中で旅行が好きな人がとても多い。中には日常的に広範囲に移動するマニアックな方もいる。学生時代の合宿からいろんな旅行を体験してきたが、残念ながら私には世間のいう旅行の喜びをよく理解できない。

旅行の意味はなんだろうか。私には2つの意味がある。まず、その土地に用がある場合、例えば受験や出張など、事務的な旅行が1つで、もう1つは「面白そうなまだ知らないことを体験する」ということだ。高度に同質化した日本で2番目の目的を求めるに年々ハードルを感じる。東京から出て別の場所に行ったところで日常感から解放されるに限らないし、むしろ首都圏内に高い宿に泊まり、妻や友と一緒に豪華な食事を楽しんだほうがよほど非日常感を得られる。

「面白そうなまだ知らないことを体験する」という好奇心主導の旅といえば、海外旅行のほうが私に向いているかもしれない。物理的な距離がどんなに近くても国境線1つを超えたら全く違う世界になる。その国の観光地ではなく、地元住民の生活を体験、勉強することこそ旅行の醍醐味だ。

交通事故

出雲で交通事故を起こしてしまった。助手席をよそ見した時に、減速中の前の車に思い切って追突した。当時の状態として、浜田方面を急ぎ、焦り気味で運転していた。さらに、体力も限界に達し、集中力がごみになっていた。追突の直前に実は別の車に追突しそうになっていた。幸い急ブレーキで回避できたものの、助手席の荷物が反動で飛んでしまい、中に入っているカメラの状況を気にしていた。

「ポン」と気づいたら前の車にくっついてしまった。そのあと不安ながら前の車を追ってすぐ隣の駐車場に入った。相手はとても優しそうな女性の方だった。事故に慣れているように見えて、彼女の指示で通報と個人情報の交換を行った。車のダメージは軽微で済んだ。こちらのレンタカーはナンバープレートが少し曲がった。相手車にわずかな凹みが見つかったが、見えにくい上、今回でできたかどうか判別がつかないほどだった。警察の現場調査を受けた後、それぞれその場から離れた。

運転は本当に疲れることだ。これに関して私はずっと予想できなかった。正直、最初に作った2日強で西日本を一周する計画は無謀すぎる。時間的に足りても、運転の疲れと休憩時間を全く考慮していない。自分の運転の適当さから考えれば、軽い物損事故に留まって人身事故を起こさなかったのは運がよかったに違いない。

一番やばかった運転は2日目の夜だった。夕方に猛烈な眠気に襲われて、山の中でどこかの待避所で車を止めてそのまま仮眠を取った。せいぜい10分程度を休憩するつもりだったが、目が覚めたらすでに周りがまっくらになった。頭がぼんやりしていたし、体も気持ち悪かった。そこで私が取った行動はもう少し休憩して落ち着かせたり、いっそのことエンジンを切って一晩寝たりするのではなく、なんとなくハンドブレーキを下ろして無理矢理運転を再開してしまった。

基本的に最初の10分ぐらいは、自分が何をしているか把握できていない状態だった。やばさだけ自覚できて、40キロのスピードしか出さなかった。厄介なのは、時々後ろに別の車が現れたりするところだった。低速でゆっくり運転したいのに、後ろの車が車間距離を詰めてとてもストレスだった。ちなみに、夜中の山の中では高速道路の感覚で走る人が多いらしい。ハイビームをつけても暗い道、体の悲鳴と後ろの車からのプレッシャー、免許を取得して以来一番きつい運転を体験した。

大阪拠点閉鎖決定、東京勤務を取り戻した

「長かった、辛かった」

10月から東京勤務が決定した瞬間、私は思わずそのようにつぶやいた。昨年の8月末、大阪転勤を言い渡された以来、私の生活は大きく変わった。一度東京を失って、横浜に移住したり、関西と関東間を頻繁に往復したりする落ち着かない生活を強いられてきた。

家計の重圧、夜行バスによる精神的・肉体的苦痛と家族との離れ離れという三重苦を味わい、私はすぐに諦めようとしなかった。上司との交渉や、マンション購入による家賃回避、前倒しして入籍など、いろんな対策を講じてみたが、継続可能な体制を構築することができなかった。

今回の東京勤務は通常の異動ではなく、私が禁じ手の切り札を切った結果だ。予想していたキャリア、せっかく手に入れた「レール」から自ら降りてしまった。いつか後悔するかもしれない、「あの時にもうちょっと我慢すれば…」と思ったりして。それでも、私は一歩踏み出して本当に過ごしたい人生に近付けたい。30歳の誕生日を控えて、このようなわがままはもう最後かもしれない。

東京生活を完全に取り戻したわけだが、馴染んだ日常がすでに元に戻らないし、一度東京を失った事実もなかなか忘れられないと思う。その痛みを肝に銘じてもっと慎重に生きていきたい。

2度目の改名、妻の苗字にすることを決めた

自分の苗字を変えたくない妻と数ヶ月に渡って論争した結果、私が折れる結果になった。すでに結婚しているのになぜまだ苗字のことを揉めているかというと、日本人が外国人と結婚する場合、夫婦別姓が許されるからだ。私が日本国籍を取得するまで、妻とそれぞれの苗字をキープしている現状である。

来日3ヶ月目の時に、島根の市役所が作ってくれた今の日本名を手放すことに未練があるが、由緒正しく日本人の苗字をいただけて嬉しく感じる自分が居る。振り返ってみれば、来日する前から何回も「日本に来るな」を言われ、来日してもしばらく「帰ってください」を言われていたのに、いつの間にか「大阪に住もう」とか「私の苗字を名乗れ」とかになって不思議に思う。

元々異なる苗字を同時に持っているため、銀行印と実印は最初から下の名前で作った。心配事として、学位記や合格証書では今の日本名が記載されて、帰化する時に通称名の取り扱いに懸念を持っていた。東京の区役所に聞いてみたら、「除票」=昔の住民票を取れるから、帰化後でも証明を取れるらしい。今の名前が急に偽名になることはない。

東京を取り戻すメソッド

近いうちに、私は東京に帰る。これはすでに既成事実になり、私の一方的な願望ではない。なぜなら、私は都心でマンションを買ったからだ。大阪勤務の状態をすぐに変えられないかもしれないが、あるべき日常を取り戻すために、その重要な一歩を踏み出したのであろう。

大阪住みの問題

そもそも、転勤先の大阪はとくに僻地でもなんでもなく、わが国の第2都市である。関東出身者を中心に、やむ得ずに大阪に移住した人から不満な声を聞こえるものの、住み心地良い評判もある。実際この半年の体験として、東京とほとんど同じライフスタイルを維持することができる。

大阪に移住しない理由は、妻も私も、東京から離れたくないからだ。転勤が決まった時点で妻はまだ都内の大学に通う学生で、内定先も都内の会社だった。関東出身の彼女自身も大阪に強い抵抗感を持っているから、一緒に大阪に住むという選択肢はそもそも存在しない。私にとって東京は青春を過ごした場所であり、とくにそこに根付いた。人間関係や心の拠り所は首都圏に集中している。今更大阪の文化や土地に馴染もうとしても無理がある。

横浜住みの問題

転勤後の混乱期に、妻の通学と通勤だけ考慮して横浜のマンションを借りたが、後々様々な課題が露呈してしまった。最寄りの駅は各停しかなく、都内へのアクセスはそこまで便利とは言えない。新横浜より近いが、新幹線に乗るために乗り換えなければならない。このように決してアクセスが悪いわけではないが、どうも中途半端さを感じてしまう。

マンション自体の問題が引っ越しの決め手だった。横浜のマンションは新築ではないが、そこそこの広さがあってかつリフォーム物件のため、月々の家賃は安くはない。そして、そのマンションに都市ガスが通っておらず、プロパンガスという仕様だった。それは毎月のガス代が都市ガスより3倍程度に跳ね上がることを意味している。それに気付いたのは、初めてのガス代を払う時だった。

マンション購入

賃貸ではなく、いっそのことマンションを購入する考えは最初からあった。去年の時点で新卒1年目の給料しか審査対象にならなかったため、住宅ローンを組めなかったが、今年に入ってようやく満額の源泉徴収をもらえてマンション購入が可能になった。

都心の物件に限って賃貸より持ち家のほうがお得に決まっている。建物が老朽化したとしても、土地の所有権が付いている限り、資産価値になる。コロナでテレワークが普及したとはいえ、ごくわずかな業界を除き、大勢に対して完全に会社に行かなくても良いということにはならない。東京の一極集中に変わりがなく、これからもどんどん人が集まってくると私は考える。

一旦マンションを購入したらなかなか引っ越せなくなることを念じて、住んだことあって馴染みのある渋谷区と中央区を絞って物件を探していた。その中で、一番気に入った日本橋エリアに戻りたかったが、物件の数が少な過ぎて例え予算の上限を外して検索してもあまりヒットしなかった。予算内に収まるわずかの物件を内覧してそこそこよさそうに見えても、不動産に詳しい妻はゴーサインを出さなかった。理由はマンションの管理体制にあるという。修繕積立金が低いとか、長期修繕計画がないとかを挙げられた。

結果、新橋方面よりの物件に決めた。表通りに面しておらず、隠れ屋的なマンションで、個性的な外装をしている。日本橋の住所と比べて東京駅から離れているが、頑張って徒歩できる距離だ。大阪から帰省する時に新幹線一本で完結することが可能になる。ハイライトとして今回のマンションに、なんと小さな書斎が付いている。妻の許可を得て趣味部屋として使うことができて楽しみにしている。

読売新聞の購読をやめた

10月末から読売新聞を購読してきたが、先日配達停止を申し入れた。読者歴が数ヶ月程度にとどまっているが、勝手ながら読売新聞の将来を心配する。購読をやめた理由はいくつある。記事内容にあまり満足できていないこと、購読しなくても読売のページで8割〜9割の記事を読めること、そして毎日の宅配新聞がストレートにごみ袋に入るようになっていることだ。

購読のきっかけ

そもそもなぜ読売新聞を購読したかというと、共同生活が始まり、つれと2人で一緒に読む新聞を購読するためだ。日経新聞もつれに提案したが、経済新聞以外の記事も読みたいという要望を受けて、彼女の意向で読売新聞にした。

読売新聞といえば、かの産経新聞より右寄りを言われる。社説と報道の角度から見ると確かに右寄りであった。ただ、産経みたいに攻撃的、炎上しやすいタイプの報道ではないと思う。極めて健全で、自分のイデオロギーにフィットしている。

新聞ならではの良い所

久々紙の新聞に触れて一番の印象は、ネット新聞と比べて断然読みやすく、短時間で多くの情報を受け取れれるところだ。紙面の編集に工夫を感じる。同じテーマの記事が一箇所に集中しているのが特徴だ。気になる記事はもちろん、そうでないニュースでも紙面をめくる間に見出しだけ自動的に頭に入る。普段絶対クリックしない投書欄も真剣に読むようになった。こうやってサクサク紙面をめくって一日の新聞を読むに15〜20分しかかからず、ネット新聞をダラダラ読むより効率が良い。

時代遅れの購読システム

配達なしの電子版を選べる日経新聞と違って、読売新聞を購読するために配達が必須である。もちろん読売でも一応「電子版」を用意している。購読者は「読者会員」として読売のウェブサイトで限定記事にアクセスができ、それの「紙面ビューアー」を通じて朝刊も読める。

限定記事の数はかなり限られている。しかも社説やコメント系記事が中心で、とくにお金を払うまで読みたいものではない。ほとんどの記事がフリーに読めることに強烈な違和感を覚えてしまう。それなら別に購読しなくても良かったのではという気持ちは最初からあった。

「紙面ビューアー」はブラウザベースのツールで、使い勝手がいまいちだ。とくにスマホでは少し使いづらくてあまり利用していなかった。

記事内容

記事関して総じていえば、広い・少ない・薄いという印象を受けている。社説と投書欄以外、一般記事で強いジャンルがないように感じてしまう。全国紙という属性から、広範囲にジャンルをカバーしているだろうか。個人的にためになる記事が少なく、時間つぶし系のコンテンツが多いと思う。

読売を購読したところで、無料会員として日経新聞で国内ニュースを読み、WSJやBBCで国際ニュースを確認するというパターンが変わらなかった。日経新聞電子版を購読すればよかった気持ちが何度も湧いても、読売が役にたった覚えはなかった。

読まれない宅配新聞

毎朝送られてきた宅配新聞は誰にも読まれないまま、ごみ袋に直行するようになった。清潔に厳しいわが家にとって、はっきりにいって紙の新聞は邪魔者扱いにされてしまった。丁寧に折りたたまれた新聞は一度も開かずに、そのまま捨てられるなんてあまりにも哀れだった。私はついに購読をやめることを提案した。つれもあっさり賛成してくれて、どうもお互いは向こうから言われるまで待っていたようだ。