次期家庭運営に関する基本的な考え方、自分ファースト

パートナーの人選が固まり、年内に入籍し、次期政権が発足することになっている。今回の婚活は思ったよりずっとスムーズでやりやすかった。もちろん、これと言った対策を取らなかったものの、活動に関しては真剣だった。女性と数年間共同生活をしていたし、あれこれ経験人数もかなり増えたこの歳なので、女性の考え方に慣れて初対面でも苦労せずに普通に会話を交わせる。これだけでものすごくモテなくても恋人作りや結婚のためにすでに十分であるのは自分の感触である。

私にとって先の結婚はここの10数年で最大な失敗であり、大学受験後に起きた「七夕事件」以来、最もダークな出来事だった。元妻が健常者とは言い難い人物ではあったが、次の関係を長続きさせるためには、警戒を怠らず、いかにパートナーに頼らないのは重要だと思う。そこで、基本的なマインドセットと取るべき対策を整理してみたい。

一定の距離を置いておく

これは今度の結婚における大前提になる。自分の親や子供のような血のつながった人を家族と定義するなら、配偶者は本当の家族ではなく、本当の家族にもなれない。そのために、配偶者を本当の身内みたいに扱うのはかなりリスキーだ。お互いは赤の他人だったから、本当の家族になるために2人は同じレベルの覚悟とモラルを持たなければならない。片方だけ頑張ってもゼロサムゲームになってしまい、いずれ崩壊する。人に高い責任感やモラルを求めるのは非常に難しいことだし、不可能に近いと私は思う。そのために、無闇に本音を共有するのではなく、適宜に情報を制限して程よいイメージを演出する必要がある。

一歩進んだ財布独立

お互いの家計への干渉を最小限にし、ルーズな委員会形式にとどまる。前の結婚にはすでに財布別々にしていたが、家族カードを渡したものの、家計補填の名目で元妻に毎月数万円をもらっていたし、サブスクのファミリープランやアカウント共有もしていた。そのせいで大して節約できなかったのに、不必要なしがらみをたくさん作ってしまった。今回はそういった統制を一切取らない。携帯のキャリアはもちろん、ネトフリまでアカウント別々にしてもらうつもりだ。大型出費、住宅ローンや子供の出費などに限って、都度相談する形を取りたい。

自分の機嫌を取れてから相手の機嫌を取る

無条件で相手に合わせず、自分の欲求が満たされ、都合が付いたら初めて相手をことを考える。これに関して一見非常に自己中心的に見えるが、配偶者とに限らず、人間関係においてかなり重要だと思う。いつも相手に合わせても限界があるし、なんとなく相手に何等かの形に見返りを求めるようになるから、精神衛生上とても良くない。ストレスフリの関係を築けて余裕ができて初めて相手のために頑張れる。そもそも相手に無闇に合わせたところで感謝されることに限らないし、徐々に「当たり前」だを思われたほうが人間がやりがちな結果だと思う。これといって、とても信じられなかったが、元妻は離婚成立してからもかなり無理なわがままを私に押し付けようとした。

今回は最後、有限的な努力義務

今回の結婚を最後にしたい。もし再度破局したらもう結婚しないつもりだ。今どきの社会において特段不利なことはない。独身でありながら、不特定の女性と関係を持ったほうがむしろ自由で楽しいと最近思えてきた。子供が欲しくても別に必ずしも結婚しなければならないことではない。今回結婚すれば私は夫としての義務を最大限に果たすつもりだが、仮に再度夫婦関係が破綻し、離婚を切り出されたら修復の努力をせず、潔く受諾しようと思う。前の結婚では最後まで私は諦めなかった。元妻にも、自分にももう一度チャンスを作るために不受理申出を出したが、元妻側に離婚したくないストーカー気質な人を思われていたし、市役所の下請けに図々しく日本人と離婚したくない外人だとネタにされた。

私はもう反省しない

私はもう反省しない。

これは敢えて改善せず、同じ過ちを繰り返す意図ではなく、トラブルがあった際に自分を責めないことを意味する。なぜなら、30代にもなり毎回反省し自分を責めればきりがなく、精神的にもよくないし、建設的でもないからだ。そもそもそういう暇がない。その時間があれば、大して好きではない動画を観ながら、ソファでゆっくりする方がずっと有意義だ。

人間関係について言えば、経験上、ほとんどがはっきりとした白黒が存在する。相性の悪い人や環境では、どれだけ努力しても改善されることは稀だ。一度嫌われたり、一度嫌いになった人との仲直りは、親兄弟のような関係でなければ、不可能ではないものの非常に困難だろう。努力しようとする価値があるかどうかは、またケースバイケースだと思う。一般的にどうすべきかというと、私は合わない人から離れることを選ぶ。あるいは合わない環境を変える。自分に合った人や環境になったら、また努力する。

20代まで私は常々反省していた。ロールモデルの不在によって長い間に私は試行錯誤をしながら、前に進まざるを得なかった。今のように日記を付ける習慣自体、そもそも反省の手段ではなかろうか。飲み会に誘われなかった。誰かさんに嫌われた。好きな女性に急に振られた。私は細々反省していた。その反省によって私の世渡りも確実に改善してきた。

30代に入り、人生の本質と限界を徐々に理解し始めた頃、私は自己中心的な人間を目指すことにした。そして、反省を減らすようになった。この心境の変化に関して、単に年齢を取ったからだけではない。2人との葛藤が決定的だった。前職直属上司のAさんと元妻のBさん、この2人に共通しているところは、自己中心的で私に対する高圧であった。彼らは私が置かれた立場を理解しようとせず、日常的に私をいじめたり、脅迫したりしていた。

そんな彼らだったが、私は可能な限りに反省し、合わせていた。Aさんの説教を素直に聞き、腹を割って本音を開示することもした。さらに彼からのパワハラ言動も見て見ぬ振りをした。Bさんのわがままに最大限に応え、自分の苗字を含めてすべてを捧げた。衝撃的に何も改善することができなかった。懲罰的な人事評価と一方的な離婚、どれも私を長く苦しめて今でも残響が残る。私は超人ではない。社会人として未熟でミスの多い若手社員であり、イライラしやすい亭主でもあった。それでも私の気持ちは本物だし、良いところもたくさんあるはずだ。いずれにせよ、次がないような扱いをされなければならない人ではなかったと思う。

仕事も婚姻も、私の人生にとって重要なパーツではあるが、それらだけの存在ではない。例えば、公益活動や趣味、そして小さな夢もまだ私に残っている。私を評価し、大事にしてくれる人は世の中に多く存在する。そのような人々のためだけに、私は努力を惜しまない。

人生の主権回復

日本移住計画を作ってから15年も経ち、そのすべての項目が実現できた。自分で言ってしまうと、まるで熱血系アニメの主人公のような気分になっていた。しかし、アニメと違って、それっきりエンドロールが流れて物語が終わるわけではなく、私の人生はまだ続いている。

運命に抗って理不尽な人生に立ち向かって革命を起こし、完全なる勝利を収めた。これからの人生にそれ以上の成功をとても望めない。とくに30代に入り、自分の限界を知り、それを受け入れた結果、何か大きなことを目指す気力が湧かない。研究者でもあるまいし、何かの賞をとることはないだろう。本職のコンサルとしてはただ1つ1つ簡単な仕事を大量にこなしているだけで、別段誇れる要素はない。コンサルの頂点であるパートナーになれても、事業会社の役員とはわけが違う。

更生した元不良の話はみんな好きだが、元不良が頑張って更生したけれど、実質的にはあくまで一般人になっただけという話だと思う。自分の場合も似ている。どん底から上り詰めて、晴れて「普通の日本人」になっただけで、特段本当に何かすごいこと、公益をもたらしたことができたわけではない。見方を変えれば、一生懸命にスタートラインにようやく近づいたかのような状況で、その後の戦いに使うエネルギーがどれほど残っているかはかなり疑問だ。

話は戻るけど、かの国と縁を切り、愛する日本と繋がったということ自体はとても喜ばしい。これから自己紹介の時に遠慮なく、「私は日本人です」と言えますし、もっと正々堂々と公共セクターの案件に関われる。少なくとも形式上は公務員になる資格があるため、憧れの日銀や国家公務員への道も開かれた。もちろん、給与面を考慮すると今更官僚になりたいと思わないが。

パスポートに関して、私はそれを1つの大きなメリットとして捉えていない。社会人として海外に出られる機会は元々少ないから、いくらビザが不要な国が多いと言われても、「そうか」としか思わない。さらに私は帰化前から世界中の主要な国々のビザを持っていたので、特に困ることはなかった。

待ち遠しい国籍、名実ともに日本人になるということ

終わらない仕事とプライベート生活の空中分解による重圧の中で、私は一通の電話を受けた。法務局の担当者からの連絡だ。現状の確認に加え、出国を禁止するという指示である。それは事実上、私の帰化申請が許可されることを意味している。近いうちに私は法律的に一人の日本国民になる。そもそも、すでに「母国」のパスポートを使えないというのは、限りなく無国籍に近い状態だと思う。

来日してからもすでに7年が経っており、国籍を手に入れるのが待ち遠しい。日本人として生まれてこなかったことはあまりにも代償が大きく、これからもある程度それを永遠に背負わざるを得ないだろう。今回悲願の国籍を取得できれば、少なくとも自分にとって身分がすでに最善まで上り詰め、これ以上改善する余地がないことであり、いよいよ諦めがつく。

来日する前からカタコトではあったが、日常的に日本語を使ってきた。神様を祀り、食事も和食に切替えた。「母国」に居ながら、肉じゃがやお味噌汁など、独自に料理していた。来日してから日本語を極め、母国語を経由せずに日本語を上達させようとしただけではなく、日本語をベースにさらに他の言語を習得していた。言わせてもらえば、私はとっくに日本人になったし、今回の帰化はあくまで法的にそれを認めていただくだけで、一種の追認とも言えよう。

「日本に来るな」とか、「偽名(日本名)を名乗るな」とか、少ないものの、私は一部の日本人に真正面から拒絶されたことがある。交換留学生、正規留学生、就労から永住者まで、少しずつ自分の身分を固めてきた。振り返ってみれば感慨深い。心が折れなかったポイントはやはり自分の図々しさにあると思う。自分が日本人になりたい、自分が日本人であることは別段個々の日本人に認めてもらう必要がないというマインドセットはかなり初期に確立した。それはそうさ、日本語も日本文化も私が主体的に受け入れて身に付けたし、それらの延長であるアイデンティティーももちろん自分で決めるものだ。どんなに生粋な日本人であろうとも、関係のない他者から口を挟む余地がない。

国籍を手に入れて何かが変わるか。残念ながら、ほとんど変わらないと思う。強いていえば、現実の重圧に向かって戦っている自分にせめての慰めにはなる。法的な承認を得たら、自分の生活が安定したらそれを利用してさらに日本社会の中枢に根付き、同時に社会貢献を深めることを目指したい。

仕事もプライベートも、両方とも非常に厳しいフェーズに来ている。それでも私は日本のことが好きだ。むしろ日本で日本人として生きる道はいかに正しかったか再び検証された。

社会人4年目と、学歴、転職や出世などの話

気づいたら社会人4年目に突入した。学生時代に対して距離感を覚えて、もはや遠い昔のように感じ始めた。そもそも、Twitterを通じてつながっている学友やサークル仲間の皆さん以外、大学院の同級生にLINEを送ってもまず返信をもらえない。ブロックされず、既読無視だけで済んだのも同級生の優しさかもしれない。

大いに宣伝していなかったけれど、私は去年転職した。悲願だった三菱商事ではなかったとはいえ、れっきとした旧財閥系企業に入社できて正直にわくわくしていた。いずれ日の丸を背負って国際舞台で活躍する抱負とプライドを持って努力していたが、その夢は3年も持たずに早々幕が降りた。今では日の丸を返上し、外資系企業に拾われてかろうじて東京で1人のソルジャーとして生き延びている。

30代にもなり、私はすでに世にいう「出世コース」から完全に外れた。今更日本の大企業に入って、まともに出世して役職をもらうことを想像できない。せいぜい経理部門で専門人材として扱われ、課長レベルにとどまるだろう。官僚を目指しても、そもそも海外出身の時点で無理だし(国籍を取って採用されても重用されない)、仮にそれを考えなくても、昨今のキャリア官僚の待遇を見るとモチベーションが上がらない。そして家族も反対する。

特別採用だったし、配属もピンポイント自分で選べていた。さらに元上司を含めて周りの全員に手厚くサポートされていた。会社にそんなに手間暇かけられて私も一瞬東大卒出世保証説を信じていた。結局仕事をやめるときに、誰にも引き止められなかった。むしろ部長に「みかんくんなら、〇〇(転職先)の方に向いている」を言われた。今まで退職者への定番セリフである「退職しても時々連絡してほしい」も、私にだけ言われなかった。仲のよかった元上司、元同僚と私を採用した人事から温かい言葉をたくさんいただいたが、いまだにこの終わり方に納得できていない。

どうしてこうなったか、もちろん職場に原因があったと思う。私に高圧的だった京都人上司、関西人中心でローカルな職場に馴染むに元々難しいと思う。しかし、自分に非があったことを否めない。プライベートの事情を持ち込んで、会社に甘えすぎたところがダメだった。社会人3年目に入っても受け身な態度を持っていたのも致命的だった。他部署どころか、自ら積極的に自部署の同僚にアプローチし、「友達」を作ろうとさえしなかった。仕事でも結構ミスを犯していたが、振り返ってみると仲間ができなかったことから、余計に上司に狙われやすくなり、孤立して退職に追い込まれたと思う。

今の会社に入ってから、同じ誤りを繰り返さないように、最初から人間関係を大事にしてきた。体育会系の方ほどではないが、自分なりに積極的に周りの人々にアプローチして、相手を知ろうとしている。新人が入社する時に、必ず挨拶に行って相手に自分の名前を覚えてもらう。仲の良い同僚と定期的にコミュニケーションを取り、飲みも行く。業務においても若干無理しても、自ら業務を取り組む意欲を見せている。このように人間関係と業務に同時に力を入れた結果、高い人事評価をいただいただけではなく、職場も楽しくなってオフィスがまるで家みたいに居心地が良い。

大阪勤務の経験から、私は関西に苦手意識を持ってしまった。旅行で行くと思わないし、関西弁を聞いただけで京都人の上司が思い浮かんできて辛い記憶がフラッシュバックしてしまう。前職の会社に未練が残っていて、今でもふと思い出してぼーっとするが、これぐらいのトラウマを持って、将来の自分を引き締めることは案外悪いことではないかもしれない。

迷惑な母国語

小さい時にテレビであるシンガポールの映画を見たシーンは未だに覚えている。C国語先生に将来の夢を聞かれて、英語で答えようとする小学生の女の子は指摘されて不機嫌そうにC国語で「飲んだら白人になる薬を開発したい」と答えた。当時の自分はその女の子の姿勢に疑問を持ったし、とても受け入れられなかった。

それから約20年、私は日本に移住し、C国語を生活から完全にと言えるほど駆逐できた。日常生活において全く使わないし、履歴書にすら記入しない。周りにC国語があまり得意ではないと公言し、仕事でC国語が関わる案件もなるべく引き受けないようにしている。強いていえば、両親との交流は仕方なく、C国語で行っている。その小学生の女の子の発言が思い浮かぶたびに強く共感する。

言葉としてのC国語が嫌いだ。時制が曖昧で、使いにくいし、四声あって発音も難しい。なにより発音が汚くて、表現がゲスい。特に東北部の人は必要以上にR音を出すから、気持ち悪くて聞くたびに鳥肌が立つ。物を買いすぎる時に「手を切断しなきゃ」という表現があるらしくて、家族から初めて聞いた時に思わずに「なんでそういう風に言うの?やめて」と不快を覚えた。

今の生活に全く役に立たない言葉のために生まれてから20年間も勉強し続けていたこと自体は時間の無駄遣いだし、必死に勉強してきた日本語と英語も必然的にそれに影響されて訛ってしまう。少しでも訛りを削るためにまた膨大な時間と労力を費やすことになり、本来ならば、専門知識や趣味など、本当に有意義なことに使える時間は大幅に削られた。

日本に暮らす外国人として、C国語が分かることは1つの強みというよりむしろ不利に働く。C国語が分かると日本人にアピールすると、まず英語が分からないではないかと勘違いさせてしまう可能性が高くなる。そしてC国語が母国語である以上、日本語力も低く見積もられてしまう。ここで敢えてC国語を除外し、日本語と英語が分かることだけ伝えるとかえって出身を曖昧にできて先入観が減り、語学に関してより適正な第一印象を与えられると思う。

こんな母国語は要らない。できることならばC国パスポートと一緒にごみ箱に捨ててしまいたい。残念ながら国籍を変えられても一度身に付けた言葉を完全に忘れ去ることはできない。そうすると、日本語を極めてよりきれいな発音ができるようにしかない。日本語ないし英語のプレゼンスを向上させることを通じC国語によるダメージを最小限に抑える。

日本人の妻にはもちろんC国語を勉強してほしい気持ちは全くないし、子どもができたら絶対教えないように決めた。

逃げ切り、前倒しで帰化書類を集めようと思う

昨今の世界情勢に対して私は素直に緊張感を覚える。特に某国のリーダシップが非常に危ないフェーズに来ている。本来ならば私は某国の政治に無関心に居た。長い間に某国のニュースをスルーしてきたが、さすがに最近になると注目せざるを得なくなった。

何を心配しているかというと、彼らはすでに何をやってもおかしくない状態になったからだ。日本人の方にはあまり詳しくないかもしれないが、同一人物が3期以上トップの座を居座るのは非常にイレギュラーで、不吉な出来事だ。かつて、誰もが知るあのM氏が死ぬまで国の舵を取って、ボケてやりたい放題だった。そういう最悪の展開を防ぐために、某党がMAX2期というルールを決めたのだ。

タイワン侵攻ないし尖閣諸島奪取、架空戦記の領域だった話が現実に起こり得ないと言い切れなくなった。むしろこのタイミングでタイワン問題で無理する可能性が十分あると思う。当然ながら、彼らは少しでもタイワンに手を出したらすぐ今のロシア並みの制裁を受けるだろう。そうすると未だに某国国籍の私はどうなるだろうか。

そうだ。私は未だに日本国籍を持っておらず、某国籍の永住者だ。もちろん、永住者である以上、かつ日本人の配偶者がいるため、さすがに日本に居られなくなることはないと思うが、きっとかなり不利な立場に強いられてしまうだろう。某国がタイワンと戦争したら、帰化政策が変わらなくても、日◯郵便の中断とか、在日領事業務の縮小とか、雑多な書類を求める帰化申請が簡単にできなくなる。

帰化申請の受理日は来年の3月以降だが、前倒しして必要な書類を確保しようと思う。外国機関が発行した書類の有効期限は6ヶ月間もあるから、今から準備して実際11月末前後発行してもらって余裕で有効期限に間に合う。

出身を選べない。某国人として生まれてきてすごく嫌だ。若い時にまだ嫌味をこぼすが、この歳になるとシンプルに関わりたくない。一部の人によく勘違いされるが、私はああいう単純に某党が嫌いで某国の民主化を求める人と違って、文化レベルまで全面的にあの国を否定する。彼らと一線を画そうと頑張ってきた。端的にいうと、全うな人生くれた日本のために自衛隊に入って、戦死しても構わないが、これ以上あの国のせいで不利益を被るのが億劫だ!

近づいてきた30歳

気付いたら30歳の誕生日まで1ヶ月が切った。最後の20代をどのように過ごすかに関して特に気にしていないし、通常通りの生活を過ごしている。30歳を迎える心の準備はすでにできている。

若さを失うことに一番不安だったのは27歳前後だった。健診で初めて不具合が出てきて、老いる肉体を実感してしまってパニックに落ちいた。私にとって、本当にやりたいことをようやく始められる頃というのに、肉体のピークが過ぎてしまった事実をとても受け入れられなかった。

「自己中心的」な生き方

社会人になって間もない時の投稿にも触れたが、30代において「自己中心的」な生き方を貫いていきたい。これに関して2年以上経った今でも変わりなく、自己肯定感が確実に増している。妻や一部親しい友達をインナーサークルとして、親戚、友人とその他知り合いと人間関係を維持しつつ、割り切ってあまり意味ない人や事に手間を掛けないようにしている。

悔いのないキャリア

この歳になると、キャリアパスもほぼ決まってしまって、大きな変化はすでに望めない。幸い今の職場はとてもポテンシャルのあるステージだ。ずば抜けて日本一の環境ではないかもしれないが、れっきとした一流である。30代の約10年間、私はこのステージであらゆるリソースを活用して、限界までキャリアにコミットしていきたい。これは今後、30代の人生において最重要事項であり、生活の前提条件でもある。

自己実現に繋がる趣味

キャリアを全うすることができても、おそらく自己実現が叶わない。結局、今の仕事も自分の本当にやりたいことではないから、やりがいを感じられても、それだけでは物足りない。本当にやりたいことは複数があるが、時間と労力が極めて限られている。その中の1〜2個をピックアップして実現していきたい。まず一番やりたいことはやはり博士号の取得だ。キャリアアップについておそらく実現できても本当に10年ぐらいかかるかもしれない。

「この年齢で貯金100万円無いことの危機感」

先日、同年代の友達と少し貯金の話をした。タイトルはその友達の発言だ。友達はすごく立派で、長い間に失業したにも関わらず、正社員に復帰したらすぐ100万円も貯めた。素直に認めるが、もうすぐ30歳の身として未だに「自力」で100万円の貯金を作れたことがない。辛うじて20数万円を貯められたことがあるぐらいだった。

実際貯金自体は100万円以上を持っているし、金融資産もわずかながらある。資金源は主に2つある。まずは実家からの仕送りと支援だ。学費や生活費、新生活支度金などとして支給されて、その余った分を貯金している。これに関して原則、最後の最後まで崩さないようにしている。いわゆる「緊急予備資金」である。

もう1つは住宅ローンの残金だ。今年住宅ローンを組んで諸費用を差し引いてもそれなりの額が残っている。繰り上げ返済にはインパクトが小さく、何もせずに残しておいた。これもまた一種の「緊急予備資金」である。およそ住宅ローンの一年分に相当するから、万が一の時に1年間住宅ローンのことを心配しなくても済む。

日常生活において、私はさほど「節約」を意識していないが、決して浪費家でもない。極端的にお金を貯められていないのは本当に自分のせいだけではないと信じたい。今までの人生にお金を貯められそうなタイミングがなかった。事実、実家の支援に頼る学生の時期が非常に長くて、卒業したらすぐ妻と同棲して結婚、加えて単身赴任も強いられていた。社会人になってから2年半のうちに、自由自在の独身時期はわずか半年程度だった。

このようになると、22歳社会人デビューの教科書的事例と比べるともはや話にならないから、その辺りに関してすでに気にしていない。そもそも住宅ローンというのは自分に家賃を払っているようなもので、このままでも別段貯金しなくても「資産」が増える。とはいえ、貯金できていない現状に私も危機感を覚えている。

問題は将来の子育てだ。人間は本当に不思議なものだ。高校生の時に私は子供が嫌いで、ディンクスを目指していた。しかし25歳が過ぎると年々子育てのことを意識するようになり、最近とうとう具体的なイメージまで湧いてきた。子育てといえば、部屋の問題と教育の問題が一番頭に浮かんでくる。

今の部屋では全然子供を育てられない。第一、部屋の数が足りない。書斎があるものの、子供部屋にするほど広くない。子供を持つ前に、より広い物件に引っ越すことが確定している。都心で狭めのマンションで我慢するか、渋谷区のちょっと広めのマンションで妥協するか、それとも思い切って都心から離れてベッドタウンで豪邸を建てるか、全然決められないが、たくさんのお金が必要なのは変わらない。

教育の問題、言うまでもない。妻も私もそれなりに学歴を持っているから、子供の教育と学歴を気にしないはずもない。学歴を持っても大して何もできていない自分だが、もちろん学歴がすべてだと思わないが、学歴を夢への近道として捉えていて、充実な人生にエッセンシャルな存在だと思う。確かに偏差値の低い中高に居ても、名門大学に合格できた人もたくさんいる。私だって、いわゆるFラン出身だった。しかし、そういうケースに個人の努力、何より運に高度に左右されており、再現性ほとんどない。逆に言えば、良い中高に居たとしても必ず名門大学に進学できるに限らないが、最初から可能な限りにベストな環境を子供に用意するのは親としての義務だと思う。

お金がかかるのは部屋と教育だけではない。子供たちの生活固定費や海外旅行などの文化的行事など、たくさんのお金が必要だ。キャリアを頑張って生涯年収のボーダーを広げる他、ある程度の節約を実践したい。これは日常生活の所々をケチようとするわけではなく、不必要な出費を控えることだ。とくに耐久消費財の買い替えを見直すのだ。例えばまだまだ使い勝手が良ければスマホの機種を変更しない。そして、むやみに新たな趣味に投資せず、すでに初期投資が済んだ趣味を深めること。

私はなぜ「大阪」を拒絶したのか

このタイトルをつけたら、まるでこれから大阪の嫌味を言うように見えるが、違う。私にとって大阪は単純に「家ではない場所」、「ゆかりのない所」に過ぎない。言い換えれば、無臭無味の存在であって、好きではなければ嫌いでもない。大阪と決別した今、感情を抑えてもう一度冷静に問題の根源を整理してみたい。

人の心は本当に不思議なものだ。島根の土地に初めて足を踏んだ時に、長く離れた故郷にようやく戻れたような気がした。最初から馴染んでいる。東京は生まれた場所とよく似ているから、つまらないと思うものの、暮らしやすい場所だと感じる。大阪だけ、長く住める気がしない。

「将来」のために「現在」を犠牲にすることはもうしたくない

「将来」、つまり出世のために今の生活を犠牲にすることはもうしたくない。私は高校時代からすでに何度もやってきたから、また「辛抱強く我慢しろ」を言われても、「じゃいつ生活を楽しむの」という話になってしまう。なるべく真っ当な学歴を積み、より良い勉強環境を得るために、私は地元の大都会を諦めて、あえて行きたくもない地方の公立大学を選んだ。バラ色の青春を引き換えに、地道に勉強とトレーニングに没頭できた。

あの時の犠牲があって今の可能性が広がったが、今なお犠牲をし続けたらどうなるか。順調でも大阪勤務を4、5年やらされる。大阪勤務が終わったころはそろそろ35歳になる。40歳までは若者だとして、残り半分の時間を捧げるわけだが、そこに何の意味があるのだろう。輝く中年生活のためとでも?一歩引いて、30台後半に子供を作るとして、40台以降の人生はすでに子供に予約されている。

出世の保証はどこにもない

学生時代の受験戦争と違って、会社員にとって頑張ったところで必ず報われるに限らない。東大卒だから出世コースが約束されるとか、あくまでドラマの設定であり、都市伝説のようなものである。作業自体をこなすよりも、周りの人間関係=信頼はもちろん、上司の意図への忖度、いわゆる「ゴマすり」も求められる。自分としていい仕事をするつもりでも、上司のニーズとミスマッチすれば失敗同然の扱いをされる。これに関して、私の邪推ではなく、上司にそのまま言われたことだ。

東京にいた私はそこそこ高い評価を受けた。昔の部署では大事にされていた。大阪に来てから私は始終東京並みのパフォーマンスを出せていない。客観的に観るとパフォーマンスが香ばしくない、かろうじて普通かもしれない。しかし、それは安定的な生活基盤はまだ形成されていないためであって、私主観的に仕事をサボりたいわけではない。それを全く考慮せずに、私の人事評価を下げた上司と部長に呆れた。メンタルがやられるから、人事評価だけ下げないでと部長にお願いしたが、全然効かなかった。一度人事評価が傷んだところで、社内昇進に全く響かないかもしれないし、響くかもしれない。人事部の偉い人にしか誰も分からない。

フルスケールでキャリアを追う妻

私の妻も就活の時から緻密なキャリアプランを立て、それを実行してきた。会える時間が減って寂しいけど、頑張っている彼女の姿が好きだし、応援したい。そんな彼女に仕事をやめて大阪についてもらうことはありえない話だ。無理にそうさせられても後々婚姻の破綻が見えてくる。それどころか、妻は私より激務のため、たまに大阪に来てもらうことも実現できていない。

今どき、いきなり年収ウン千万円のトップクラスエリートサラリーマンでもない限り、共働きしないと結構家計的に苦しくなる。事実、妻がバリバリに働いてくれたお陰で、今は都心に住んでも日常の支出に困らない。専業主婦前提の転勤制度は夫婦別姓より遥かに喫緊の課題ではないかと考える。